目覚し時計のTAKA



コレダケハイワセテ!
Today's 目覚まし Shot

2003/2/1】 
ー「小泉訪朝」四つの無視からー

「死亡年月日入りリスト




おもしろうてやがてかなしき鵜舟(うぶね)かな  芭蕉



<怒り渦巻く>
2002年9月17日小泉純一郎首相と北朝鮮の金正日総書記との間で、日朝初の首脳会談が行われたこの日の午後3時過ぎ。日本で祈るように交渉の行方を見守っていた拉致被害者家族らは、福田康夫官房長官から東京・港区の外務省飯倉公館へ招集を受けた。そこで、死亡したとされる拉致被害者の家族はそれぞれ別室に呼ばれ、福田官房長官らから被害者の安否の報告を受けた。

同席した支援者らによると、娘の恵子さんが死亡したと聞かされた父の有本明弘さん(74)は、「殺されたのでは」、「政府はどう対応するのか」と福田官房長官に十数分間食い下がった。四家族は一緒に部屋に入り生存を伝えられたが、他の被害者の死亡が分かるとその場は凍りつき、公館内では家族同士が抱き合って泣いたという。(日経新聞2002年9月18日朝刊社会面)


同日午後6時前から、拉致被害者家族の共同記者会見が、東京・永田町衆院第一議員会館で約1時間にわたって行われた。
「今、頭の中が真っ白です。”亡くなりました”とだけ言われても。病気なのか、殺されたのか。高齢の両親にどう伝えていいのか・・・」 市川修一さんの兄・健一さん(57)
「どうやって死んだのか、きちんと聞きたい」 有本恵子さんの母・嘉代子さん(76)
「(8人の死亡を知った小泉首相は)なぜ帰国し結果を国民に伝えてから、正常化交渉を進めなかったのか。最初から決まっていたシナリオとしか思えない」 増本るみ子さんの弟・照明さん(46)


一夜明けた18日午前、東京・港区で開かれた記者会見で、眠れぬ夜を過ごして憔悴しきった表情の拉致被害者家族の口からは、次々と政府や外務省への憤りや不信の言葉が飛び出した。
「北朝鮮以上に外務省や政府に憤りを感じる。伝書バトに近い形で死亡を伝えられた。我われに真実を話すのは、外務省や政府の最低限の責任」 横田めぐみさんの弟
福田官房長官からは、”お宅の娘さんは亡くなりました”と伝えられただけ。いつ、どこで、どういうふうに細かいことは何も分からないんです」 横田めぐみさんの母・早紀江さん(66)

拉致被害者の安否について、拉致された際の状況や、死亡日時などの情報がほとんど明らかにされていない点に関して、福田官房長官は、「27日の小泉首相との会談で家族に伝える」と、関係者を通じて説明したという。(日経新聞2002年9月18日夕刊社会面)


以上が、小泉首相が北朝鮮を訪問し、金正日総書記と首脳会談を行い、「日朝平壌宣言」に署名してもたらした、拉致被害者の安否情報をめぐる昨年9月17日と18日の状況であった。



<「配慮」と「大変な躊躇」>


9月20日の各紙朝刊が、「5人目生存者はソガ・ヒトミさん」と報道した。
各紙は共通して、「日本政府が認定している8件11人の拉致被害者以外に北朝鮮が生存を明らかにした5人目の生存者は、名前の表記から”ソガ・ヒトミ”という40代の女性であることが19日、分かった」という表現をしていた。
19日、分かった」そうである。どうやってわかったのであろうか?


実は、前日19日の日経新聞夕刊1面に、次のような重大な記事が報道された。

福田官房長官19日午前の記者会見で、17日午前の日朝首脳会談の直前に、日本人拉致事件に関して北朝鮮側から、死亡した8人の被害者の死亡年月日を特定した非公式な資料が提示されていたことを明らかにした。同資料の内容は、小泉首相にも平壌滞在中に伝えられたとみられる。
外務省はこれまで「非公式な情報だ」として被害者の死亡年月日を家族らに伝えていなかったが、同日昼になって家族に通知した。
外務省幹部によると、死亡年月日を明記した非公式資料は、17日午前の一回目の首脳会談に先立って開いた事務レベル協議で提示された。拉致被害者14人の氏名と生年月日が記され、死亡者に関しては死亡年月日が記載されていた。同幹部は、「ハングルで書かれていたため翻訳に時間がかかり、死亡年月日を含む資料だと判明したのは午後の首脳会談の最中だった」と説明した。
福田長官非公式資料に関して、「(本日)19日朝まで自分自身は承知していなかった」と強調した上で、「小泉首相が首脳会談で国交正常化交渉の再開を決断した時にこの情報を知っていたかどうか、確認していない」と述べた。公表をしなかった理由については、「北朝鮮側と調整していたため」と説明した。』


20日の衆院外務委員会で、この問題が取り上げられた。

渡辺周・民主党議員: 梅本公使は、生存者と、どのようないきさつで会ったのか。なぜ記録がないのか?
田中均・アジア大洋州局長: 首脳会談前、事前の準備会合をやった時、口頭で情報開示があった。そのときに「直ちに生存者に面会の便宜を図ってくれ」と頼んだ。急遽、梅本公使が面会した。梅本公使が家族に詳細な話をさせていただいている。できるだけ早くご家族に(現地に)行っていただきたい。現在その調整をしている。

石波茂・自民党議員: 被害者がなくなった日については、未確認というただし付きで家族に伝えるべきだった。
川口順子外相: 死亡年月日は、非公式なものを出して、違ったということがあってはいけないという配慮があった。しかし、家族の方は、少しでも情報を知りたい気持ちがある。間違っているかもしれないと断って、申し上げた方が良かったと思う。
田中均局長: 家族に情報がすぐ伝わらなかったことについては大変反省している。おわび申し上げたい。北朝鮮が非公式にということで言ってきたものを使うには、大変な躊躇があった。

浅野勝人・自民党議員: 同じ日に2人死亡というのは不自然だ。
田中均局長: 先方からは、病死、または天然災害によるものだとあった。我われは、亡くなった経緯、徹底的な事実関係を開示すべきだと申し上げた。

金子善次郎・民主党議員: 安否情報はあくまで北朝鮮が出してきた情報に過ぎず、日本政府は一人残らず死亡とは断定していないと確認したい。
田中均局長: 北朝鮮から公式に来た情報で、安否情報だ。それに基づいて、事実関係の解明を進めていかなければならないし、被害者の家族の方々との面会を通じて、確認作業もやっていかなければならない。


外務省は同日夕、先の日朝首脳会談で北朝鮮側から提示された拉致被害者の死亡年月日を含む、所謂「非公式リスト」を衆院外務委員会に資料提出した。
この非公式リストは、ハングル文字で書かれたA4判2枚で、生年月日と死亡年月日は、北朝鮮で一般的に用いられる「チュチュ年」ではなく西暦の洋数字で記載されており、北朝鮮側が公式文書にすることを目的に作成した可能性も高い。
 日本赤十字社 御中

