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<Taka remarks>
青木幹雄氏
「青木参院自民党幹事長」
ーすべては参院選のためー
原稿を書いている間に時が過ぎ既に一昨々日のことになってしまったが、8月9日の読売新聞朝刊1面「自民党総裁選3」と題する特集コラムに、次のような記事が掲載されていた。
『「数」と「結束」で長年にわたって自民党政治の中枢を占めてきた最大派閥の橋本派にいま、大きな異変が起きている。
「あんたに何を言われようと、もう私は(小泉再選支持で)突っ走りますよ」橋本派の実力者の一人である青木幹雄・参院幹事長は最近、もう一人の実力者の野中広務・元幹事長に、自分の決意を伝えた。
青木氏が率いる橋本派の参院議員は、約40人にのぼる。衆院選とともに来夏の参院選も乗り切るには、国民に人気がある小泉首相の下で戦う以外にないーー。これが、青木氏が首相支持に傾いている理由だ。』
上記記事に先立つ7日の日経新聞朝刊2面でも、6日に開かれた橋本派の幹部会で強気の決意を示す青木氏の言葉が、次のように伝えられた。
『6日の幹部会は通常の倍近い約1時間に及び、橋本龍太郎会長も人間ドックを抜け出して駆けつけた。口火を切ったのは野中元幹事長。「このままズルズルといって今回も何も決められなかったら、派閥の存在意義が問われる」と主張し、藤井孝男、笹川尭、熊代昭彦各氏の政策発表の場を設けるよう提案した。
橋本氏や村岡兼造会長代理も同調したが、青木氏は「それぞれの意見を言うのは結構だが、参院には別の意見もある。参院は参院で独自の行動をとらせてもらう」と言い切った。』
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9月に迫った自民党総裁選に再選を目論む小泉首相にとって、青木氏は最大のキーマンである。
約100人とダントツの数を誇る自民党最大派閥、橋本派・平成研の中の参院自民党約40人を率いる青木幹事長の支持が取りつけられない限り、国会議員票、地方票ともに劣勢に立たされている小泉首相の再選はおぼつかない。
一方、もし橋本派大幹部である青木氏の支持が取りつけられたとすれば、態度を決めかねている堀内派の一部や高村派が雪崩を打って小泉支持へ流れてくる可能性が高くなる。ただ例えそうなったとしても、国会議員票を上回る地方票の不支持が出て、小泉再選が阻まれる可能性すら残されていることも事実だ。
いずれにせよ小泉再選のキーマン、青木参院自民党幹事長とはどのような人物なのであろうか?
青木 幹雄(あおき みきお)氏 <略歴>
昭和9年6月8日島根県簸川郡大社町生まれ。69才。
早稲田大学法学部中退。在学中は早大雄弁会に属し、森喜朗前首相は後輩にあたる。
昭和33年衆議院議員竹下登代議士秘書となり、同42年島根県議会議員初当選。以来5期連続当選を果たし、19年間にわたって「城代家老」としてその選挙を支えた。
昭和61年、天下盗りを狙う竹下氏は参議院島根県選挙区に腹心の青木氏を立て、議員初当選。続いて平成4年、10年と連続当選を重ね、参院農水委員会委員長、自民党国会対策副委員長、大蔵政務次官、自民党副幹事長、参院自民党筆頭副幹事長、小渕内閣官房長官・沖縄開発庁長官を歴任。
現在、参院自民党幹事長、懲罰・法務委員、島根県連合会会長、国土開発幹線自動車道建設審議会委員。
(平成15年1月8日現在)
青木氏は、竹下元首相の「側近中の側近」として力をつけ、小渕恵三内閣の官房長官として国民の前に姿を現した。
小渕首相が脳梗塞に倒れた緊急時に、赤坂プリンスホテルの一室で行われた青木官房長官、森幹事長、野中幹事長代理、亀井政調会長、村上正邦参院議員会長(いずれも肩書は当時)による自民党5幹部の会合は、所謂「5人組の密室談合」として世の痛烈な非難を浴びた。
この席での青木官房長官による小渕総理から「首相代理に任命された」との疑惑の発言と、村上正邦参院議員会長の「森さんでいいじゃないか」の一言で、小渕内閣総辞職→森政権誕生の流れが決定づけられたという。
