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<Taka remarks>
熊谷弘氏
ー蠢(うごめ)く男ー
「どの面(ツラ)下げて新党代表」
(前編)
★
ーびっくりした、もうびっくりした。武士の情け、武士の情けー
昨年12月10日午後6時、鳩山由紀夫代表の辞意表明を受けて民主党新代表を選出する両院議員総会が、国会に隣接するホテルで開催された。
党所属国会議員183人全員による無記名投票が行われ、183人中104票を獲得した菅直人前幹事長が、79票の岡田克也幹事長代理を破り次期代表に選出され、民主党結党時に次ぐ2度目の代表の座に就く結果となった。
民主党新代表決定を伝える翌11日の日経新聞朝刊1面のコラム”春秋”は、次のような文章で菅直人氏の民主党新代表決定を祝った。
『「政権交代で日本を変える」というスローガンが「党首交代で民主党を変える」に入れ替わったのか、3カ月もたっていないのに、また民主党代表選挙。前党首がなぜ辞めたのか、国民にはさっぱりわからない。(省略)
菅氏から鳩山氏になり、また戻って、民主党のどこが変わるのだろうか。結党以来の危機といわれながら、野党第一党の座に安住しているのではないか。それにしても菅氏から往年のさわやかさが消えつつあるように見えるのが気にかかる。』
☆筆者註:”春秋”はこう言っている。
「前党首がなぜ辞めたのか、国民にはさっぱりわからない。」
「菅氏から鳩山氏になり、また戻って、民主党のどこが変わるのだろうか。」
読者の皆さん、”春秋”のその言葉を是非、頭の片隅に置いておいて下さい。今回の私のコメントの主要なポイントは、まさにそこにあるのですから。
痩せても枯れても国会議員183人を擁する野党第一党の民主党が、任期満了に伴う代表選挙で千円支払って参加したサポーター票も取り入れて選出された鳩山由紀夫代表を、恥も外聞もなくわずか3ヶ月で切って捨て、再度、代表選挙を開催するという”再生”を賭けた大博打。その結果として選ばれた菅直人・民主党新代表。
その新生”菅民主党”の誕生が報道されたまさにその日に、一般常識に照らしてあまりにもネガティブに偏り過ぎた上記”春秋”のお言葉は、何かを企図してなされた「MEDIAの作為」の一例なのであろうか?
おまけに、「それにしても菅氏から往年のさわやかさが消えつつあるように見えるのが気にかかる」などと、自民党の誰ぞの下ネタ追求には不熱心な一方で、菅氏の昔のカビネタを突然持ち出してくる週刊誌並みの個人攻撃まで見せている。
いったい誰なんだ、これを書いたヤツは?
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ところで10日の両院議員総会の投票結果は、当事者の民主党議員さんにとって、相当に意外なものであったようだ。
「予想外ですね。自分の至らなさでしょうか」は、敗れた岡田克也・幹事長代理。
「意外も意外。票読みは意味がなかった」と首をかしげるばかりの前原誠司衆院議員。
以上は、11日の日経新聞朝刊社会面の報道であったが、同紙3面には、もっとも驚いたと思われる人物の次のような面白い記事が流されていた。
『1月1日の政党助成金公布の基準日を控えて、永田町では12月は政党の離合集散の季節。熊谷弘副代表らのグループが離党に踏み切るのではないかとの観測は消えていない。
熊谷氏は10日の両院議員総会で菅氏が選出されると「びっくりした、もうびっくりした。武士の情け、武士の情け」と言いながら、表情も厳しくコメントせずに記者団を振り切って、会場のホテルを後にした。』
これだけびっくりしたということは、この時点まで熊谷弘副代表は、”宿敵”菅直人氏を岡田克也候補が破る可能性を信じていたのであろうか?