 朝鮮赤十字会は朝日赤十字会談において日本側から依頼された行方不明者についての安否調査を行った結果、集計された状況を次のとおり通知する。
 調査は、中央及び地方の各レベルの赤十字支部が人民保安省、人民委員会の当該部署と緊密に連携しつつ、全国的な範囲で実施され、新聞、放送を利用した幅広い調査を通じ、より一層深く行われた。
 調査の結果、日本側が依頼した名簿にある行方不明者のうち、2002年8月19日に通知した6名以外の12名の身元が確認された。
 その他1名は、我が領域内に入ったことがないものと確認され、名簿にない1名の身元が更に確認された。

●新たに確認された生存者の身元は次のとおり。
(1)蓮池 薫(男)
生年月日  195729
(2)奥土 祐木子(女)
生年月日  195615
(3)地村 保志(男)
生年月日  1955
(4)浜本 富貴恵(女)
生年月日  1955

●新たに確認された死亡者の身元は次のとおり。
(1)横田 めぐみ(女)
生年月日  196410
死  亡   199313
 *彼女の娘が、現在平壌に住んでいることが確認された。
(2)有本 恵子(女)
生年月日  196012
死  亡   198811
(3)石岡 亨(男)
生年月日  195729
死  亡   198811
(4)松木 薫(男)
生年月日  195313
死  亡   199623
(5)原 ただあき(男)
生年月日  1936
死  亡   198619
(6)市川 修一(男)
生年月日  19541027
死  亡   1979
(7)増元 るみ子(女)
生年月日  195311
死  亡   198117
(8)田口 八重子(女)
生年月日  195510
死  亡   198630

●我が領域内に入ったことがない対象
久米 裕(男)
生年月日  192517

名簿にない対象としての生存者
ソガ ヒトミ(女)
生年月日  195917

 朝鮮赤十字会は、生存者の家族、親戚が彼らとの面会を希望する場合、便宜を保証する用意がある。
 また、本人が希望する場合には、日本への帰国または故郷訪問が実現するよう便宜を保証する用意がある。

 朝鮮民主主義人民共和国赤十字会 中央委員会
 2002年9月17日 平壌

これが、死亡年月日入りの所謂「非公式リスト」だそうである。
ブルーの数字の部分が、原文でも同じ西暦洋数字で記載された部分である。
このA4判2枚の翻訳に、外務省は5時間かかったそうである。首脳会談で通訳を務めるほど朝鮮語(ハングル)の堪能な人物であれば、即座に理解できるような記述ではなかろうか?
特に西暦洋数字の部分は、ハングルがまったく読めない私のような人間でも、一目このペーパーを見たとき、生年月日と死亡年月日ではないかと想像がつきそうな気がするのだが・・・。読者の皆さんは、如何であろうか?
重大な外交交渉の場において、この西暦洋数字を無視できる人物とは、何者なのであろうか?私には想像もつかない性格の人物であることだけは、間違いなかろう。
なお「公式リスト」と「非公式リスト」の違いは、死亡年月日が入っているかいないかだけのようである。これも奇っ怪な話であるが、それはまた後述することとする。


文中で一つ気になった点は、「また、本人が希望する場合には、日本への帰国または故郷訪問が実現するよう便宜を保証する用意がある」との文言である。「日本への帰国または故郷訪問」とある「帰国」と「故郷訪問」の違いを常識的に解釈すれば、「帰国」とは日本への「永住帰国」を意味し、「故郷訪問」とは日本への「一時帰国」を意味するのではなかろうか?
もしそうであれば、北朝鮮は、この安否情報リストにおいてすでに、「本人が希望する場合には、日本への”永住”帰国が実現するよう便宜を保証する用意がある」ことを認めていることになる。
ならば、なぜ5人の帰国が”一時帰国”となってしまったのか?上記文言から行けば、北朝鮮は、本人の希望があれば「永住帰国」すら認めていたはずにもかかわらず・・・である。
私の推測では、5人の拉致被害者自身が、自分の子供たちのことを考え、当初は「故郷訪問」すなわち「一時帰国」を望んでいたのではなかろうか?
しかし、もはや今となっては、拉致被害者本人自身にも自分たちが当初何を考えて、それがその後どういう流れで現在に至ってしまったか、わからないのではなかろうか?まして今後、自分たちの子供たちがどのような運命を辿るのか、予想もつかないのではなかろうかと、私は思う。


そして、”ソガ・ヒトミ”さんである。
9月21日の読売新聞夕刊に適切な記事が掲載されていたので、少し長くなるが引用してみたい。

『曽我さんの父・茂さん(70)や親族らが、北朝鮮の示したリストに”ソガ・ヒトミ”という名前と生年月日があったらしいことを知ったのは、日朝首脳会談から3日後の20日朝。テレビや新聞の報道を通じてだった。この時点で外務省は、公式には「氏名不詳の一人」としか発表していなかった。
ひとみさんらの存在が大々的に報じられた翌日の21日朝になっても、茂さんのもとには、外務省から何の連絡も入ってこない。「詳しい情報を知りたいのに。外務省の対応は無責任」と憤る茂さんは、「早く連絡がほしい」と語った。
20日の衆院外務委員会終了後、公表を避けた理由について問われた田中均・アジア大洋州局長は、「警察に調査してもらっているから。プライバシーにかかわる問題もある」と述べ、警察に連絡したので問題ない、と主張した。
ところが、外務省が当初、警察庁に連絡してきた”ソガ・ヒトミ”の生年は「1957年」。行方不明の曽我ひとみさんの生年はそれより2年遅いという食い違いがあったため、同庁内には「拙速に同一人物と断定すべきではない」という意見も強かった。
しかし20日午後になって、生年の食い違いは、外務省の単純ミス(見間違いか伝達ミス)だったことが判明。リストの生年月日は当初から曽我さんと一致していた。
また警察当局が、安否リストに、被害者の死亡時期が記載されていることを把握したのは、首脳会談から2日後の19日朝だった。それまで警察庁警備局は、外務省からの電話連絡で、被害者の氏名と生年月日、それに生死の別だけしか知らされていなかった。「仮に被害者が亡くなったとして、その真相を究明するのは我われ警察。死亡時期は捜査上重要な要素なのに、これだけ時間がかかるのはいったい、どういうことか」。同庁の担当者は、そう指摘した。』


上記の安否リスト、所謂「非公式リスト」には、はっきりと
名簿にない対象としての生存者
ソガ ヒトミ(女)
生年月日  195917
と書いてある。9月19日の読売新聞夕刊1面の記事の中に、次のような記述を見つけた。

