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<Taka watches>
DATE・・・・2001/04/19(M-2)
”社説” ・・もっと具体的な政策が聞きたい/森政権のさみしい幕切れ
評価 ・・・・C Objection!
いうまでもなく”社説”は、新聞の顔である。
『自民党総裁選は後半戦に入り、立候補した4氏は18日、日本記者クラブで討論会に臨んだ。今回の総裁選は経済分野を中心に候補者による政策スタンスの違いがはっきりしている。』
記者のいう、スタンスの違う4人の候補者の政策とは、彼らが総裁選に臨んで、たまたま思いつきで喋っているものではなく、以前から、彼らが信念として持ってきたものを指しているのであろうか?政治家として、政策とは、今回のように総裁選という場が与えられて、ポコッと生れてくるものなのか、それとも、日頃、信念として育まれてきたものが表に出てくるものなのか、記者はいずれと考えているであろうか?ポコッと生れてきたものは、総裁選終了後には、スポッと何処かへ置き忘れ去られてしまいそうな気がする。自民党の政権は、総裁(多数派を維持できれば兼日本の首相)の裁量で政策が動かされる、と記者は考えているのであろうか?もしそうなら、”社説”の後半部分でコメントされている森自民党総裁兼首相もまた、自分の政策を披露し、実行してきたとでもいうのであろうか?もし自民党の総裁兼日本の首相が、単なるシンボル以外の何かであるならば、『就任早々、不用意な「神の国」発言で世論の反発を浴び、国民との信頼関係を築くことに失敗した。』人物を、日本の国民が、日本を代表する首相のまま置いておくはずがないと思うのだが。
『従来の派閥締め付けがきかなくなるなかで、自民党が誰を総裁に選ぶのか、国民は大きな関心を持って見守っている。』
何時の間に、自民党で従来の派閥締め付けがきかなくなったのか、私には初耳である。確かに候補者の一人小泉氏は、自派閥からの離脱を宣言した。しかし、自民党の各派閥の長が、派閥解消宣言をしたという話は聞かない。記者は、総裁選終了後には、自民党に派閥がなくなるとでもいいたいのであろうか?自民党の派閥は、いってみれば一種の構造である。”革命的構造改革なくして、自民党の派閥組織がなくなることなし”とは、政治記者なら周知の事実であろうと思うのだが。
さらに、国民が、それでなくともKSD汚職、外交機密費使い込みといった事件から数ヶ月しか経っていないこの時期に、四候補者の言っていることを真に受けていると、記者は本気で考えているのであろうか?国民は、確かに総裁選にある種の興味・関心を持っているであろう。しかし、その関心は、記者のいう”関心”とは、多少質が違っているのではなかろうか?
4人の候補者の政策は、どのようにスタンスが違うのか?
『4氏とも日本経済の再生に全力で取り組む姿勢を示しているが、再生に至る道筋はかなり違う。大きく分ければ、経済構造改革と財政・金融政策による需要対策とのどちらを「主」とし、どちらを「従」とするかの違いだ。』
誰でも、こう考えていると思う。もし、日本の経済が再生されるなら、誰でも、どんな道筋でもいい。なにしろ早くとりかかって、早く再生させてくれ、と。記者は、「再生に至る道筋はかなり違う。」という。4候補者のいずれの政策も、その道筋は日本経済再生につながっているといわんばかりだ。それは、その4候補者の言い分であろう。ましてや、経済構造改革にせよ、財政・金融政策による需要対策にせよ、今の日本の現状は、どちらを取るかというような話ではないのではないか?そんな簡単な話なら、何故こうも時間がかかって、しかもものごとが遅々として前へ進まないのか?
『「構造改革なくして景気回復はない」という小泉純一郎氏。その対極にあるのが、補正予算の編成や減税を検討し3−4%程度の安定成長の実現を優先する亀井静香氏だ。中間に橋本龍太郎氏が、麻生太郎氏は亀井氏に近いところに位置する構図である。これだけ基本姿勢が違うと、だれが総裁に選ばれるかによって政策運営が大きく変わる。』
まず、『これだけ基本姿勢が違うと』とは、どれほど違うというのであろう。たとえ小泉氏が総理総裁になろうが、補正予算の編成は、党・官僚主導で粛々と行われるのは目に見えている。『構造改革なくして景気回復はない』というのも当たり前の話で、小泉氏自身、構造改革のみで景気が回復するとは言っていない。そもそもまじめな話、自民党政権というのは、総裁(多数派を維持できれば兼首相)が変わると、政策が変化する政権なのか?誰が総裁に選ばれようが、政策運営の基本は、確固たるピラミッド型組織の自民党と、誰も辞めさせることはできない官僚群の意向によって決められているのではないか?