菅、熊谷両氏の対立が決定的になったのは、1999年9月の代表選において、熊谷氏が当時の菅代表に代えて鳩山由紀夫氏を担ぐ「菅降ろし」の中心的役割を果たしたのがきっかけであったと言われる。
昨年9月の鳩山代表任期切れに伴う代表選においても、菅幹事長(当時)と熊谷国対委員長(当時)は、互いに党を「出ろ」「出ない」を応酬する激しい舌戦を繰り広げたことは記憶に新しい。
熊谷弘氏。この人物の蠢(うごめ)く素顔は、すでに12月3日の段階で日経朝刊2面の記事に垣間見られた。
『橋本派内で「野党がだらしないので、小泉首相が危機感を持たない。首相のツキだ。相手が勝手にこけてくれる」(幹部)との声もある。
「鳩山さんは気の毒だ」。小泉首相は2日夜、各省庁の政務官と会食した際、こうもらしたという。(省略)
加えて保守系の論客である熊谷弘副代表は、かねて菅氏とは”犬猿の仲”。菅アレルギーから保守系が雪崩をうって党を離脱するシナリオを選ぶ可能性も否定できない。ただ、この場合、熊谷氏は新進党時代に対立して小沢一郎氏に抵抗感があるとされ、離脱後は自由党とよりも自民党や保守党など与党との連携を窺うのではないかとの見方もある。』
☆筆者註:読者の皆さん、これも頭の片隅に入れて置いていただきたい。
橋本派の幹部はこう言った。「野党がだらしないので、小泉首相が危機感を持たない。首相のツキだ。相手が勝手にこけてくれる。」
そして小泉首相自身が、「鳩山さんは気の毒だ」こう言っている。小泉首相は、鳩山前代表が好きだったんでしょうね。彼にずっと民主党の代表でいてほしかったんでしょう。
11月29日の鳩山・小沢会談で始まった「鳩山の乱」。
その鳩山代表は、12月3日午前の民主党常任幹事会で、自らが主導して進めた自由党との新党構想に党内の反発が大きく、混乱を招いた責任をとって臨時国会の会期末にあたる13日付で辞任する意向を表明した。
これを受けて3日、小泉首相は、「党首(代表)選が終わったばかりなのにね。また引き摺り下ろすとは、あまりいいこととは思えない」と民主党の対応を批判した。(日経新聞同日夕刊2面)
12月5日夜、民主党本部で記者会見して、辞任表明した鳩山代表の後継に立候補することを表明した岡田克也・幹事長代理に続いて、翌6日、菅直人氏は国会内で記者会見し、「政権交代可能な党にしていく先頭に立ちたい」と、10日の代表選への出馬を正式表明した。「民主党が、国民の期待に応える政党からだんだん離れてしまっている。」
ここでご参考までに、民主党所属の183名の国会議員が、昨年9月23日に行われた民主党新代表選出投票でどのように行動したか、その勢力図を見ておいていただきたい。その約3カ月後の12月10日の両院議員総会では、菅直人氏が104票を獲得し、79票の岡田克也氏を破って民主党代表に就任した。
9月代表選/1回目投票 鳩山由紀夫 ★ 野田佳彦 ★ 菅直人 ★ 横路孝弘
↑ ↑ ↑ ↑
鳩山G/旧民社党系G 野田G/前原誠司G 菅G 旧社会党系G
63 44 45 31
(日経新聞2002年12月8日朝刊2面より)
9月代表選/決戦投票 鳩山由紀夫 ★ 菅直人
↑ ↑ ↑ ↑ ↑
鳩山G/旧民社党系G 野田G 前原誠司G 菅G 旧社会党系G
63 28 16 45 31
さて、このへんで話を、民主党新代表に菅氏が選出された報道がなされた12月11日の日経朝刊2面に戻して、芹川洋一政治部長の解説記事を取り上げたい。
『もし、ここで菅氏が党の再建に失敗すれば、民主党だけでなく日本の政党政治にとっても取り返しのつかないことになるかもしれない。
菅氏が取り組むべき課題の第一は、当たり前だが、民主党を政権交替可能な責任野党にきちんとまとめ上げることである。小泉首相と与党の対立で、与党が野党になり、本来の野党は視界から消えた。これが今の政治構図だ。
民主党がしっかりすれば政治がぴりっとしてきて、政党政治への信頼も少しは回復するだろう。
経済が失われた10年なら、政治もまた失われた10年である。この10年で1千兆円を越える国富が消え、政党政治も根っこから揺さぶられている。
危機の時代なのに、政治家が危機感を持てないのが最大の危機だというのは決して言葉の遊びではない。政治に緊張感があふれ、政党政治を再生させることができるかどうか。菅氏の責務はかってなく重い。』
☆筆者註:またまたここで、読者の皆さんにリマインドしたいと思います。
日経の芹川政治部長は、菅氏の課題の第一は、「民主党を政権交替可能な責任野党にきちんとまとめ上げることである」と語っています。これはイコール、前鳩山民主党は、政権交代可能な責任野党の体制ではなかったーーと言っていることにはなりませんか?