『リストの存在をめぐって、外務省はドタバタ劇を演じた。首脳会談に同席した田中均局長19日朝、省内で待ち構えていた報道陣に囲まれた際には、何を聞かれても、「死亡日時は知りません」と素っ気ない答え。
田中均局長とともに、首脳会談前の北朝鮮側との準備会合に同席した平松賢司・北東アジア課長も、「今、確認中」と、足早に幹部らとの協議に向かった。ところが、午前10時40分過ぎになって平松課長は、「非公式な形で北朝鮮側からリストの提示はあったようだ」としぶしぶ認めた。
発表しなかったのは、「最終的な(北朝鮮からの)文書には含まれておらず、慎重な取り扱いが必要だと判断したからだ」と説明。さらに、「北朝鮮側からリストが提示された場にはいたが、私の所には回覧されてこなかった」「ハングルで書かれていたので、そういうリストとは知らなかった」などと弁解した。
また、18日午後に外務省で行われた一部家族との面会に同席した際、情報を伝えていなかったことについては、「フワフワした情報をお伝えするのは良くないと思ったので・・・」と消え入りそうな声で語った。』

19日朝、報道陣に「死亡日時は知りません」と素っ気なく答えた田中均・アジア大洋州局長は、ウソツキだ。
19日午前に、福田官房長官が、北朝鮮側から提示された8人の被害者の死亡年月日を特定した非公式資料の存在を発表した。
警察庁へは、同日の午前中に拉致被害者8人の死亡日時が連絡されたという。同時に、”単純ミス”で間違った生年月日とともに、”ソガ・ヒトミ”さんの調査依頼も提出された。外務省はまた昼過ぎには、被害者家族へ死亡日時の連絡を行った。
「5人目生存者はソガ・ヒトミさん」との情報が「19日、分かった」理由は、そういう経緯であった。


日本政府が北朝鮮に対し拉致被害者の安否情報を求め、小泉首相までが北朝鮮を訪問し金正日総書記と首脳会談を開くという経緯の下で、北朝鮮が提出してきた拉致被害者に関する安否情報リスト。
日本政府が拉致被害者と認定していないにもかかわらず、北朝鮮が自ら提示してきた「●名簿にない対象としての生存者 ソガ ヒトミ(女) 生年月日195917」なる人物。

田中均局長は、日朝首脳会談当日の17日にはすでにわかっていた”ソガ ヒトミ(女)”なる拉致被害者の名前を公表しなかった理由を問われて、警察に調査してもらっているから。プライバシーにかかわる問題もあると述べた。
日本政府が認定していないにもかかわらず、北朝鮮が拉致被害者として小泉訪朝団に通知してきた”ソガ ヒトミ”なる人物の名前を外務省が公表することの、どこの誰に対して「プライバシー」の問題が存在するというのか?

「救う会」(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会)によれば、北朝鮮が国内外で拉致した日本人の総数は、政府認定の8件11人を除いて約60人に上ると推定されている。
ソガ ヒトミ”なる人物の名前を、「プライバシー」の名の下に国民に公表することを差し止めた外務省の田中均局長は、日本政府に認定されてはいないが北朝鮮によって拉致されたのではないかと長年に渡り深く憂慮してきた約60人の家族の心情を、どのように考えているのであろうか?
いったいこの男に、北朝鮮自身が拉致しましたと告白し提示してきた拉致被害者の名前を、日本国民に開示しない権限があるというのか?

死亡時期は捜査上重要な要素なのに、これだけ時間がかかるのはいったい、どういうことか」と、警察庁も怒っている。
詳しい情報を知りたいのに。外務省の対応は無責任」と、ソガ ヒトミさんの父・茂さんも憤っていた。そして・・・



<公開質問状>


19日昼過ぎに外務省から死亡日時の電話連絡を受けた被害者家族の怒りは、激しかった。

「なぜ一番優先すべき家族に言ってくれなかったのか。外務省の神経を疑う。本当にひどい。何を考えて仕事をしているのか」 有本嘉代子さん
「外務省は、この死亡年月日は北朝鮮から提供されたリストに載っていたものではなく、断片的な情報を集めたもので、正式なものではないと説明していた」 横田滋さん
「電話をかけてきた外務省の担当者に、”殺されたのか、病死なのか”と迫ったが、担当者は”全然情報がない”と答えるだけ。さらに、(死亡年月日については)政府から、家族に言わないように止められていた”と説明された私は、(修一さんが)死んだとは思っていない。北朝鮮の情報は信じられないし、これからも希望を持って戦い続ける」 市川健一さん
(日経新聞2002年9月19日夕刊/20日朝刊社会面)


9月19日の日経新聞夕刊社会面に、外務省OBで日本赤十字看護大学教授(国際人道法)の小池政行氏による、自らの体験から来たものかどうかは定かではないが、興味深いコメントが掲載されていたのでご覧いただきたい。

『外務省は拉致問題について、当事者意識が欠けているうえ、人の生死にかかわる仕事をしているという意識がない。今回の拉致被害者に関する情報も”独占”し、何年も安否を気にしてきた家族に対しては、「死亡していました」とだけ伝えたというのは、その最たるものと言える。
朝鮮半島の安定、国交正常化にだけ重きを置いたと判断したのだろうが、一方で自分たちの力が足りないから拉致問題が解決しなかったなどとは、露とも思ってないだろう。』

余談になってしまうが、「小泉訪朝」を取り上げた<もてあそぶ男「小泉純一郎」>の中で、次のように書いたことがある。
「小泉訪朝」の何が問題なのか?問題は、「当事者意識」だ。
率直に言わせてもらおう。日本の政治家・官僚は、「井の中の蛙」だ。
日本国内で権力を貪(むさぼ)り、物言わぬ従順な国民を相手に日本の資産を食い潰している間に(海外勤務する外務官僚を思い浮かべていただきたい)、自己中心的にしかものを考えられなくなり世界の真ん中に日本が存在すると思い込んでしまった国際社会の片輪な存在なのだ。
最近よく感じるのは、日本の多数の国民そのものが、「当事者意識」を欠如してしまっているのではなかろうか、という残念な思いである。むかし流行った「一億総評論家」などという言葉も、国民の「当事者意識」の欠如を指摘するものであったであろう。


怒れる「家族会」(横田滋代表)と「救う会全国協議会」(佐藤勝巳会長)は9月20日、これまで報じられている日朝首脳会談での「安否情報」疑惑について、交渉の実務責任者である田中均・外務省アジア大洋州局長に、以下の公開質問状を送ったという。

                                         平成14年9月20日     
  外務省アジア大洋州局長
       田中均様
「北朝鮮による拉致」被害者家族連絡会 
                                       代表 横田 滋    
                               北朝鮮に拉致された日本人を救出する 
                               ための全国協議会             
                                      会長 佐藤勝巳    

公開質問状
 私たちは今回の小泉総理訪朝でもたらされた拉致被害者8件11人の情報の信憑性について、強い疑念を持っています。この情報が北朝鮮側の捏造であった場合、対応によっては現在生きている人が抹殺される可能性もないとは言えません。今回の首脳会談において実務の責任者であったあなたには、その事実関係を明らかにし、誤りがあれば国民の前に直ちに訂正すべきであります。以下の質問への誠意ある回答を求めます。