『日本経済の最大の構造問題は金融機関の不良債権処理の遅れと、その裏側で過剰な債務を抱える建設、不動産、流通といった業界の弱さだ。生産性の低いそうした業界が公共事業の支えもあってかなりの雇用を抱え、日本経済全体の効率を悪くしているという問題にどう取り組むかが構造改革の焦点である。』
上述の『日本経済の・・・・・・焦点である。』は、10年前の記事からそっくり抜き出してきたような文章である。まさに、これぞ十年一日という言葉が相応しかろう。へたをすれば、さらに10年後でも、この文章が使えそうなところが恐ろしい。ものごとを10年間そのままにしておく政治家も政治家だが、10年前でも有効な文章を書く方も書く方だ。
『不良債権の処理と同時にこうした業界の淘汰・再編を進め、その間は「一時的にマイナス成長となるのもやむをえない」(小泉氏)と考えるのか。それともこれまでのように需要対策によって景気を押し上げ、時間をかけて問題を解決しようとする路線を続けるのか。構造改革と痛み止めのバランスを取る中間路線をいくのか。今回の総裁選はその選択の意味を持っている。』
小泉氏が自民党総裁になったとして、氏の言う『不良債権の処理と同時にこうした業界の淘汰・再編を進め』られるであろうか?小泉氏は、森派会長として森政権を支えてきた人物の一人であり、その森政権は、『こうした業界の淘汰・再編』を目指す政策とは、無縁のものであったという事実は、たとえ小泉氏一人何かをやろうと思っても、自民党の意思に逆らっては何もできないことを意味していないか?後半で記者は、『今回の総裁選はその選択の意味を持っている。』といっているが、誰が選択するのであろうか?少なくとも一般国民でないことは確かだ。
『ただ4氏の主張にはあいまいさも残る。小泉氏は国債の新規発行額を30兆円以下に抑えるという点を除くと、構造改革の中味と手順がはっきりしない。麻生、橋本、亀井の三氏の場合、短期的にはともかく中期的にどういう姿勢で財政構造改革に取り組むかを示していない。4氏に共通する点として、国民の将来不安を生んでいる社会保障制度についてどう改革するのか、具体的な姿をほとんど語っていない。』
記者は、4氏が『国民の将来不安を生んでいる社会保障制度についてどう改革するのか、具体的な姿をほとんど語っていない。』という。さらに本記事のまとめとして、『総裁選への関心は高い。その意義を高めるために、さらに政策論争を深めてもらいたい。』といっている。10年以上も同じ問題を抱えてきて、記者は、未だにこれらの問題に対し、何ら提言すべき意見や解決策を持っていないのであろうか?難しい問題だ、だからすべてを政治家に投げて、「具体的な姿を語ってほしい」「政策論争を深めてほしい」というのであろうか?
まさにこの記者の姿勢に、日本人の典型的なパターンを見る思いがある。国民が、MassMediaが、政治家や官僚に「・・・・してほしい」と言っている間は、彼らが、国民やMassMdiaを軽視するのを止めさせるわけにはいかないであろう。彼らはこう言うに決まっている。「ほれみたことか、我われがいなければ、連中は何もできないのだ」と。
社会保障制度も、突き詰めれば財政赤字に行き着く。不良債権処理が終わったとしても、日本の莫大な財政赤字は温存されている。日本のすべての経済問題の根源は、この財政赤字に行き着く。自民党総裁選候補者の語る”財政構造改革”なるものが、日本の財政赤字削減もしくは解消の抜本策となり得るかどうか、これが今回の総裁選における最大の論点であるべきである。何故なら、この莫大なる日本の財政赤字を生じさせた最大の責任者が、現政治家・官僚連中であるからだ。Japan Problem/Basic Concept/2001/03/30”春秋”
小泉氏は、11日発表した政権構想の中で、持論の”郵政3事業の民営化”と共に、無駄な歳出の削減による”増税なき構造改革”や、国債の新規発行抑制に取り組む方針を打ち出し、他の三氏と比べて、より財政赤字削減への方向へ向かってはいるが、如何せん、自民党員としては少数派(というよりは個人的といった方がより正確かもしれない)の意見であり、たとえ総裁・首相になろうが、自民党を逆方向に動かす力はないと推測される。