この翌年2001年3月1日、当時すでに議員辞職に追い込まれていた村上前議員は、KSDに絡む受託収賄容疑で逮捕された。元秘書・小山孝男参院議員の逮捕、額賀福志郎経済財政担当相の辞任に続く大激震であった。
将来の首相候補、経世会のプリンスの一人と謳われた額賀氏の早期辞任の背景には、早大閥で「弟分」と可愛がってきた同氏に決断を迫った青木氏の参院自民党に対する強い危機感があった。参院自民党のドンとして君臨してきた村上議員が抜けたあと、竹下氏の残した参院経世会の勢力維持に全精力を傾ける青木氏が、参院自民党の新たなドンに上り詰めたのは必然の結果であった。
「すべては参院選のため」それが青木氏の政治目標のようである。
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ところが、「あんたに何を言われようと、もう私は(小泉再選支持で)突っ走りますよ」「参院は参院で独自の行動をとらせてもらう」と断言する青木参院自民党幹事長には、実は次のような一面があったことを知って読者の方々は驚かれるであろうか?
2001年12月26日の日経新聞朝刊2面。
『12月21日、小泉首相はホテルニューオータニの中にある料理屋で、自民党幹事長経験者と懇談した。
その席で、橋本派内では首相に近い方だとされる青木幹雄参院幹事長が、強がりとも自信ともとれる口調でこう言ったという。
「抵抗勢力が本気を出したら、こんなもんじゃないわね。」』
当時は、例の鳩山由紀夫民主党代表が党首討論で、「道路四公団民営化」で既に橋本派と裏取引を済ませていた小泉首相にエールを送って顰蹙をかった時期であり、小泉首相一人が「三方一両損」を唱えサラリーマン患者医療費3割負担を公言していた時期でもあった。
青木幹事長の発言は、「道路四公団民営化」で高言を吐く小泉首相に対し、現実は我われに妥協しなけばやっていけないだろうという橋本派の自信と本音を表した言葉であったろう。
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年が明けて2002年1月19日の日経朝刊2面が、次のような記事を流した。
『「実態がよくわかっていないんじゃない?」。参院自民党の青木幹事長は18日の記者会見で、石原伸晃行政改革担当相が日本道路公団による高速道路工事の発注中止に理解を示したことに反発。「そういう言い方は閣僚として慎むべきだ」と強く批判した。
青木氏は公団が昨年12月に独自の判断で13件の工事を中止したことにかねて怒りをあらわにしていた。小泉首相が公団への国費投入打ち切りを表明して以来、「道路族」議員にとって、どの路線が中止となるかは極めてデリケートな問題。
青木氏としては第三者機関などでの議論を踏まえこれから判断する問題だとの認識のため、石原氏が18日に「工事をやる必要がないと公団が考えたところは受注量が減って当然」と発言したことが許せなかったようだ。』
1月23日の日経夕刊2面。
『安倍晋三官房副長官は23日午前の記者会見で、日本道路公団が今年度に予定していた高速道路工事の発注を中止したことに関して、「(中止・凍結ではなく)財源のメドがつくまで延期した」との認識を示した上で、「今後、今年度の予算額や財投機関債の資金のメドがついてくる。いま調査している」と述べ、近く発注中止を撤回する方針を示唆した。これに関連して、小泉首相は同日昼、国会内で記者団に、「道路公団が判断すればいいことだ」と述べ、道路公団が発注中止を撤回する場合には容認する考えを示した。』
翌24日の日経朝刊2面。
『「こんな失礼な話はない。なんで丁寧な説明をしないんだ」。昨年11月末、道路公団が地元島根の高速道路建設工事発注を中止したことを聞きつけた参院自民党の青木幹雄幹事長は、公団の藤井治芳総裁を電話で怒鳴りつけた。「すぐに伺って説明します」と藤井氏。が、青木氏は「もう結構」と電話をたたききり、以来、公団の関係者を出入り禁止にした。 公団がストップしたのは、昨年12月に発注を予定していた全国13件の高速道路工事。「2002年度から年間3000億円の公団への国費投入が打ち切られると、工事に必要な事業費を確保できない」というのが言い分だったが、青木氏はもちろん、古賀誠元幹事長ら道路族議員への根回しは全くなかった。