、17日飯倉公館で福田官房長官と植竹副大臣は横田・有本・増元・市川4家族に対し、それぞれの被害者が死亡していると告げました。しかし翌18日夕刻、横田・蓮池両家族及び救う会事務局長荒木が梅本公使と会った際、梅本氏は他の被害者についても「死亡を確認したわけではない」「自分は聞いたこと、見たことを東京に伝えただけ」と語っています。平壌の未確認情報が誰の手によって家族のもとに事実として伝えられたのか、明らかにしてください。

、情報が未確認のものであるのなら、マスコミが死亡を既成事実として報道したのは誤報であるはずです。なぜそのような報道をしたマスコミに対して抗議をしないのか、明らかにしてください。

、なぜ、北朝鮮から渡された通知書の原本を開示しないのか、明らかにしてください。あるいは口頭で伝えられたものもふくめ、なぜ最初から家族にすべての情報を開示しなかったのか、明らかにして下さい。

、生存とされた4人についても面会した梅本公使は本人確認のための証拠を確保していません。なぜ、本人の映像ないし写真や音声を記録してこなかったのか、あるいは本人たちが両親に会いたいと言っていたにもかかわらずその場で手紙さえ書かせなかった理由は何なのか、説明してください。

 以上の質問事項に対し、9月25日水曜までに、書面による回答をされるよう求めます。


上記公開質問状に対し、田中均・外務省アジア大洋州局長は、次の回答を公表した。
                             平成14年9月25日  
                              亜北第10556号   
 「北朝鮮による拉致」被客者家族連絡会
         代表 横田 滋  殿
 北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会
         会長 佐藤勝巳  殿
 
                        外務省アジア大洋州局長 

公開質問状について(回答)
 平成14年9月20日付貴会からいただきました公開質問状に対しては、以下のとおり回答いたします。小職は、担当局長として拉致問題の解決のため誠心誠意努力してきているつもりですが、被害者の御家族のお気持ちを思う時、いだたまれぬ気持ちを抱き続けていることを申し添えます。

、拉致被害者の安否情報の北朝鮮側からの伝達、及び被害者の御家族への伝達の事実関係については以下のとおりです。

(1)日朝首脳会談が行われた17日の午前10時に急遽開かれた事務レベルの準備会合において、北朝鮮側外務省のマ・チョルス局長より小職に対し、朝鮮赤十字会が日本赤十字社に対して行う予定の通報内容につき、口頭にて説明がありました。その際、日本側よりは、徹底的な調査を行うよう要請しました。

(2)その後(16時頃)、朝鮮赤十字会から日本赤十字社への通知の内容を文章の形で事前に入手しましたが、その内容は、午前中の準備会合の場で行われた口頭の説明と同様のものでした。東京への報告は、これを踏まえ行いました。

(3)東京では、上記報告接受後、直ちに、福田官房長官及ぴ植竹副大臣より飯倉公館で待機中の御家族に対し、その内容を伝達しました。

(4)なお、その際、御家族に伝達したのは、あくまでも北朝鮮側から通報のあった内容であり、政府として関係者の安否を確認していたわけではありません。御家族への連絡もその前提で行いましたが、この点について御家族の方々に誤解を与えることになったとすれば残念であると考えています。

、報道関係者には、上記1、(2)の朝鮮赤十字会から日本赤十字社への通知の内容に基づき、小職が平壌においてブリーフィングを行いましたが.このブリーフィングを踏まえて報道関係者が御指摘のように死亡を既成事実として報道したとすれば残念です。この点につきましては、政府としても、累次の機会に、御家族に伝達したのはあくまでも北朝鮮側から通報のあつた内容である旨言及しています。

、(1) 17日の準備会合終了後(10時30分)に北朝鮮から非公式なものであり、後刻正式な通知書を手交するとして渡された文書(朝鮮語)は、首脳会談が行われている間に、これを翻訳した結果、被害者の死亡年月日が記載されていることが判明しました。

(2)但し、被害者の死亡年月日に関する情報は、北朝鮮側が非公式な形で伝達してきたものであり、北朝鮮側が正式な通報に含めなかった情報につき、先方と未調整のまま公表することは不適切であり、死亡に係る事実関係等については、今後北朝鮮に確認していくことが適当であると考えました。したがいまして、協議で口頭にて説明があり、その後文書にて正式な通報があった内容に基づき、御家族にお伝えし、またこれを公表することとしたものです。

(3)しかしながら、その後、非公式な情報であれ、やはり御家族には、非公式な情報であり今後確認する必要がある旨明らかにした上で、全ての情報をお伝えすべきだと考え、19日に御家族に伝達しました。結果として、情報の伝達が遅れたことについては、御家族に対し申し訳なく思っており、お詫ぴ申し上げます。

、 生存されていると北朝鮮側から通知を受けた方々と梅本平壌連絡本部長との面会は、北朝鮮側から17日の午後、急遽連絡を受けて行われたものであったため、万全の準備の下に行われなかったことは事実です。もう少し本人確認の手段を尽くすべきであったとの御家族の御指摘を重く受け止めています。

 このような状況も踏まえて、今般北朝鮮側より提供された情報については、更に詳細な情報の速やかな提供を北朝鮮側に求めていく考えであり、そのために、9月28日(土)から10月1日(火)の日程で、事実関係を解明するための事実調査チームを北朝鮮に派遣することにしました。その結果の報告を含め、今後御家族への連絡には万全を期す考えです。(了)


田中均局長は、公開質問状にこう回答している。
17日の準備会合終了後(10時30分)に北朝鮮から非公式なものであり、後刻正式な通知書を手交するとして渡された文書(朝鮮語)は、・・・
また、こうも回答している。
被害者の死亡年月日に関する情報は、北朝鮮側が非公式な形で伝達してきたものであり、北朝鮮側が正式な通報に含めなかった情報につき、先方と未調整のまま公表することは不適切であり、死亡に係る事実関係等については、今後北朝鮮に確認していくことが適当であると考えました。
私は、上記田中均局長の回答の不可思議性を、当事者である北朝鮮側と日本側の立場から分析してみたい。


まず<北朝鮮の立場>。
非公式リスト公式リストの違いは、死亡年月日が入っているか、いないかだけであるらしい。
その安否リストの中で北朝鮮は、<●新たに確認された死亡者の身元は次ぎのとおり>として、8人の拉致被害者の名前をリストアップしている。すなわち、北朝鮮は、その8人が死亡したことを公式に確認しているのである。
それならば北朝鮮は、死亡を確認した拉致被害者の死亡年月日を、なぜ「非公式」にしなければならないんだ?
死亡時期を確定することなくして、北朝鮮は、どうやって死亡を確認したんだ?
誰だって、死亡年月日はわからないが死んでいますと言われた場合、その遺体を自分の目で確かめない限りは、「はい、わかりました」と言えるわけなかろう。
北朝鮮側が、拉致被害者8人の死亡を確認すると同時に、被害者の死亡年月日を入れたリストを日本側に提示してきたのは当然と言えば当然の行為であり、逆に、死亡年月日を「非公式に」と言ってきたとすれば、そのことの方がよほど筋の通らない話のように思える。だいたい、非公式な内容を、なんでわざわざ北朝鮮が文書の形で日本側へ通知するんだ?
ましてやその後、訪朝した日本政府調査団に対して北朝鮮は、「非公式リスト」記載の死亡年月日を訂正するどころか、死亡証明書(内容には多いに疑義あるところだが)まで提出してきた。
これらのことから推論できることは、9月17日の時点においても、北朝鮮側には、死亡年月日を非公式にする根拠は全くなかったということである。