”社説”はその後半部で、自民党総裁選で新しい総裁兼日本の首相が生れようとしている一方で、記者会見で国民に向けて正式に退陣を表明した『森政権の1年間をしっかり総括し、その教訓を生かすことが日本の政治にとって大事である。』と述べている。『急きょ登板した森氏は、一国の指導者として政権を担当する心の準備も政策の準備も明らかに不足していた。”日本新生”やIT革命、教育改革などの政策を掲げて挽回を試みたが、側近の中川秀直前官房長官のスキャンダルやKSD事件や外務省機密費流用事件などが重なって支持率は一ケタ台まで落ち込み、ついに退陣に追い込まれた。いくらいい政策を掲げても国民の支持と信頼がなければ、十分な政策効果はあがらない。』
”社説”は、就任早々の森首相の「神の国」発言を、この期に及んでも単に『不用意な』と形容する。今になって顧みれば、この森氏の「神の国」発言が、単に『不用意な』だけの発言ではなく、森政権のすべてを暗示していたと考えるのが、ジャーナリストとしての筋道ではないであろうか?何故なら、日本を世界の中で特別な「神の国」と捉えるものの見方は、結果として、世界の国々あるいは人々からより垣根を取り払い、互いに平等な対等な立場における自由競争を促進するIT革命や、そのIT革命を担うよりグローバライズされた人材をつくるための教育改革にとっては、およそアンチテーゼに等しかったからである。
『国民の支持と信頼』がなかったから、『いくらいい政策を掲げても』政策効果があがらなかったのではなく、そもそもIT革命を”イット”革命と呼んだり、小学生相手に「勉強しないと”日陰者”になるよ」と言ったり、遡れば自民党三役時代に、「選挙直前のマスコミによる投票直前予想は投票者の動向を変える懸念があるから、自民党は、マスコミの投票直前予想を禁ずる法案の提出を考慮すべきだ」と基本的人権の一つである言論の自由を制限するかのような発言をした人物が、IT革命や教育改革に相応しい人物であるはずがない。
では、何故このような人物が自民党総裁兼首相になることができたのか?
『森政権は誕生のいきさつからもいわゆる「五人組」の影響力が強く、二重権力のような印象を与えた。森首相が景気対策などを与党に「丸投げ」したのも指導力不足を感じさせた。』
森政権の一年は、日本国民にとってどのような一年であったろう?”停滞”、おそらく大部分の人の印象は、”後退”であろう。森政権の教訓を生かしてほしいのは、この政権の誕生にあたって、国民にその本質を知らしめず、数々の放言に対しても、単に”不用意な”で済ませてしまう、MassMediaの安易で無責任なその体質である。謝れば何でも許される、と彼らに思わせるのはもう止めよう。謝って、そして責任を取ってはじめて許されるのではないか?日本にこれほど無責任体質がはびこるのには、MassMediaの甘やかしの体質が大いに関係あると確信している。
『ポスト森を決める今回の総裁選はおそらく自民党再生の最後のチャンスだろう。派閥の思惑に振り回されるのではなく、政策論争を通じて国民に信頼されるリーダーが選べるかどうかに注目が集まっている。政治が信頼を取り戻すには、トップリーダーが明確な政策と理念を示すことが第一歩になる。』
日本の、自民党の政治というのは、そのような政治であっただろうか?編集委員 田勢康弘氏はこう語る。”指導者の劣化が国を滅ぼす”と。
Taka watches/2001/03/11
もし自民党が、そのような変幻自在な党であったなら、確かに日本国民は、ジャイアンツの応援をするように、自民党だけを応援していれば、世の中すべてうまく行くであろう。過去に、そのような長い時代が続いたこともあったが、その間、世の中がすべてうまく行ったことと、莫大な財政赤字が積み上がったこととは、決して無関係ではないことを、我われ国民は肝に銘じるべきである。
たとえ小泉氏が、どれほど個人的に正しい方向性の政策を持っていたとしても、過去そして現在も”無駄遣い”という甘い蜜に群がってきた自民党という集団を、その指導力で蜜から引き離せるとは、私には思えない。
”社説”は、進行中の自民党総裁選に向けられた前半部と、退場する森政権に対する後半部とで、好対照を描いている。私は言いたい。なぜ退場する森政権に向けられる鋭い分析が、進行中の自民党総裁選に向けられないのであろうか?森政権成立時に取られた、MassMediaによる分析力の欠けた甘い報道姿勢が、けっきょく記事が指摘するその後の森政権の失政につながったとすれば、現在進行中の自民党総裁選およびその候補者に対して、彼らの言い分を丸呑みするような安易な報道姿勢を取らず、幕を引こうとしている森政権に向けられたような鋭い分析による適切な解説を、国民に提供してもらいたいものである。