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2002/03/14】 

「たかが言葉、されど言葉」



田中真紀子前外相は6日、更迭された野上義二前外務事務次官が官房付で外務省に残っていることについて「懲戒免職が当然。官の責任は全く問わない。この内閣は一体、何を思っているのか」と国会内で記者団に述べ、小泉首相の対応を批判した。
その理由として「
野上氏は”中近東アフリカ(担当)や経済協力局の審議官をやっていた時、11年間にわたって鈴木宗男氏と仲良しだった”と、大臣室で私に言ったことがある。その中で”いろいろな利権がエジプト、アフリカに非常にある”とおっしゃったことがある」と、鈴木氏との親密な関係を挙げた。

これに対し、野上次官も負けていない。
野上前次官は6日夜、田中氏の発言について「経済協力局の審議官は、したことがない。田中前外相はいろいろおっしゃっているが、コメントしないことにしている」と述べた。
(日経新聞2002.3.7朝刊2面)

野上前次官(59)の華麗なエリート官僚人生は、次のとおりである。

昭和41年     外務省入省
    在タンザニア大使館1等書記官、経済協力局政策課企画官、同局国際機構課長を経て
昭和58年1月   経済局国際機関第二課長
 〃 59年7月   経済局国際機関第一課長
 〃 60年7月   在米大使館経済参事官
 〃 63年11月  大臣官房・休職。日本国際問題研究所長
平成3年2月    大臣官房外務参事官兼中近東アフリカ局
 〃 4年7月    大臣官房審議官兼中近東アフリカ局
 〃 5年8月    大臣官房審議官兼総合外交政策局
 〃 6年8月    在香港総領事
 〃 8年1月    経済局長
 〃 9年8月    駐OECD大使
 〃 11年8月   外務審議官経済担当
 〃 12年7月   九州・沖縄サミットで日本のシェルパ(首脳個人代表)
 〃 13年8月   外務事務次官
 〃 14年1月   更迭。大臣官房付特命中東担当


田中前外相は、こう言った。「(野上氏は)中近東アフリカ(担当)や経済協力局の審議官をやっていた時、11年間にわたって鈴木宗男氏と仲良しだった」と。
これに対し、野上前次官は、「経済協力局の審議官は、したことがない。田中前外相はいろいろおっしゃっているが、コメントしないことにしている」と語り、”金持ちケンカせず”の姿勢をあらわにした。

さて、読者のみなさん、いかが思われますか?
野上前次官は、田中前外相の言った「11年間にわたって鈴木宗男氏と仲良しだった」ことに対しては、反論していないことをみると、このことは真実であったようだ。
11年間というと、上記の野上前次官の華麗なる外交官人生において、平成3年2月の大臣官房外務参事官として中近東アフリカ局を兼務した頃に、鈴木議員と知り合ったものと了解される。
今年でちょうど11年になる。
野上前次官は、自分は「経済協力局の審議官は、やったことがない」。だから、田中前外相は「うそつきだ」、と言外に示唆している。
本人が「やったことがない」と言うのだから、野上氏は、経済協力局の審議官は、やったことがないのだろう。
確かに、上記の彼の略歴において、野上氏が「審議官」として兼務したのは、「中近東アフリカ局」と「総合外交政策局」のみである。
経済協力局の審議官」は、やっていない。
となると、野上前次官が、「田中さんは、ウソをつく癖がある」というのも、あながち不当な非難ではないのであろうか?

読者のみなさん、今日まで37年間の外交官人生の、そのほとんどを経済分野のスペシャリストとして送ってきた野上前次官の上記略歴の中で、田中前外相が、「経済協力局の審議官」と、他のどこかの局の審議官とを取り違えて喋ったからといって、それが「うそつき」呼ばわりされるようなことなのであろうか?
答えは、明らかである。この野上前次官の略歴を、誰が正確に語れようか。

もっともっと重要な問題が、今回のこの二人の言葉の応酬の中に隠されているのだ。
今一度、田中前外相の言葉を引用する。彼女は、こう言った。
野上氏は”中近東アフリカ(担当)や経済協力局の審議官をやっていた時、11年間にわたって鈴木宗男氏と仲良しだった”と、大臣室で私に言ったことがある。その中で”いろいろな利権がエジプト、アフリカに非常にある”とおっしゃったことがある。

この文章の中で、田中前外相が沸々と言いたいことは、「中近東アフリカ(担当)や経済協力局の審議官をやっていた時」の部分にある、などと書いた答案があったとしたら、間違いなく0点である。
田中前外相の力点は、「野上氏は、11年間にわたって鈴木宗男氏と仲良しだった」ということと、「”いろいろな利権がエジプト、アフリカに非常にある”とおっしゃった」というニ点にあることは、言うまでもなかろう。

この田中前外相の”噛みつき”というか、報道陣への”問題提起”に対し、野上前外相は、こう答えた。
経済協力局の審議官は、したことがない。田中前外相はいろいろおっしゃっているが、コメントしないことにしている』と。
これは、返事になっているんであろうか?

