the NIKKEI-watcher

<Taka remarks>

小泉純一郎氏
  「信なくば立たず/やってから考える/急いてはコトを仕損じる」


小泉首相の「傲慢・欺瞞」(その3)

ーー「伝家の宝刀」ーー




<4月4日の小泉首相>

2002年4月5日の日経新聞朝刊2面に掲載された小泉首相に関する次の記事は、まだ今年もわずか四分の一が過ぎたばかりというのに、おそらく本年度のベスト10には間違いなく入ろうかという、秀逸かつ大いに笑える報道であった。

「俺は自民党がみんなよってたかって俺を降ろそうとしても総辞職はしない。解散だ。わかってるか。」
小泉純一郎首相は4日夜、自民党行政改革推進本部メンバーとの懇談でこうすごんでみせた。
「政局の話をしようじゃないか」と突然切り出し、武部勤農相の続投に触れ、「俺は派閥の大小にはこだわらない。武部農相を守ろうというのは少数派だったが、俺は少数派に軍配を上げた。これが俺の決意だ」とひとしきり。
ワインがかなり入っていたとはいえ、突然の発言に出席者は一瞬、静まり返ったという。
首相はさらに同席していた古賀誠前幹事長、石原伸晃行政改革担当相らを代わる代わる見ながら、「敵と思えば味方、味方と思えば敵。ブルータス、お前もか」など冗談とも本気ともつかない怪気炎を上げた。』

内閣総理大臣の専権事項である「衆議院の解散権」を、人は「伝家の宝刀」とも呼んで来た。
「伝家の宝刀」という言葉を「広辞苑」で引いてみると、
代々家宝として伝わっている名刀。
転じて、いよいよという時以外にはみだりに使用しない、取っておきの物・手段など。
と書いてある。
そして今、その「伝家の宝刀」を持つ男が小泉純一郎首相であり、この男がまた、ちらりと「伝家の宝刀」を見せびらかすのが、たまらなく好きらしいのだ。
解散だ。わかってるか」。小泉首相がちらりと「伝家の宝刀」を、古賀誠前幹事長、石原伸晃行政改革担当相らに見せびらかした瞬間である。

<4月5日の小泉首相>

一夜明けた翌5日の閣議後の閣僚懇談会で、小泉首相が次期衆院選の時期について次のように強調したとの記事が、5日の日経夕刊2面に報道された。

任期満了までやるのが筋だ。よほどのことがなければ政権の投げ出しは責任放棄であり、全力で仕事に励んでもらいたい。

昨4日夜の自民党行政改革推進本部メンバーとの懇親会で、「党が俺を降ろそうとしても総辞職はしない。解散だ」とすごんでみせた舌の根も乾かないうちに、閣僚懇談会でどのような反響があったのか知らないが、小泉首相は発言を軌道修正した。

『福田康夫官房長官は記者会見で、「最大の関心事ですかね」と冗談めかしながら、「現実問題として今そういう時期にあるわけではないので、しっかり構造改革をやらせてください」と早期解散の可能性を打ち消した』という。


「みだりに使用してはいけない」”伝家の宝刀”を、みだりに使用したがる小泉首相に対し、”二大政党”にはほど遠い”二番政党”である民主党の鳩山由紀夫代表が6日、宮崎市内で講演し、『「小泉首相はイタリア料理店で気勢を上げ、”解散する”と話したようだが、今すぐ解散すべきだ。民主党は解散・総選挙で政権交代を成就させたい」と述べ、早期解散を求める姿勢を強調した』と、7日の日経朝刊2面が伝えた。

<4月8日の小泉首相>

小泉首相は8日、5日の参院本会議で結果的に否決された「武部農相問責決議案」の採決を巡って、欠席戦術をとった公明党とのギクシャクした関係を修復すべく都内のホテルで、自民党山崎拓幹事長同席のもとに公明党の神崎武法代表、冬柴鉄三幹事長ら幹部と手打ちの会合を持った。
小泉首相としては神崎代表の顔にドロを塗った形になっており、今後の政権運営において公明党にそっぽを向かれては一大事との認識から、甘い蜜の味の与党の座から離れたくない「解散」を望まぬ公明党の心情に媚びる小泉首相の露骨なすり寄り発言を、9日の日経朝刊2面が次のように伝えた。
図らずも自分の利益のためなら平気で何でもするという、小泉首相の節操のないオポチュニスト(日和見・便宜主義者)の一面を、遺憾なく表わしているように思われる。

『加藤(紘一)さんは、衆院解散でないと次の選挙に出られないだってね。
でも、今年は解散ないからなぁ。
今年は改革をゆっくりするから、
解散はしないよ。

<4月9日の小泉首相>

10日の日経朝刊2面。
『自民党の国家戦略、政治制度改革、行政改革推進の三本部は9日の合同会議で、政治家と官僚の接触を制限する「政と官」関係のルールづくりについて協議した。
発言者全員が「自由闊達な議論を妨げ、国益を損なう」(岩屋毅氏)などと反対論を展開、国家戦略本部が先にまとめた原案は、抜本的に見直す方向となった。』