「首相官邸の意向が働いているのではないか」。自民党の道路族議員の間ではこんな観測が飛び交った。福田康夫官房長官は、「あくまで公団の話」と無関係さを強調したが、「石原行革担当相が一時「受注量が減って当然」などと発言したため、官邸への疑念がくすぶり続けた。「官邸が容認するはずがない。容認したら大変なことだ。許されない」。青木氏は周囲にこう漏らし、けん制した。』
この青木氏の本気を出した「公団関係者出入り禁止」は、かなり効いたようだ。日本道路公団は結局、国費投入打ち切りを理由に高速道路建設工事の発注を一部見送っていた方針を撤回することとなった。
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2002年1月から2月にかけては、政界にとって激動の時であった。
まず1月10日には、「加藤の乱」の加藤紘一元幹事長の私設秘書が、脱税容疑で東京国税局の査察を受けた。
1月29日夜、田中真紀子外相更迭、鈴木宗男議運委委員長引責辞任、野上義二外務次官更迭が発表された。
加藤紘一議員私設秘書の脱税による強制捜査を契機に、再び政治家やその秘書の「口利きビジネス」、「あっせん利得行為」に焦点が集まっていた。
この時期に、日本道路公団関係者を出入り禁止にするという本気を出した参院自民党のドンで道路族の青木幹事長に、突然降って湧いたような災難が襲い掛かってきた。
2月15日の日経朝刊2面。
『日本道路公団の工事発注延期問題を巡り民主党が14日、参院自民党の青木幹事長を発注再開に関与しあっせん利得を得ていたとして告発しようとしたが、告発状が受理されず空振りに終わる一幕があった。
告発状は青木氏が地元島根県での山陰道のトンネル工事を再開するよう働きかけるとともに、落札予定業者から自民党支部を通じて政治献金を受けていたという内容。東京地検特捜部に告発状を提出したが、特捜部は献金時期が1997〜99年と数年前であることから、あっせん利得罪の構成要件を満たさないとして受理しなかった。民主党は独自に再調査した上で告発するとしている。一方、青木氏は「何でも告発すればいいということではない。司法を政争の具に使ってはめちゃくちゃになる」と憤懣やるかたない様子だ。』
本件に関する記事は、後にも先にもこれきりである。民主党の早とちりによるどうということのないそれっきりの後腐れのない読み捨て報道記事で終わるような内容だ。一見・・・。
しかし、この記事が掲載された同面に次のようなホントに小さい報道記事が並んでいた。
『自民党の青木参院幹事長は14日夜、森前首相と都内で会談し「小泉純一郎首相が解散権を行使せずに任期を全うして改革を進めると腹を決めるなら、責任を持って支える」と表明した。同時に「党内融和を心がけ、党内の意見に耳を傾けるべきだ」と注文をつけた。』
既述の通り、青木氏は、森前首相にとって生みの親「5人組」の一人であり、早大雄弁会の先輩でもある。
民主党の告発が受理されなかったのが14日で、森氏との会談はその日の夜。当然青木氏の耳にその話は伝わっているタイミングである。
そこでの青木氏の発言内容は、昨今の青木氏のそれと実に似通っている。文頭で読売の特集コラムの記事を引用したが、その中には実は次の記事もあった。
『野中氏は周囲に「青木さんは政策転換を首相支持の条件としているが、概算基準を決めた後では、景気重視に転換しようがない」と語るなど、青木氏の融和路線に不満を強めている。』
というように、現在の青木氏の小泉首相に対する発言には「経済政策の転換」という条件が付け加えられてはいるが、骨子としては2月14日の森氏との会談での発言とほぼ寸分違わぬ内容であることに驚かされる。
一昨年12月21日の「「抵抗勢力が本気を出したら、こんなもんじゃないわね」発言は、いったい何だったのか?昨年1月18日の石原行革担当相を名指しした厳しい批判の発言は何だったのか?