また同記者は、「政治に緊張感があふれ、政党政治を再生させることができるかどうか」とも語っています。これも同様に、前鳩山民主党時代は、政治に緊張感がなく政党政治の危機を招いたーーと言っているのと同義ではありませんか?
12日の日経朝刊2面が、13日の新執行部発足に向けて11日、党幹部と一連の会談を行った民主党新代表・菅氏の動静を伝えた。
『四副代表との会談では、菅氏と距離を置く熊谷弘副代表が欠席した。民主党内には、熊谷氏らが離党に踏み切るのではないかとの観測がある。熊谷氏のグループと、自民党の鳩山邦夫氏と連携する民主党の若手が保守党の一部に合流し、年内に新党を結成するとの見方もある。保守党内に異論があるうえ、熊谷氏への同調者がどのくらいいるかなど不透明な面もあるが、菅新体制の不安要因となっている。』
13日午後、民主党両院議員総会で、菅直人新代表を支える新執行部が正式発足した。この日で副代表の座を降りた熊谷氏の姿は、最後まで現われることはなかった。
代表選当日の10日に対抗馬であった岡田克也氏49才の幹事長内定を皮切りに、政調会長に38才の枝野幸男氏、国会対策委員長に、9月の代表選を相争った野田佳彦氏45才を起用するなど、党内融和と清新さをアピールしたなかなかの人事であったと思う。
菅代表は当初、国対委員長に現副代表の石井一氏68才を指名する意向であったという話もあるが、党内の反発を考慮し、結果として野田佳彦氏45才が起用されたという。もし、石井氏68才が国対委員長に起用されていたと思うと、菅民主党の印象はまったく違ったものとなっていたであろう。真偽のほどは知らないが、いずれにせよ結果として、菅氏にツキが回ってきた感がある。
もっとも、野田氏の国対手法が、野田氏をバックアップしてきた前前国対委員長の熊谷氏とその側近である前国対委員長の佐藤敬夫氏とは異なる、という条件付ではあるが。野田佳彦氏も、民主党代表選に若手を代表して立候補したほどの男であるならば、いくら国対が与野党話し合いの場であるからといって、熊谷氏らのいかにも自民党的談合の国対手法を取ることはないとは思うのだが・・・。
菅新代表にはツキが回ってきていると感じる。是非、このツキをうまく利用して、日本と日本国民のために良い風を起こし、風に乗ってもらいたいものである。
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13日の日経朝刊2面に、なにやら訳のわからないいかにも永田町的報道が流れた。
『保守党の野田毅党首が党首を辞任し、単独で自民党に復党する意向であることが12日、分かった。保守党を巡っては、民主党の菅直人新代表に反発する熊谷弘前国対委員長らが合流し、新党を結成する構想が取り沙汰されているが、野田氏は新党を結成しても有権者の支持が増える見通しが立たないとみて、独自に行動することにした。熊谷氏らの行動に影響を与える可能性もあり、大きな波紋を呼びそうだ。(省略)
野田氏の復党打診の背景には、次期衆院選での当選を危ぶむ声がある。与党幹部の一人は、「野田氏は自民党に戻った方が戦いやすい」と指摘している。自民党は今週前半、複数の幹部が野田氏に会い、「選挙区調整には万全を期す」と復党を受け入れる考えを表明。』