今度は<日本側の立場>を考えてみよう。
田中均局長は、衆院外務委員会では質問に、「北朝鮮が非公式にということで言ってきたものを使うには、大変な躊躇があった」と答弁している。
日朝交渉ではカヤの外にいたはずの川口順子外相ではあったが、そこは大臣の立場から同じく衆院外務委員会で、外務官僚の用意した次のような弁明の答弁をしている。
死亡年月日は、非公式なものを出して、違ったということがあってはいけないという配慮があった。

17日の段階ですでに判明していた死亡したとされる拉致被害者の死亡年月日を、19日まで連絡されなかった警察庁の担当者は、「仮に被害者が亡くなったとして、その真相を究明するのは我われ警察。死亡時期は捜査上重要な要素なのに、これだけ時間がかかるのはいったい、どういうことか」と、重要な問題点を指摘していた。
死亡時期は捜査上重要な要素
なのだ。死亡年月日を確認せずして、なぜ死亡したことが確認できるのか?
小泉首相は、北朝鮮へ、拉致被害者の情報を得ることを目的の一つとして、行ったのではなかったか?
拉致被害者の情報を得るためにわざわざ平壌まで足を運んでおいて、北朝鮮が出してきた拉致被害者の「死亡年月日」という重要な情報を、「非公式なものを出して、違ったということがあってはいけない」などという「配慮」をして、”クサイモノニフタ”をしてどうするんだ?
まして「北朝鮮が非公式にということで言ってきたものを使うには、大変な躊躇があった」などと、日本人を拉致した金正日の犯罪国家・北朝鮮に、「配慮」や「大変な躊躇」をしてどうするんだ?
ウソかホントかは別として、北朝鮮が「非公式に」と言って提示してきた安否リストに、拉致被害者の死亡年月日という日本側にとって重大な情報が記載されていることが判明したなら、「こんな重大な情報を非公式にするわけにはいかない」と、北朝鮮に対して日本側から公表に持っていかせるのが筋ではないか。

「死亡を確認しました」と言われて、「はい、そうですか」。「死亡年月日は非公式に」と言われて、「はい、わかりました」。そのくせ、「御家族に伝達したのは、あくまでも北朝鮮側から通報のあった内容であり、政府として関係者の安否を確認していたわけではありません(田中均局長)だと。
安否を確認していないならなおさら安否を確認するための重要情報である「死亡年月日」入りリストを提示されて、「先方と未調整のまま公表することは不適切(田中均局長)だと「大変な躊躇(田中均局長)をした上で、「死亡年月日は、非公式なものを出して、違ったということがあってはいけない(川口外相)などと北朝鮮へ余計な「配慮(川口外相)をして、「一番優先すべき(拉致被害者)家族(有本嘉代子さん)へは「亡くなりました」とだけ「伝書バトに近い形(横田めぐみさんの弟)で伝え、外務省内では「プライバシーにかかわる問題もある(田中均局長)から「家族へ言わないように(市川健一さん)と口止めし、報道陣には「死亡日時は知りません(田中均局長)とスットボケテ、あげくの果てには、「非公式な情報であれ、やはり御家族には、全ての情報をお伝えすべきだ(田中均局長)と考え直したんだと。

これが「官僚」である。読者の皆さん、これが我われの税金で食っている、日本の「官僚」という”怪物”の実態なのである。
要するに一言で言えば、田中均局長は、北朝鮮に「大変な躊躇」をして死亡年月日入りリストの公表を差し止めたやり方が、誤りであったと認めたわけだ。当たり前だろ、ドアホ!
オマエみたいな売国官僚以外は、最初からそんなことはわかっているんだ、ドアホX2!



<「売国官僚」と小泉首相>


このドアホの売国官僚が、国会で涙を流した。

『参院は9月26日、決算委員会を開き、先の日朝首脳会談の結果などを審議した。
日朝首脳会談の舞台裏を仕切った外務省の田中均・アジア大洋州局長が参院決算委員会で答弁中、涙を流し10秒以上も絶句する場面があった。涙を見せたのは、北朝鮮側から拉致被害者の安否情報を伝えられた場面に触れ、「8人の方が亡くなっているとの情報に接したときの気持ちをいまだに引きずっている」と述べた直後。クールなエリート官僚のイメージで売る田中氏だけに、委員会室も水を打ったように静まり返った。』
(http://www.sponichi.co.jp/society/kiji/2002/09/27/05.html)


京大法学部卒。昭和44年外務省入り。北米局北米第二課長、総合外交政策局総務課長、北米局審議官、経済局長などを経て、2001年9月にアジア大洋州局長に就任。
昨年7月時点ですでに年内の外務審議官(事務方ナンバー2)昇格が内定し、日朝交渉の成果次第では先行き次官の目も、と言われたこのクールなエリート官僚、田中均・アジア大洋州局長の涙については、「死亡年月日入りリスト」でミソをつけ拉致被害者家族から拒否反応を受けて、不本意にも日朝交渉の窓口を安倍晋三官房副長官に譲らざるを得なくなり、次官レースから大きく後退したことの悔し涙であった、という説が真実味を帯びて語られていた当時の状況であった。


そして、昨年も押し詰まった12月20日付で、「外務審議官 田中均」への昇格人事が発令された。
こんなウソツキ売国官僚が外務省事務方NO.2となって日本外交を担う近未来を頭に描くと、否応なく愕然とした思いに捉われる。
『省内には、「こんな人が外務次官になれば、国を誤る」とささやく向きもある。』(読売新聞2002年9月21日朝刊)
このドアホの売国官僚を、なぜこうも小泉首相が庇い立てするのかに関して、日朝首脳会談当日の「死亡年月日入りリスト」、所謂非公式リストのしがらみを抜きには考えられないーーというのが、私の推論である。
小泉首相田中均・アジア大洋州局長と「非公式リスト」のしがらみを解きほぐすために、話は一気に日朝首脳会談が開催された昨年9月17日に遡る。


2002年9月17日。平壌市内の「百花園迎賓館」。午前11時過ぎ。
小泉純一郎首相と北朝鮮の金正日総書記が、日朝首脳会談を前にして、初めて顔を合わせた瞬間であった。
硬い、強張った表情の小泉首相。その表情の裏には、この一大イベントを陰で演出してきた外務省の田中均・アジア大洋州局長から直前に伝えられた、政府認定拉致被害者11人に関する思いもよらぬ安否情報の結果があった。