違和感すら感じさせるその落差の背景に、一見些細な茶番劇としか見られない民主党の不発に終わった告発劇が、青木氏の心にもたらした重大な変化があったのではなかろうか?
青木幹事長が森前首相と会談した夜の翌15日日経朝刊2面。
『自民、公明、保守の与党3党は15日、アフガニスタン復興支援国際会議への非政府組織(NGO)参加問題に関連して野党側が要求していた田中真紀子前外相、鈴木宗男衆院議員、更迭が決まっている野上義二外務次官の3人の参考人招致を受け入れる方針を固めた。』
との記事が流された。あるいは、まったくの偶然かもしれない。しかし、あるいは前夜の会談で、青木幹事長がなんらかの暗黙の了解を森氏に与えていたのかもしれない。
この3人を参考人招致するという与党3党の方針は、結果として反故にされた。もちろんご承知の通り、田中前外相、鈴木衆院議員2人の参考人招致は、2月20日の衆院予算委員会で実行された。反故にされたのは、「官僚」野上義二外務次官の参考人招致である。
いまこの頃の経緯を辿ると、実に興味深いものがある。たとえ傍観者たる国民であっても、当時は知らず知らずのうちに心理的に激流の中に巻き込まれており、冷静な目で物事を見ていなかったということが今になってよくわかる。
参考人招致という国民注視の場に狩り立てられた田中前外相と鈴木宗男衆院議員。論議の焦点に立ちながら参考人招致をするりと逃れた野上外務次官。これを機に、3人はその後の運命を大きく違えることとなった。
2月20日の田中、鈴木両議員の参考人招致の議事録をいま再読すると、当時は見えなかった行間も見えてくる。ただ、その20日以前にも、興味深い話は尽きない。まずはそれから・・・。
2月17日の日経朝刊2面。
『自民党の森前首相は16日、千葉県市原市で講演し、小泉首相のトップダウン型の政治手法について、「あまりにも自分の意見だけを前に出してしまうと、不満がだんだん募ってきて怨念になる。大きなマグマが爆発すると、小泉さんの立場は非常につらいものになっていく」と苦言を呈した。
森氏は青木参院自民党幹事長について、「たいへん信頼できる人で旧竹下派、平成研(現橋本派)の実際の会長だ。橋本さんが会長になっておられるが、実際は青木さんだ」と持ち上げ、青木氏らが主張している与党内融和に配慮すべきだと強調した。』
森氏は、14日の青木氏との会談がよほど気分が良かったと見えて、2日たった16日、青木氏をとうとう橋本派の会長に祭り上げてしまった。さて、本物の橋本派会長はさぞかしカンカンかと思いきや・・・。
2月20日の日経朝刊2面。
『「橋本家一同、感謝しているよ。女房や娘も含めて感謝している。高齢者にしてもらって」(橋本龍太郎元首相が19日、「橋本派の実際の会長は青木幹雄氏」と発言した森前首相に向かって)』
民主党の鳩山由紀夫前代表と並び称される「甘チャン」政治家、橋本龍太郎の面目躍如と言ったところか。橋本派の凋落もこの人あってこそと言えよう。もう少しなんとか気の効いたことを言えないもんだろうか?