野田毅氏は、1972年に自民党公認で衆院旧熊本1区から初当選し、当選10回。現在は熊本2区。建設相や経済企画庁長官などを歴任した後、94年7月に自民党を離党、旧新進党結成に参画した。2001年9月から保守党党首に就任している。
野田氏の地元の衆院熊本2区では、自民党比例代表選出の林田彪氏(橋本派)の小選挙区へのくら替え出馬が予定されている。野田氏にとって次回の選挙は厳しいものになることが予想され、競合相手との間で小選挙区選と比例選に交互出馬する、所謂「コスタリカ方式」によって決着を図るにしても、同じ政党に所属する方が調整をしやすい。しかも野田氏にとってみれば、母体の大きい自民党で比例選に臨む方が、より低いハードルで戦えるメリットもある。
自民党幹部が、「選挙区調整には万全を期す」と語った裏には、そういう背景が隠されていた。
連立与党の一角として小泉政権を支えている保守党の現役党首が、ただ党首を辞めるというのなら話はわかるが、単独で党首を辞めて自民党に復党するという、言わば三党連立の一角である保守党をおっぽり出して、次期選挙のために自分一人だけ遁ズラをこくという、いやはや何ともはや締まらない永田町的話である。
保守党の扇国土交通相が、海部元総理と顔を見合わせて「情けないわね」と言ったという話には、妙に共感してしまうのであった。
それはそれとして、上述の報道内容は、その後の現実の動向とドンピシャに符合しているから恐ろしい。
野田氏の発言行動は「情けない」ものではあったが、ある意味で、民主党を飛び出してくる「策士」熊谷弘氏らのために新党を準備し、しかもその新党党首の座も熊谷氏に明け渡そうかという保守党・二階俊博幹事長らの動きを察知した結果であるならば、野田氏の”奇っ怪なる”発言と行動は、これまた永田町論理としては妙に共感できてしまうのだから政治というものは奥が深い。
『二階氏は13日朝、野田氏に電話を入れ、「いま辞任されるのは困る。新党構想の目鼻がつくまで待ってほしい」と慰留。野田氏もこれを受け入れ、同日午前の両院議員総会では、「党首として職務を途中で放棄することはない」と辞任を打ち消して見せた。』(日経新聞2002年12月14日朝刊2面)
さて、そろそろ蠢(うごめ)く男「熊谷弘」の出番がやってきたようである。
『12日夜、六本木近くの中華料理店。熊谷氏の呼び掛けで”緊急招集”されたのは、側近の佐藤敬夫国対委員長(他に金子善次郎衆院議員、牧義夫衆院議員ら)と当選一回の議員ら計10人。「今さら菅氏が代表になっても、国民の支持は得られない」「もう党はもたないのではないか」などと新執行部への批判が相次いだ。
「私は離党する。ついてきてほしい」。熊谷氏は保守党との保守新党構想を説明し、同調を呼び掛けた。政界再編の必要性を熱っぽく説き、会合がお開きになったのは3時間が過ぎた午後10時半だった。
熊谷氏を核とした保守新党構想が浮上した13日午後。ある議員は、12日夜の会合に出席したメンバーから「一緒に行かないか。早くしないと締め切られるぞ」と誘いの電話を受けた。党内の動揺は容易には収まりそうにない。』(日経新聞2002年12月14日朝刊2面)
報道によれば、この段階で熊谷氏は、合流に向けて保守党の二階幹事長と頻繁に連絡を取り合っていた模様である。保守党は所属議員が12人で、当初、熊谷氏の意向は、10人を越える規模で離党し、国会への法案提出権がある20人以上として保守新党を結成したい考えであった。