そもそも、報道陣が野上氏に質問したことは、「田中前外相がこういうことを言っているんですが、それに対する反論は?」というものであったに相違ない。
ならば、野上氏のこの発言は、報道陣の質問に対する回答になっているのであろうか?
報道陣にとっても、野上氏が11年間にわたって鈴木議員と仲良くしてたのが、「経済協力局の審議官」のときであろうが、そうでなかろうが、どっちでもいいはずだ。
問題は、野上氏が、ほんとうに「11年間にわたって鈴木宗男氏と仲良しだった」のかどうか、「”いろいろな利権がエジプト、アフリカに非常にある”とおっしゃった」のかどうかの二点にあるのではないか。


これに対する野上氏がやったような返事の仕方を、「すり替え」という。
私のホームページをよく読んでいただいている読者の方はもうご存知のように、この返事の「すり替え」という言葉のテクニックは、実は、小泉首相が大得意の話法の一つなのである。
野上前次官は、「すり替え」話法によって、田中前外相が強調し報道陣が質問した、真の疑惑部分に対する返答を回避した。
そして、小泉首相や報道陣も、それっきり「クサイモノニフタ」をしてしまった。
そんなところも、小泉首相と野上前次官がお互いに気に入って、ねんごろにつるんでいた大きな理由であったのかもしれない。

話は、それだけにとどまらない。

1月24日午前の衆院予算委員会で、民主党菅直人幹事長が、「NGOなどニ団体が、アフガニスタン復興支援国際会議への出席を一時拒否されたのは、自民党の鈴木宗男衆院議員運営委員長の関与があったのではないか」と質問したのに対し、田中外相(当時)は、次のように答弁した。
21日に(菅氏から)要望書をいただいた段階で、(野上義二外務)次官に電話で話をしたら、そうした名前があったことを確認した。今朝の予算委員会の前も、具体的に名前を挙げて認めていた。

これについて聞かれた鈴木氏は、「予算委後に野上外務次官から電話があった。答弁のような説明は一切していないとのことだった。外相はウソをつく癖がある。非常に不愉快だ」と外相を批判した。

野上次官は同日、首相官邸に福田官房長官を訪ね、事実関係を説明した後、記者団に「外相は勘違いしている。神の不条理の世界だ」などと述べた。
さらに夕方には、臨時の記者会見を開き、「今朝の打ち合わせで、私が具体的な名前を挙げて報告した事実はない。同席した他の職員に確認してもらってもいい」と断言した。「鈴木氏らの働きかけは一切なかった」ことも強調した。

この騒動に対し、小泉首相は同日午後、田中外相(当時)に、「事務方とよく相談して、ゴタゴタしないようにちゃんとやってほしい」と注意した。


これが、後に「言った言わない」、田中/野上/鈴木三氏の衆院予算委「参考人招致」、「うそメモ」、「三方一両損」そして鈴木宗男議員の衆院予算委「証人喚問」へと続く、一連の大騒動の発端となった三人の当事者と小泉首相の発言の一部始終である。

さて田中外相(当時)は、上記の発言の中で、二つのことを喋っている。
一つは、「21日に(野上)次官に電話で話をしたら、そうした名前があったことを確認した」という点である。
もう一つは、「今朝(24日)の予算委員会の前も、(野上次官は)具体的に名前を挙げて認めていた」という点である。

これに対する野上次官(当時)の発言をみてみよう。
今朝(24日)の打ち合わせで、私が具体的な名前を挙げて報告した事実はない」とのみ彼は語っている。
しかも「同席した他の職員に確認してもらってもいい」などと、特に自信たっぷりに強調している。
ここである。前にも出てきた返事の「すり替え」は。

24日はわかった。そこまで言うならとりあえず、野上氏が正しいことにしておこう。”とりあえず”ではあるが。
では一体全体、田中外相(当時)の言ったもう一点、「21日に(野上)次官に電話で話をしたら、そうした名前があったことを確認した」ことに対する返事はどこへ行ってしまったんだろう?
この点に関しては、野上次官(当時)の発言は、完全にそして間違いなく「故意に」、無視している。
これは直ぐに、文頭に引用した野上前次官の話法を思い起こさせる。