橋本派・平成研には、三つのグループがあると言われている。
まず「甘チャン」会長・橋本龍太郎氏を取り巻く綿貫民輔衆院議長、村岡兼造会長代理といった慶応閥。
次が参院自民党と、愛弟子だった額賀福志郎事務総長ら早大閥を率いる青木幹事長のグループ。
三番目に公明党とのパイプを持つ野中元幹事長を中心に、鈴木宗男議員ら資金量と行動力で急成長してきた叩きあげのグループである。
その野中元幹事長子飼いで橋本派の次代を担うプリンスの一人と言われた鈴木宗男議員が2月20日、”宿敵”田中真紀子前外相とともに衆院予算委員会に参考人として招致された。
その直接の理由は、アフガニスタン復興支援国際会議への大西健丞氏が代表を務めるNGOの参加不許可を、鈴木議員が外務省に圧力を掛けて決定させたのではないか?という疑惑に対してであった。
二種類の疑惑のルートがあった。一つは参考人に招致された大西健丞氏が語った、「1月19日に”鈴木さんが怒っている”と重家俊範中東アフリカ局長が電話で参加辞退を求めてきた」との証言であった。これに対して重家局長は、「鈴木議員からNGO全般についての意見はあったが、参加不参加を具体的に言ってきたことはない」と参加拒否は外務省独自の判断だと答弁し、政府内の調査結果も鈴木氏の関与はなかったとしていた。
残るルートは、数回にわたる衆院予算委員会の答弁で田中真紀子外相が、1月21日に野上外務次官にNGOの参加を指示した電話で、野上氏が「鈴木さんは難しい人だ。前からの経緯もあり、鈴木さんの言うことを聞かないわけにはいかない」と答えたとする証言である。
これに対して野上氏は、「経緯もあるようだから難しいかもしれないが、やってみようと答えた。それ以上の会話はない」と全面否定し、鈴木氏も、「田中氏はウソを言うクセがある」と答弁し、政府の調査結果でも、打ち合わせなどで鈴木氏の名前は出ていないとされた。
特に鈴木宗男議員に絞って考えるとき、上記のような状況においてなぜ鈴木議員が「議運委委員長の辞任」や「参考人招致」のような厳しい取り扱いを受けることになってしまったのか、いま時が経って冷静な目で事態の流れを見つめるとき、大いなる疑念を感じざるを得ない。
政府内の調査でも鈴木議員の関与は否定されたことになっており、大西氏の場合は鈴木氏の名前を重家局長から聞いただけで、その重家局長自身は国会答弁で内容を否定している。また田中外相の証言でも、鈴木氏の名前を持ち出したのは野上次官であり、当の次官も国会答弁で内容を否定しているのみか、参考人にすら招致されていない。
素直に考えれば鈴木氏はただ一言、「私はそのようなことを言っておりません」と答弁すれば終わりの話であって、あとは直接会話をした当事者同士に「言った」「言わない」を争わせておけば済む話ではなかったろうか?
最近の大島元農水相や松浪健四郎議員をかばう与党の強硬姿勢を思うとき、鈴木議員がなんでNGOの国際会議出席を拒否させた云々で参考人招致にまで至らなければならなかったのか、隔世の感があるというものだ。
鈴木議員自身に、そしてその親分の野中元幹事長にも、大したことにはなるまいという多少の楽観と甘さがあったことが最大の敗因であろう。それにしても当事者である鈴木議員や野中氏が、好んで参考人招致の場に送り出すわけがない。そこには何がしかの外的圧力があったに相違ない。その圧力とは、約100人の所属議員を誇る橋本派内の圧力以外には考えられないのではなかろうか?
その派内の圧力に屈し、参考人招致を受け入れた瞬間に、強引な手法で多くの敵を作ってきた鈴木議員の運命は決したと言っても過言ではなかろうか?それは単に鈴木議員のみの運命だけではなく、橋本派内における野中元幹事長率いるグループの凋落をも決した決定的瞬間であったのではなかろうか?