これに先立つ午前10時過ぎ、田中均・アジア大洋州局長と北朝鮮の馬・チョルス アジア局長との間で、首脳会談前の事務レベル協議が行われた。日本側は他に、平松賢司・北東アジア課長と通訳一人が同席した。
この協議の席上、日本側が要求していた政府認定拉致被害者8件11人の安否情報に関して、馬局長から口頭で衝撃的な内容が伝えられた。「朝鮮赤十字会は、後で次のような内容を日本赤十字社に通報する。行方不明者調査で確認された生存者は5人。確認された死亡者は次ぎの通り。横田めぐみさん、有本恵子さん・・・」
そして事前協議終了後の10時半、北朝鮮側の通訳から日本側通訳に、ハングルで書かれた安否リスト(所謂「非公式リスト」)が手渡された。安否リストがこのような状況で手渡されたことをもって、田中均局長は、「北朝鮮側が非公式な形で伝達してきたものであり」として、この安否リストを「非公式リスト」と位置づけた。
この安否リストはハングルで書かれていたため翻訳に回されたが、「最も朝鮮語に堪能な職員が通訳に入っていて、現場の限られた職員での翻訳作業に手間取った」(外務省幹部)そうだ。
馬局長から拉致被害者の安否情報を伝達された田中均局長は、直ぐに小泉首相に生存5人、死亡8人、不明1人というその内容を報告した。この際、所謂「非公式リスト」は持参しなかったという。
11時3分、「百花園迎賓館」に到着した金正日総書記を出迎える小泉首相の顔は、拉致被害者死亡8人という衝撃的情報に硬く強張っていた。

午後2時過ぎから始まった二回目の首脳会談は、予定を1時間も早めて3時半過ぎには終了した。その後、控室で「日朝平壌宣言」の文言調整をしていた小泉首相田中均局長らのもとに、「非公式リスト」の翻訳資料が届けられた。10時半過ぎに北朝鮮側から手渡されてから、約5時間が経過していた。
午後4時頃、朝鮮赤十字会から日本赤十字会へ宛てられた形式の「正式リスト」が、北朝鮮側から渡された。正式リスト」と「非公式リスト」の相違点は、死亡年月日が入っているか否かだけであった。
田中均局長は、死亡年月日入りのリストは、「北朝鮮が、非公式な形で伝達してきたものであり、正式な通報に含めなかった情報につき、先方と未調整のまま公表することは不適切である」と首相に提言し、小泉首相も、非公式な情報を家族に伝えないことを了承した。
午後5時半、「日朝平壌宣言」の署名式が行われた。


「死亡年月日入りリスト」は、そこここに怒りの渦を巻き起こした。
9月21日の読売新聞朝刊1面に、日本赤十字社の怒りのコメントを取材した記事が掲載された。

日本赤十字社は20日、拉致被害者の死亡年月日が記載された朝鮮赤十字会から日赤あての安否リストについて、外務省が日赤に渡さないまま公表したと指摘、「極めて当惑している」との抗議談話を発表した。日赤は平松賢司・北東アジア課長に、「リストの存在すら知らせないとはどういうことか」と抗議した。』


日本赤十字社は、リストの宛先人であるにもかかわらず、リストそのものの存在すら知らされていなかった。
他にも、「非公式リスト」の存在を知らされていなかった大物が若干名いたようだ。
19日午前の記者会見で、政府関係者として初めて国民に「死亡年月日入りリスト」の存在を公表した福田官房長官は、「(本日)19日朝まで自分自身は承知していなかった」と強調した。
小泉首相の北朝鮮訪問に同行した安倍官房副長官は、19日夕の記者会見で、「(17日に死亡年月日が記載されたリストの翻訳資料が配布された時)その場にいなかった。(その後も)自分はリストの存在を知らされず、今日(19日)アジア大洋州局に問い合わせて初めて知った」と、外務省の官僚的判断を批判した。
内閣総理大臣を支える内閣府NO.2のポストである内閣官房長官と官房副長官が、そろってカヤの外に置かれていた「死亡年月日入りリスト」の情報。

しかし、もちろん、内閣府NO.1ポストの内閣総理大臣・小泉純一郎は、17日に「死亡年月日入りリスト」の存在を知った。
にもかかわらず、なぜ、小泉首相はそのリストの存在を、首相の女房役とも言われる官房長官の福田氏と、小泉訪朝に同行し帰国後は拉致問題に関して内閣の窓口的存在となっていた安倍官房副長官に伝えようとしなかったのであろうか?
秘密外交を得意とする外務省の田中均局長が、福田官房長官や煙たい対北朝鮮強硬派の安倍官房副長官をツンボ桟敷に置いておきたかった気持ちはわかる。
また、小泉首相が、日朝国交正常化交渉再開に障害となりそうな「死亡年月日入りリスト」非公式リストと位置づけて、拉致被害者家族の目から遠ざけて置きたかった気持ちもわかる。
しかし、なぜ、自分の手足ともなる福田官房長官安倍官房副長官にその情報を伝えなかったのか、大いなる疑問が湧いてくる。

小泉首相がこの「死亡年月日入りリスト」の存在を知ったのは、金正日総書記との午後の首脳会談を終えて、田中均局長と「日朝平壌宣言」の文言調整をしていた3時半から4時の間と言われている。ほんとにそうだったのか?
日本側の通訳が北朝鮮側の通訳から非公式リストを受け取ったのが午前10時半過ぎ。A4判2枚の西暦洋数字の混じったハングル文字を、朝鮮語に堪能な外務省のスタッフが翻訳するのに、5時間もかかるというのであろうか?
ある人は5分もあれば十分だと言うが、それはともかくとして、せいぜい1時間もあれば翻訳は完了していたのではなかろうか?10時半過ぎから1時間、すなわち12時からの昼食休憩の前には、この非公式リストの翻訳は十分完了していたのではなかろうか?


拉致被害者の死亡年月日情報を伝えられなかった被害者家族の外務省に対する怒りが渦巻いた19日、小泉首相は度重なる記者団の質問に、あやふやな答えを返すに終始した。
9月20日の産経新聞には、記者団に答える小泉首相のブレ具合を鋭く突いた次のような記事が掲載されていた。

『拉致被害者の「死亡日」を記載したリストの”隠蔽”が発覚した19日、小泉首相は当初、リストを知ったのは17日の1回目の首脳会談後の「昼休み」としたが、その後は「日朝平壌宣言」署名直前の可能性にも言及し、「覚えていない」と、2日前の出来事にあやふやな答えを連発した。19日午後に、署名前とする”公式見解”を出したが、被害者家族への通知を指示しなかったばかりか、不自然な死亡日の載る重要なリストに関する首相のあいまいさは、国民からの不信感を高める危険性をはらんでいる。