まさに「瓜二つ」である。
田中外相(当時)の発言の力点は、当然のことながら、野上次官(当時)に、21日に電話したとき確認したのか、24日に話したとき確認したのか、どっちなんだ?という話ではない。
どっちでもいいのだ。問題は、野上氏が、NGOニ団体参加拒否に関わって、鈴木議員の圧力を会話の中で認めたのかどうか、という一点に絞られる。
ところが野上次官(当時)は、24日の方は完璧に否定してみせた。
同席した他の職員に確認してもらってもいい」などとまで、自信たっぷりであった。
そして、野上次官(当時)の発言が、「鈴木氏らの働きかけは一切なかった」と続くとき、聞くものは当然、田中外相(当時)が「21日に次官に電話で話をしたら、そうした名前があったことを確認した」ことも”ウソ”なのだ、と思い込んでしまう。

文頭で野上前次官が、「経済協力局の審議官は、したことがない」と語った後、「田中前外相はいろいろおっしゃっているが、コメントしないことにしている」と言って、聞くもの皆に、田中前外相の言うことはすべて”ウソ”なのだと思い込ませてしまう話法と、まさに同一のパターンである。
文頭において、野上氏は、決して「11年間にわたって鈴木宗男氏と仲良しだった」事実を否定していないのにもかかわらず、
現実には、否定したと同じ効果を聞くものに与えてしまう。
同様に、24日の発言では、野上氏は、決して田中外相(当時)の「21日に次官に電話で話をしたら、そうした名前があったことを確認した」ことを否定していないにもかかわらず、現実には、聞くものに「鈴木氏らの働きかけは一切なかった」と思わせてしまう巧みな話法であった。

さらに鈴木氏の記者会見の発言が、野上氏の発言と重ね合わせるとき、実に興味深い。
鈴木議員は、こう語った。
予算委後に野上外務次官から電話があった。答弁のような説明は一切していないとのことだった。
これはどういうことなのであろうか?
なぜ野上次官(当時)は、予算委後に鈴木氏に電話しなければならないのか?
なぜ野上次官(当時)は、「鈴木氏らの働きかけは一切なかった」と答弁したにもかかわらず、鈴木氏に「(田中外相の)答弁のような説明は一切していない」と弁明しなければならないのか?
これはまさに、鈴木議員は、言葉に溺れて自ら墓穴を掘ったような発言であった。

なぜ外務次官が、「鈴木氏らの働きかけは一切なかった」と断言しておきながら、わざわざ鈴木議員に、しかも予算委直後に、「(田中外相の)答弁のような説明は一切していない」と弁明の電話を入れなければならないのか、まったく常識では推し量れない。
このこと一点をとってみても、野上次官(当時)と鈴木議員の関係が、通りいっぺんのものではなく、おそらく「11年間にわたる仲良し」であることを推測させるものであろう。

この野上氏がコメントを回避した21日の部分が、1月28日の衆院予算委員会で、民主党原口一博衆院議員から突かれることになった。

原口氏:鈴木氏は、NGOの不参加について言及したのか?

重家俊範・外務省中東アフリカ局長:NGO全般について意見や照会はあったが、今回の参加、不参加について言ってこられたことは一切ない。

原口氏:外相の答弁と違う。

田中外相:21日野朝に重家局長に車から電話して、その時に(局長が鈴木氏の)名前を出して、「いろいろいきさつがある」と言っていた。その後、野上次官に電話して、「(排除したNGOに)明日は出席してもらいなさい」と言った。野上次官は、非常に不機嫌になって「鈴木氏は難しい人だ。前からの経緯もある。鈴木氏のいうことを聞かないということにはいかない」などと言った。私が「職を賭してやりなさい」と言うと、(野上次官は)「職を賭してとは、誰が言っているのか」と強い調子で言うので、「私です」と言った。

ー議事中断ー

重家中東アフリカ局長:21日野朝8時ごろ、大臣に直接報告したことは事実だ。ただ、電話で鈴木氏の名前を含めてお話したことは、記憶にない。

ー議事中断ー

重家中東アフリカ局長:さきほど記憶について申し上げたが定かでない。そういう意味で、大臣の答弁の通りかと思う。

田中外相私は一つの決意を持って臨んでいる。政治への信頼を回復できるか、外務省改革ができるか、意を決して出てきている。次官、局長らが組織の長たる私に何も言わず、国や世界の方針を変えて何ら恥じない。さらにまた、違った証言をさせようとしていることに、あきれ返っている。