田中真紀子前外相は2月20日、衆院予算委員会に参考人招致された。本人は国民注視の場で、ハラに溜まったことをぶちまける機会を得たことで喜んでいたかもしれない。しかしこんにち、議事録を読み返し質疑の内容を冷静に分析すると、いったい田中前外相は何のために参考人招致されたのか?というたいへん素朴な疑問におそわれる。
自民党浅野勝人氏:1月21日の午前11時45分に野上前次官に電話してNGOを最終日のアフガン復興支援会議の閉会セッションには出席させるよう指示した時に、野上前次官が「鈴木議員は難しい人だ。前からの経緯もある。言うことを聞かないわけにはいかないので出席させられない」と答えたというが、間違いないか。
田中真紀子氏:間違いない。
民主党野田佳彦氏:NGO排除問題に関する外相の発言について、野上前次官は否定、鈴木氏は「うそを言っている」、福田官房長官は「勘違い」と言った。鈴木氏や野上氏、福田氏がうそを言っているのか。
田中真紀子氏:鈴木氏はわからないが、野上氏は残念ながらそうだ。官邸はネガティブな情報が外務省から入っていたため、善意で解釈すれば、それを鵜呑みにしていたとしか思えない。
要するに、田中真紀子氏を参考人招致までして、その参考人招致に至った問題に関する核心の質問は、それだけである。真紀子さんは正確に、「鈴木氏はわからないが」と答えている。実に正直な人である。鈴木氏の名前は野上前次官が電話の中で口に出しただけであるから、実際に鈴木氏が何を言ったかは真紀子さんにはわからない。
では、なぜ、野上前次官は参考人招致をされなかったのであろうか?野上氏の参考人招致を拒否した者は、誰だったのか?
野上前次官を招致しない限り、真紀子さんからいくら話を聞いたとて、電話で実際に会話した相手は招致されていないし、招致された鈴木氏とは直接会話をしていないわけであるから、何の証明にもならず何の結論も出ない、まったく実りのない質疑となってしまった。田中真紀子さんは、刺し身のツマに参考人招致されたようなものである。
しかし、さすが真紀子さんである。ただでは済まさない。
社民党横光克彦氏:首相はどのような人物か。
田中真紀子氏:首相には大変指導いただき、私のような者を重責に据えていただいたご恩は生涯忘れないが、「聖域なき構造改革」などと言っているが、むしろ自分自身が抵抗勢力というところに踏み切ったのではないか。取り巻きが悪すぎる。
自由党中塚一宏氏:福田官房長官が、一連の問題は外務省の問題だと発言したが。
田中真紀子氏:首相も「外務省内のことは自分でやるように」と言っていた。私は首相のサポートが必要だと思うときには必ず電話などでじかに意見を聞いていた。首相は「外務省でやって」という感じだが、そこで「妨害している外務省とつながっている者が官邸にいるのだが、その者を排除してほしい」と言うと、首相は「聞かなかったことにしてほしい」と言う。自由にやれと言うので動こうとすると、スカートを誰かが踏んづけていて前に出られない。誰が踏んでいるのかと見ると、言っている本人ではないかという思いがずっとしていた。
真紀子さんのかの名言「スカートを誰かが踏んづけていて前に出られない」は、このとき生まれた。さすがにひと味違うセンスである。かの「甘チャン」政治家の反応振りとは、かなり違いますね。
この2月20日の参考人招致で共産党の佐々木憲章氏が出してきた「ムネオハウス」が致命傷となって、橋本派次代のプリンスの一人鈴木宗男衆院議員は、政治の表舞台から姿を消すこととなった。
小泉首相は同日、衆院予算委員会でのNGO参加問題などの集中審議で、北方四島の人道支援事業への入札に鈴木議員が関与していたと野党側が指摘している問題について、外務省に調査を指示する考えを表明した。
首相は、「できるだけ早く結果を報告できるような態勢を整えたい」と強調したという。
その後はご存知のとおり、外務省から次々に飛び出してくる「丸秘指定解除」文書の紙ツブテであった。まさに「NGO参加問題」審議とは名ばかりの、鈴木ムネオ潰しの舞台としての参考人招致であった。そして田中真紀子さんは単なる刺し身のツマに過ぎない役割の参考人招致ではあったが、「小泉首相は抵抗勢力」「スカートを誰かが踏んづけていて前に出られない」などの名言を残し、一泡吹かせて存在感を示した。
橋本派内を二分すると言われた青木氏と野中氏の主導権争いは、野中氏子飼いの鈴木ムネオ議員の逮捕により大きく差が開いたと見られる。小泉首相は、田中真紀子さんを更迭する決意をした時点で、野中氏子飼いの鈴木議員を議運委委員長から辞任させるという思わぬ成果を得た。そして鈴木議員の参考人招致を橋本派に呑ませたあたりから、橋本派分断の手段として密かに野中元幹事長に焦点を絞って追い落とし工作をスタートさせたのではなかろうか?