ところが、民主党執行部の”離党予備軍”への慰留工作は激しく、『”民主党離党議員リスト”に名を連ねた東北地方の某議員のように、地元支持者から「自民党と組むと今までの活動が無になる。いま党を出ても死ぬだけだ。”熊谷氏に体一つでついていく”と言われても、我われ支持者は誰もついていけない」と離党を見送るように説得された』(読売新聞2002年12月17日より)予備軍もいて、最終的には同調者は4人程度となる見込みであった。
16日、民主党の菅代表が日経新聞社などとのインタビューで、熊谷前副代表のグループと保守党との「保守新党」構想について次のように語ったとの記事が、17日の日経朝刊2面に掲載された。
『選挙で勝って政権交代するのが、議会制民主主義の原則だ。野党から個別に与党に移って政権に入るのは、国民の期待に反する」と厳しく批判した。同時に、離党者が出た場合でも、少人数にとどまるとの見方を示した。
菅氏は、熊谷氏らの動きについて、@党全体で色々な形で引き留め、自重を求めているA選挙で勝って政権交代すべきだということは、選挙責任者を務めた熊谷さんが一番知っているはずで、それと矛盾する行動は取れるはずがないと思っているーーと指摘。そのうえで、熊谷氏らが離党に踏み切った場合の対応として、「300小選挙区に野党単独ないし野党が協力して候補者を立てることは、野党第一党の責任だ」と述べ、離党者の選挙区に対立候補を立てて徹底的に争う方針を明言した。』
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17日午前、民主党の熊谷弘前副代表は、静岡市で連合静岡の石井水穂会長と会談し、新党構想を巡る経過を説明したうえで、「民主党の中では自分の志を実行することは難しい」と述べ、民主党を離党する考えを表明した。
18日、熊谷氏は、保守党の二階幹事長らとの「保守新党」結成のため、24日に離党届を提出する意向を固めた。新党の結党大会は、25日に開く予定という。更に、この日、都内に離党を検討している六議員を集め、一致して行動するよう要請。熊谷氏他、側近の佐藤敬夫・前国会対策委員長(衆院比例代表東北ブロック)、金子善次郎(衆院比例代表北関東ブロック)、山谷えり子(衆院比例代表東海ブロック)の三氏が、この場で離党届に署名したという。(日経新聞2002年12月19日朝刊2面/夕刊2面)
20日の日経夕刊2面に面白い記事が載った。
『民主党の熊谷前副代表は20日午前、都内で鳩山由紀夫前代表と会談し、24日に離党して保守党と「保守新党」を結成する意向を伝えた。熊谷氏は、「経済危機に対応するため、連帯と団結の気持ちを日本中に作り出す国民連合的政治が必要だ」と説明。鳩山氏は、「協力を続けていきたい」と一定の理解を示した。』
こんな小さな報道記事に、鳩山民主党時代のすべてが語られているという、そこが報道に携わる者、その報道を注意深く読む者の醍醐味といったところであろうか。
読者の皆さん、この二人が鳩山民主党時代に野党第一党の名の下に自民党を中心とする小泉政権と対峙した”フリ”をしていたんですよ。どう思いますか?