ー議事中断ー

重家中東アフリカ局長:私の方から鈴木氏に言及したことはない。ただし、外相が明確にあったとされる場合、記憶が定かでないので、なかったと断定する自信はない。

野上義二外務次官:21日の昼前に外相から電話をいただき、「排除したNGOを参加させなさい」と言われた。私は「経緯もあるようだから難しいがやってみます」などと言った。

田中外相:(次官は)自分の言ったことを正確に伝えていない。私のメモがあるが、「鈴木氏は難しい」などとある。

重家中東アフリカ局長(当時)は、田中外相(当時)との会話の中で、鈴木氏の関与に言及したかどうかについて、答弁を二転三転させ、一時は言及を認めていた。野上次官(当時)は、言及を否定した。
一方で、国会に「参考人招致」で呼ばれたNGO「ピースウィンズ・ジャパン」の大西健丞統括責任者の明確なる「発言」がある。
それにもまして、いまや「証人喚問」を終えた鈴木宗男衆院議員は、絶体絶命のピンチにある。
読者のみなさんは、容易に「誰が正しいことを言っていたか」、「誰がウソをついていたか」判断されると思う。

野上次官(当時)は、国会でこう答弁した。
「私は”経緯もあるようだから難しいがやってみます”などと言った。」
これは、彼が、NGOニ団体のアフガニスタン支援国際会議への参加排除のいきさつについて、十分認識していたことを示している。
当然、このような大問題に発展したNGO参加拒否問題の最終責任者は、彼をおいて他にない。
しかし、28日夜出された「NGO排除問題に関する政府見解」は、未だに撤回若しくは修正されていない。
その内容は次のとおり。

「NGO排除問題に関する政府見解」
一、昨年来NGOの在り方については与党も含め各方面の議論がなされ、その過程で外務省に対しても様々な意見表明がなされたことはある。

ニ、アフガン支援国会議へのNGOの参加決定にあたり、特定の議員の主張に従ったことはない。

三、本件に関して1月24日の予算委員会における田中外相の答弁と外務省事務当局の答弁との間に相違があるが、政府としては、引き続き関係者の申述等を聴取し、事実関係の確認に努める。

四、省略

さらに川口順子外相は、3月5日の会見で、NGO「ピースウィンズ・ジャパン」の統括責任者・大西健丞氏が4日の参院予算委で、アフガン復興支援国際会議からの排除は鈴木宗男衆院議員の圧力と述べたことについて、「内閣が調査し(関与を否定した)結果を発表した。尊重されるべきだと思う」と述べ、再調査の考えがないことを示した。
外相はまた、大西氏と対応した重家俊範中東アフリカ局長から事情を聞いたことを示し、「大西氏はきちんと答弁していたが、重家局長も立派な人物だ。局長より大西氏の方が正しいとは思わない」と語った。
(毎日新聞2002−03−05−17:26)

小泉首相を中心とする首相官邸は、いまや鈴木宗男衆院議員追い落としの先頭に立っているかの如くである。
鈴木衆院議員の悪業発覚の原点は、NGO排除問題にあったことを、国民は決して忘れてはならない。
小泉首相と首相官邸が、いまどれほど「エーカッコ」をしようが、未だに「アフガン支援国会議へのNGOの参加決定にあたり、特定の議員の主張に従ったことはない」などととぼけた「政府見解」を撤回もせず、外務大臣が、鈴木議員と勇気を持って対峙してきた大西氏の発言を貶めるようなことを平気で記者会見で語り、NGO排除問題の最高責任者であり、かつ田中前外相と正反対のことを国会でぬけぬけと答弁した野上前次官が、未だに外務省に居残っているという事実を、国民は決して見逃してはならない。


「言葉」は、単に表に表現されたものがすべてではない。表に表現されたものの裏に隠された「メッセージ」、それを読み取ることは、いつの時代においても、重要かつ有益な行為である。
特に、「言葉」を弄ぶ傾向のある小泉政権の本性を理解するためには、小泉首相とその政権が発する「言葉」の裏を読み取る行為は、必須といえよう。
もともとこの小泉内閣の高支持率も、総合的メディア戦略に基づき、意図的に政権から発せられた「言葉」によって支えられた、危うい数字なのであるから。
(2002/03/14)

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