かつては野中氏と太いパイプがあったはずの公明党は、いつの間にか小泉/山崎ラインとベッタリの関係になってしまった。小泉首相お得意の北朝鮮は野中氏の縄張りであったものだし、口先だけの郵政民営化論議はこれまた野中氏に対する嫌がらせの趣が濃い。
2月14日夜の青木氏と森氏の会談で何が話し合われたかはわからないが、少なくとも青木氏が1月18日に石原行革担当相に言ったようなお行儀の悪い言葉は、寡聞にしてその後聞いたことがない。ましてや道路公団関係者を「出入り禁止」にしたり、「官邸が容認するはずがない。容認したら大変なことだ。許されない」などという傲慢な言葉を口にしたという記事も見たこともない。
それにつけても、あの民主党の青木氏告発劇は何だったんだろう?民主党には弁護士はいないのか?要件を満たさないとして告発が不受理になるなどという、そんなバカ気たことが天下の野党第一党に起きていいものなのか?まさか不受理を承知でタイミングを計って、小泉首相支援のために出したわけでもないだろうが・・?まったく訳がわからない。
しかし、あるいはそのことが青木氏に何らかの重大な心の変化をもたらしたのかもしれないとなると、あの民主党の青木氏告発不発劇は、単なる茶番劇では済ませられない重大な政治的出来事であったのかもしれない。
もともと青木氏は、高邁な理想を掲げて天下を盗りに行くタイプの政治家ではない。青木氏は、その師匠である目配り・気配り・金配り名人の竹下元首相が、一目おくほどの気配り、調整型の政治家である。竹下氏の残した参院経世会の勢力を維持すること、それが青木参院自民党幹事長の第一の政治目標である。すべては参院選のため。参院選に勝つためなら、「参院は参院で独自の行動をとらせてもらいますよ」は、青木氏の本音である。
こう考えてくると、参院議員の任期1期6年というのはあまりにも長過ぎやしまいか?一度選挙に勝てば、6年間失業の心配なしという。もう一度勝てば、さらにそこから6年間何の心配もいらないという。これで政治が腐敗しない方がどうかしている。
だから参院選に勝つことが、最大の政治目標だというわけのわからない政治家が出てきてしまう。選挙に勝利して考えることは、次の参院選に勝つことなのだろうか?そういう腐敗政治家が、「あんたに何を言われようと、もう私は(小泉再選支持で)突っ走りますよ」と言う。困ったもんだよ。
参考人招致が行われた日の翌21日の日経朝刊2面。
『「おれも抵抗勢力にされちゃった」。小泉首相は20日夜、都内のホテルでの自民党5役との会合で、田中真紀子前外相が「首相自身が抵抗勢力」と指摘したことに触れ、照れ隠し気味にぼやいてみせた。
首相の弱気な言葉を聞き、昨年末に「抵抗勢力が本気を出していないのをわかっていない」と首相にすごんだ青木参院幹事長が「それはいいことだわね」。首相は「おれが本気になったら大変だぞ」と青木氏の言葉を借用して混ぜっ返した。』
だそうだ・・・。
(2003/08/12)