記者団「死亡日のリストの存在をいつ知ったのか」
首相「いつだったかな。昼休みだったかな・・・。ちょっと覚えてない・・・」
19日午後、首相はリスト隠蔽問題で記者団から矢継ぎ早の質問攻めを受け、面食らった様子で「(リスト)は向こうで見た」と言ったかと思うと、「個人の死亡年月日は知りません」と否定してみせた。
記者団が改めて「死亡した年月日を知った上で署名したのか」との質問には、「もちろんです」と述べるなど、かみ合わないやり取りが続いた。
わずか2日前の出来事で、しかも首相が最重要視した拉致被害者に関する詳しい情報をいつ知ったか覚えていないことには疑問が残るが、首相はその後の内閣記者会のインタビューでも、「見たのは第1回の首脳会談の後の休憩時間か、会談が終わって「日朝平壌宣言」に署名する前か。どっちだったかちょっと覚えていない」と述べた。
首相は、不自然な死亡日にも、席を立って帰る考えは「まったくなかった」と明らかにした。ただ、首相が昼休みに知ったならば、2回目の会談で金総書記に問いたださなかった不手際が鮮明になり、日朝国交正常化交渉の再開に合意した首相は、「(被害者の)人命を大事に思って交渉したとは思えない」(民主党鳩山由紀夫代表)などと国民からの批判の嵐にさらされることも想定された。
このため、首相サイドは首相の記憶があいまいなまま、「署名直前」との”公式見解”をとることにしたといえる。』
小泉首相インタビューの要旨は、次の通り。
(死亡日が掲載されたリストを)見たのは午前の首脳会談後の休憩時間か、あるいは会談が終わって「日朝平壌宣言」に署名する前。どちらだったか、覚えていない。
年月日よりも死亡者が多かったことに衝撃を受けた。今までの予想と違っていた。多くの方は生存していると思っていた。
(死亡日を伝えなかったのは)遺族の立場もある。大きなショックを受ける立場を考えたのではないか。
一番知りたいのは、生きているかどうかだ。外交交渉なので北朝鮮の立場も考えなければならない。公表できるもの、非公表のものがある。差し支えないものは全部発表しなさいと、外務省には指示した。
拉致を認めるかどうかに大きな関心があった。認めないだろうという予測の方が大きかった、金正日総書記が拉致を認め、おわびを申し上げるとはっきり言った。二度とこういうことはさせないと言った。そのことの方が重要だと思った。今後の交渉の場で事実を解明しないと解決しない。拉致事件をけしからんと言って、このまま交渉を決裂させたらまったく手がかりがなくなる。
(拉致被害者家族には)今年3月に会っている。そこで十分家族の気持ちを分かって水面下の交渉を行ってきた。私は一貫して拉致問題の進展無くして、国交正常化交渉を再開する意思はないと明確にしてきた。私を信じてもらえないのかという気持ちだった。
拉致問題はじめ、工作船、安全保障、過去の問題、現在の問題、将来の問題を総合的に判断した結果、交渉再開を決断した。十月に交渉を再開する方針でやる。今後の交渉次第だが、期限は設定しないほうがいいのではないか。早いにこしたことはない。日朝の府正常な関係の局面打開を図らないと、安全保障も拉致も一歩も進まない。一歩でも進めようと思った。今回の「日朝平壌宣言」が誠実に守られることが前提。
拉致問題はこれまで何度も交渉した。その中でコメの支援もあった。明らかにならない段階でそのような援助協力が効果があったのか。当然あると思ってやったのだろうが、結果的に変わらなかった。

小泉首相が近い過去の自分の発言あるいは行動について質問されて、「覚えていない」と曖昧に返答したケースが、二回だけある。小泉首相はこれまで、何事に対しても歯切れのいい、しかも耳当たりのいいワン・フレーズの返答で、国民の高い支持率を維持してきた。
それだけに、ほんの1〜2週間前、あるいは今回のようにわずか2日前の自分の行動や発言に対して、「覚えていない」などと奇っ怪な曖昧な発言をすると、余計に目立つことになる。
私の記憶する一回目の「覚えていない」が今回であり、二回目は、同月24日に開かれた衆院予算委員会でのことであった。
民主党の若手有望株、原口一博議員の質問に、「ブッシュ米大統領との会談で、(北朝鮮核開発継続の)情報は受けている」と答えた小泉首相は、訪朝直前の9月12日に行われた日米首脳会談の席上でのことであったかとの原口議員の追求に、「いつかは覚えていない」と答えた。
いずれもが「小泉訪朝」にからんでいることが、興味深い。支持率アップを第一の目的として、北東アジアの火薬庫、金正日の北朝鮮で火遊びしてパンドラの箱を開けてしまった小泉純一郎。
本日のニュースでも、北朝鮮が使用済み核燃料棒を核施設から搬出したとの記事が報道されている。小泉純一郎が訪朝しなければ、ケリーが訪朝することもなかったであろうし、北朝鮮の外交姿勢は「小泉訪朝」前とまったく変わっていなかったかもしれない。
いまや米国は、核をすでに所有し脅しをかけている北朝鮮の手前、いったんイラクへ振り上げた拳(こぶし)を決して戻すわけにはいかない。もしそんなことをすれば、北朝鮮がますます手に負えなくなってくるのは目に見えている。「小泉訪朝」がなければ、国際世論の前に、ブッシュ米国がイラクへの攻撃を延期する状況もあり得たかもしれないが、現状は、次に控える北朝鮮のために、逆にイラク攻撃を早めてきているのが実態かもしれない。
「死亡年月日リスト」隠しと「北朝鮮核開発継続」隠しに対して、両者ともに都合よく「覚えていない」と言うのは、あまりに偶然過ぎないであろうか?「死亡年月日リスト」隠しと「北朝鮮核開発継続」隠しは、私の”「小泉訪朝」四つの無視”の中の二つである。

小泉首相自身が、「見たのは午前の首脳会談後の休憩時間か」と言っているのだから、おそらく昼休憩時間に、田中均局長から「死亡年月日入りリスト」の翻訳を見せられ、二人してこれを「非公式リスト」として無視し、拉致被害者家族に伝えない方針を決定したのであろう。
小泉首相は、「年月日よりも死亡者が多かったことに衝撃を受けた」と明言した。これは、初めて「死亡年月日入りリスト」を見たときに言うセリフである。
小泉首相は、午前10時半過ぎには、田中均局長から口頭で8人死亡の衝撃的情報を聞いたはずである。ましてや、午前の首脳会談の冒頭にこの問題を取り上げ、金正日総書記に決断を迫った状況があった。これにより午後2時過ぎ再開した首脳会談の冒頭に、金正日総書記が拉致を認めて謝罪する発言に結びついた流れがある。
その首脳会談が終了して、午後3時半から4時の間に田中均局長と「日朝平壌宣言」の文言調整をしているときに、翻訳された「死亡年月日入りリスト」が小泉首相に届けられたという。
それを目にした小泉首相が、8人死亡の情報を初めて聞いた10時半過ぎから5時間経過して、金正日が拉致を認め謝罪し首脳会談が終了して、「日朝平壌宣言」の文言調整をはじめているときに「死亡年月日入りリスト」を見せられて、いまさら「年月日よりも死亡者が多かったことに」衝撃を受けたりするものであろうか?
普通の正常な人間であれば、8人死亡という情報はすでに知った事実であり、新たに初めて判明した有本恵子さん石岡亨さんが同日に亡くなっていたという情報に、重い衝撃を受けるものではなかろうか?
この点ひとつとってみても、小泉首相自身が言う、「見たのは午前の首脳会談後の休憩時間か、あるいは会談が終わって「日朝平壌宣言」に署名する前。どちらだったか、覚えていない」という発言のうち、午前の首脳会談後の休憩時間に見たとする方に、よほど現実味がある。