「菅降ろし」の中心となって鳩山民主党を擁立し国対委員長を務めた熊谷氏は、「経済危機に対応するため国民連合的政治が必要だ」とのたまい、この度、野党「民主党」を飛び出し、与党「保守党」とくっついて「保守新党」を結党して、小泉政権に協力しようと言う。これじゃあまるで、戦前戦中の「大政翼賛会」の発想ではないか。
一方、鳩山民主党の代表者・鳩山由紀夫氏は、その野党「民主党」をおん出て小泉政権に組しようとする熊谷氏に対して、「協力を続けていきたい」だと。会談後には記者団に、「慰留はしない。今の民主党にある空気の一つではないか」とも語った。相も変わらない「鳩山的反応」である。小泉首相が、「鳩山さんは気の毒だ」「党首(代表)選が終わったばかりなのにね。また引き摺り下ろすとは、あまりいいこととは思えない」と言うはずだよな。
鳩山さん、あんたは、小泉政権の「協力勢力」だったんだよ。鳩山代表・熊谷国対委員長コンビの鳩山民主党は、野党ではなく、与党と小泉政権の「協力勢力」だったんだよ。だから、鳩山民主党の支持率が、一桁のゴミ支持率だったんだよ。
21日の日経朝刊2面。
『「保守新党」結成を目指す民主党の熊谷前副代表のグループと保守党の議員は、20日深夜まで党名や党首選びを巡り調整を続けた。党名は「日本再生党」を推す声が大勢を占めたが、最終結論は持ち越した。結党大会は25日午後2時から都内のホテルで開くことを決めた。(省略)
離党が確定しているのは熊谷氏、佐藤前国対委員長、金子善次郎、山谷えり子両衆院議員の4人。熊谷氏らはさらに3,4人に同調を働きかけているが、このうち上田清司氏は20日、国会内で熊谷氏と会い、「熊谷さんの行動には大義があるが、(系列の)県議を抱える立場にあり、来春の地方統一選を控え、今は難しい」と年内の参加は見送る意向を伝えた。』
ナニナニ?特殊法人・独立行政法人等への天下り官僚の無軌道な実態を暴かせたら天下一品の民主党ホープ、上田清司衆院議員(埼玉4区)。彼も熊谷氏のグループの一員で、「熊谷さんの行動には大義がある」だと。とりあえず年内参加見送りは伝えたが、「今は難しい」という意味は、統一地方選が終わったら合流の可能性もあるということか?ナンナンダ?
上田議員と熊谷氏との間にどのようなしがらみがあるのか知らないが、上田議員に自民党を支える与党の看板は決して似合わない。自民党が支える小泉政権の側について、特殊法人・独立行政法人等への天下り官僚の批判をしたところで、天に唾(つば)するようなものではないか。この特殊法人・独立行政法人等への天下り官僚の規制や無軌道経営に対する責任追求など、やる気になれば政治家の権限でいくらでもやれることは、内情に通じた上田議員がもっともよく知るところであろう。小泉首相は、元々やる気がないからやらないだけだ。
官僚の手から政策を取り戻すことを公言する菅民主党が政権を担当する時代が来れば、この天下り官僚に絡む是正の諸政策は、いの一番に取り上げられることが大いに期待されるのではなかろうか?
上田議員、「熊谷さんの行動には大義がある」は去り逝く仲間に対するリップ・サービスとして笑い流せるとしても、もしあなたが自民党の支える小泉政権側に合流するようなことがあれば、それはとても笑って済ませられる問題ではなくなる。でも近い将来、特殊法人・独立行政法人問題に関する第一人者として、「民主党」の上田議員が、日本のガン細胞「官僚帝国主義」に鋭いメスを入れる先頭に立つ日が来ることを、私は信じたい。
”渦中の人”熊谷弘氏が22日、日経新聞のインタビューに答えた内容が、23日の同紙朝刊2面に掲載された。
@離党の理由:
『政策を巡る深刻な対立と旧党派の内部抗争で帰属感がなくなった。民主党は急速な左旋回で第二社会党に向かっている。菅直人代表はブレア英首相を引き合いに出すが、ブレアの本も読んだことがないんじゃないの。ブレアならばイラクまで空軍を出さなきゃいけない。
離党の動きは、正直言って広がらなかった。しかし、一つの意志が回転し始めると、閉塞感の中にいる政治家が動き出す。民主党議員だけではない。来年1月招集の通常国会前には、第二波がくるのではないか。』
A新党結成の理由:
敵ながらあっぱれだと思っていた小泉さんも、経済政策ではもうひとつだ。この十年、二大政党制を掲げて走ってきたが、危機の時代には異常な政治体制でも仕方がない。国民連合的な政治体制で、危機にあたる。もちろん永久に挙国一致内閣だと腐敗するから、危機の時代だけの政権だ。』
A新党の政策:
『新党が取り組むべき課題は、まず経済だ。新党では大胆な金融政策による円安誘導と需要喚起で経済危機の脱却を図るよう、小泉首相に求めていく。結果として円安になれば最高だ。塩川正十郎財務相が円高是正への決意を示したのは、我われの要求を受け入れるメッセージだと受けとめた。』
上記、熊谷氏へのインタビュー記事に並んで、同日の日経には、月曜日とあってコラム”風見鶏”が登場した。
この日は、安藤俊裕編集委員による、小選挙区制導入で整理・淘汰の師走の風が容赦なく吹きつける小政党の現状についての記事であった。
『小選挙区制の導入で政界は、ほとんど必然的に二大政党、ないしは二大勢力に収斂していく。日本では小選挙区制に比例代表性が加味されているから、二大政党以外でも、全国的な強い組織を持つ公明党と共産党は生き延びることが可能である。しかし、それ以外の小政党が存続していく可能性は極めて厳しいのが現実である。来年は衆院解散・総選挙の可能性が高い。選挙が近くなれば、生存が困難な小政党が右往左往し、深刻な動揺に見舞われるのは避けられない宿命のようなものである。』
安藤記者の上記分析は、比例代表・小選挙区制導入による日本の政治の変質を、短い文章の中で余すところなく鋭く語っている。そして後半部で、『与党の一角にある保守党も瀬戸際に立たされている』として、25日に合流して新党結成が予定される保守党と熊谷氏に焦点が当てられた。
『この党(保守党)は小沢氏と袂を分かって以来、政策の独自性がなくなり、与党内に埋没気味である。唯一の役割は自民党支持層が根強い違和感を抱く公明党との連立の印象を薄めることだが、最近では自民党抵抗勢力の「別働隊」になったような感がある。
(省略)政党としてはガタガタである。このため二階幹事長が中心になり、熊谷弘氏ら民主党の離党グループと合流して新党立ち上げを目指している。新党といっても、保守党の生き残りと民主党離党組みの救済の狙いが見え見えで、大義名分に乏しいのがつらいところだ。
熊谷氏は野党の風雲児だった。新進党時代は「反小沢」の急先鋒であり、民主党になってからは菅氏とことごとく敵対し、最近では鳩山氏とも離反して、とうとう野党内に「居場所」がなくなってしまった。離党して与党に行っても居場所が確保される保証はない。「自民党の難民収容所は満杯状態」だから、与党内の選挙区調整は大変である。
本来は国会の有事関連法案審議で菅執行部の対応を批判して離党をすれば、それなりの大義名分も立つが、解散がいつあるかわからない状況では悠長なことも言ってられないのだろう。解散風と政党助成金の算定基準日(1月1日)に追いまくられる離党・新党劇はやはり寂しい。』
安藤記者が、熊谷氏と新党結成を見る目は厳しい。
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23日、民主党の熊谷前副代表のグループと保守党の二階幹事長らは保守党本部で新党結成準備会を開き、党名を「保守新党」とすることを決定した。新党には、保守党から野田毅党首、小池百合子衆院議員、月原茂晧参院議員を除く9人、民主党から熊谷氏ほか3人の合計13人の参加が決まった。結局、新党参加者は、12人であった保守党の所属議員数に1人上乗せしただけの数字に終わった。
24日の日経朝刊2面が、各人各様の感想を取り上げていた。
『「当初の線から微動だにせず結党に進んでいる。」(保守党・二階幹事長)
「あんなもの大勢に影響なんかない。」(自民党首脳)
「(野田氏には)三回だまされた。」(保守党・松浪健四郎衆院議員)』
そして極めつけは、コレ↓
『「与党三党が結束すれば野党は崩れてくる」と青木幹雄参院幹事長が言ったが、本当にそうなったなあ」。小泉純一郎首相は23日夜、与党幹部との忘年会で上機嫌にこう語った。しかし熊谷氏らの離党により、民主党の弱体化を期待した与党側にとっても肩透かしの結果となった。』
オイオイ、小泉さんよ。「この私、小泉が、自民党をぶっ潰します」はどうなったんだよ?この二枚舌男め。
(2003/03/03)
後編にツヅク(^^)