また小泉首相が、「公表できるもの、非公表のものがある。差し支えないものは全部発表しなさいと、外務省には指示した」と語っているところから、拉致被害者家族に死亡年月日の情報を流さない最終決断をしたのは、小泉首相自身であったとわかる。
さらに小泉首相は、「遺族の立場もある。大きなショックを受ける立場を考えたのではないか」などとスットボケタことを語っているが、被害者家族が大きなショックを受けたのは、死亡年月日という死亡者の「命日」を家族に伝えなかった、小泉首相と外務省の隠蔽体質にあることをわかっていないのであろうか?
さらに小泉首相は、拉致被害者家族に「今年3月に会っている。そこで十分家族の気持ちを分かっている」ようなことを言っているが、これも拉致被害者家族にとってみれば笑止ものであろう。
当時の報道記事を繰ってもらえばわかることだが、小泉首相の被害者家族との面会時間は、歴代総理中最短の十数分であったという。被害者家族は当時、みな怒っていた。
9月27日に、「小泉訪朝」後初めて行なわれた小泉首相と拉致被害者家族との会合では、”ドデカイ”テーブルを間に挟んで、カの鳴くようなカ細い声で喋る小泉首相に、終了後記者団から感想を聞かれた拉致被害者家族は、「何も聞こえなかったから、感想と言われても・・・」とそろって困惑の表情を見せていた。


そしてコメである。
小泉首相は19日、記者団にこう語った。「その中でコメの支援もあった。明らかにならない段階でそのような援助協力が効果があったのか。

翌20日、小泉首相は同日収録のテレビ番組(フジテレビ系「報道2001」)で、
@人道問題で黙って見ていていい場合と、そうでない場合がある。
A人道援助にはコメだけでなく災害もあり、国際社会や赤十字などと相談する
ーーと指摘。世界食糧計画(WFP)などの要請があれば、国際社会と連携して北朝鮮にコメ支援など人道援助を実施することを検討する意向を示した。(日経新聞2002年9月21日朝刊1面)


19日の小泉首相の記者会見の内容が、いかに欺瞞に満ちたものであったか。
小泉首相田中均局長と「死亡年月日入りリスト」のしがらみが、どれほど深いものであったか。
日本語には、小泉首相と「売国官僚田中均局長の関係を、まことに言い得て妙な表現があった。
それは・・・・・”同じ穴のムジナ”。



<やがてかなしき>


「小泉訪朝」直後に、「死亡年月日入りリスト」をめぐってあれほど渦巻いていた拉致被害者家族による政府・外務省批判は、いまやまったく反転して、帰国した生存拉致被害者5人をはじめ、口を開けばそろって「政府を信頼して待ちます」との言葉が飛び出してくる。
外務省自身が最終的に、「政府として関係者の安否を確認していたわけではありません」と明言した死亡したとされる8人の拉致被害者の真実の安否は、その後どうなったのであろうか?日本政府にとって、彼ら8人は、未だ生存している日本人なのであろうか、死亡した日本人なのであろうか?それとも、見捨てられた日本人なのであろうか?

1月26日、訪朝して孫にあたるめぐみさんの娘に会いたいという拉致被害者の「家族会」会長・横田滋さんの切なる希望は、「今、訪朝しても、めぐみさんが死亡したとの北朝鮮の演出を見せられるだけで、マイナス面が多い」という事務局長・蓮池透氏の声に押し切られ、全員一致で否決されてしまったようだ。

昨年12月19日、帰国した生存拉致被害者5人は、そろって胸の「金日成バッジ」を外してみせた。その報道を聞いた私の方が、北朝鮮に残された彼らの子供たちや夫に悪影響がなければいいが・・・と胸を締めつけられる思いをした。
事務局長の蓮池透氏は、「5人がバッジを外して北朝鮮公民ではないと意思表示した以上、北朝鮮は即座に家族を帰さなくてはならない」とよく意味のわからないことを語っていたが、そういう行為は、「北朝鮮に利用されて」北に残された子供たちに悪影響があるようなことはないのであろうか?
それよりなにより、日本政府自身が死亡を確認していない「死亡したとされる8人」の安否について、拉致被害者の「家族会」は、どのように考えているのであろうか?横田滋さんの訪朝の思いも、まさにそこから発しているのである。
政府と外務省を信じて、いつまでも待ちますーーということなのであろうか?
”「小泉訪朝」四つの無視”の三番目は、「帰国した拉致被害者5人の北に残された家族」に対する無視である。


「広辞苑」で、”おもしろい”という言葉の意味を引くと、一般的に使われる「愉快である。楽しい」という意味のほか、「心をひかれるさまである。興趣がある」という意味もあることがわかる。
江戸元禄の俳人、松尾芭蕉の句、「おもしろうてやがてかなしき鵜舟(うぶね)かな」は、始まりの「おもしろうて」が、あとに続く「かなしき」と共鳴することにより、興趣に満ちた”鵜飼い”を面白がって見ているうちに、何とも言えない哀しさが湧き起こってきた心の移ろいを描写して、芭蕉の最高傑作の一つとまで言われている。

北朝鮮による日本人拉致事件には、当初、心から興味を惹かれた。拉致され二十数年間を独裁者国家・北朝鮮で過ごした被害者の方々と、その間、団結して子供たちの帰る日を待ち続けたご両親・兄弟の方々の気持ちを考えると、どうにもやるせない思いがして、ただ関係者の方々の今後の幸せを祈るばかりであった。
小泉首相田中均局長による「死亡年月日入りリスト」隠しには、拉致被害者家族の皆さんと同じ気持ちで大きな憤りを感じた。
曽我ひとみさんをはじめとする帰国された生存拉致被害者の方々の子供や夫を思う気持ちを想像すると、あまりの悲惨な運命の悪戯に慰めの言葉もない気持ちになった。

しかしいつの間にか、あれほど政府・外務省を非難し不信感を抱いていたはずの拉致被害者家族の皆さんが、コロッと反転して、口に出る言葉が「政府を信頼しています」となってしまったとき、私だけが取り残されたような思いがした。
私は、「死亡年月日入りリスト」で垣間見た小泉首相田中均局長の売国的裏切り行為は、日本人の一人として、絶対に許すことはできない。
5人の拉致被害者と「家族会」の皆さんが、今後再び日本政府・外務省によって裏切られ傷つくようなことのないよう、今はただ私は、祈るばかりである。
もちろん、”「小泉訪朝」四つの無視”の最後は、「小泉首相は何しに北朝鮮へ行ったんだ」に対する無視である。

おもしろうてやがてかなしき日本かな

(2003/02/01)

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