小泉首相が、「自民党国家戦略本部」の名を借りて出してきた「政と官」関係の見直しに関する「提言」は、官僚大好き人間の小泉首相が、それでなくとも分厚い壁で庇護された官僚をさらに一段と分厚く守ってやることで官僚を味方につけ、彼らの力をバックに自民党を制覇して「官僚王国」の頂点に立って日本を支配しようという、「小泉独裁政権」への野望が裏に秘められている。
従って、自民党江藤・亀井派の亀井静香会長代行が早速この「提言」に対して、「議会制民主主義、政党政治の根幹に触れる極めて大きな提案だ」と述べた指摘が、この「提言」の裏に隠された的のど真ん中をぶち抜いたもっとも適切なコメントであり、今回の自民党側の対応も当然の反応といえよう。


ついでに同9日には、民主党の「政と官のあり方を考えるプロジェクトチーム」が、「政と官」のあり方に関する指針の骨子案をまとめた、との記事も並んであった。
それによれば、『政治家による行政への不当な介入を防ぐため、与党議員が省庁に接触する場合は、閣僚や副大臣、政務官を窓口とする。省庁との接触の機会が少ない野党に配慮し、野党議員は官僚から直接説明を受けることができるとした』そうだ。

小泉「提言」は、一見まともそうにみえるが、実は総理大臣に率いられた「官僚独裁政治」への道を開くものである。
この点を、民主党の「指針」はどう捉えているのか?
世の中、小泉首相のように悪智恵に長けた政治家が、いつなんどき能天気な日本の国民性に迎合して表舞台に飛び出してくるかわからない・・・というよりは、必ず現れると考えておくべきなのであるから。

話は戻って同紙同面には、『小泉首相は9日夜、中曽根康弘元首相、森喜朗前首相らと会談し、「政と官」の関係見直しや郵政民営化など与党との調整が難航する問題で、官邸主導を貫く決意を示した』との記事があった。
その中で小泉首相は、またまた次のような面白い(?)ことを発言した。

最後の最後まで党内が反対なら、そのときに考える。


え〜、結局どこまで行ったんだったかな?
8日に、公明党の神崎代表らと会談し、「今年は解散ないからなぁ。今年は改革をゆっくりするから、解散はしないよ」と言ったところまでだったかな〜?
それで翌9日に、中曽根元首相、森前首相らと会談、もし自分の「政と官」関係の見直しに関する「提言」や郵政民営化案に、「最後の最後まで党内が反対なら、そのときに考える」だと。
なにを考えるんだ?得意の「解散」をか?
しかし前日に、「解散はしないよ」と言ったばかりではなかったか。
もっとも、その前には「党が俺を降ろそうとしても総辞職はしない。解散だ」とすごんでみせたんだったっけな。

<4月10日の小泉首相>

10日、小泉首相は国会で、鳩山由紀夫民主党代表との党首討論に臨んだ。

鳩山代表: 解散という「伝家の宝刀」を抜いて、国民の審判を受けるべきだ。
小泉首相: (省略)解散は混乱した時は考えるかもしれないが、任期満了までやるべき仕事をきっちりやって、いずれ時がくれば国民に信を問うことを考えればいい。今は解散は考えていない。


そうすると、自民党内で所謂「抵抗勢力」が自分の考えに反対した時には、「解散」を考えるということだろうか?
となると、11日の日経朝刊2面の次の記事は、いったいどういう意味なんだ?

『頼みの支持率が低下し、政権基盤が微妙に揺らぐ中で、小泉首相は族議員との対決姿勢を再び強め、「抵抗勢力」との対立を演出することで改革路線を軌道に乗せようとしているとみられる。
3月末、官邸を訪れたある閣僚に、小泉首相はこうつぶやいた。
「もっと郵政族には”抵抗勢力”として頑張ってもらわないと・・・。たきつけないとな。

<4月11日の小泉首相>

小泉首相は11日、国際会議出席のため中国・海南島に到着した。
同行記者団との懇談で次のように語ったと、12日の日経朝刊2面が伝えた。

『(内閣改造について)「基本的に閣僚は変わらないほうがいい。今国会(終了直後)に改造をやる必要はない」と述べ、早期の内閣改造を否定した。
ただ「政治は生き物だから将来必要があれば(改造)する。固定して考えない」とも指摘し、今後の政治情勢によって「一内閣一閣僚」の方針にこだわらずに人事を断行する可能性に含みをもたせた。
衆院解散・総選挙に関しては、「任期満了まで(与党と)協力して精一杯やるべき仕事をするのが、私の基本的な立場だ。首相の職務を放棄することはない」と重ねて力説した。』


ということで、4月4日からスタートして11日まで8日間の、「解散」にまつわる小泉首相の発言を追ってみた。
たとえ8日間であっても、「解散」にまつわるその発言から、小泉首相の性格らしきものがお分かりいただけたのではないかと思う。
小泉首相が恫喝のようにして「解散」をひけらかし、自民党内の”抵抗勢力”や公明、保守の与党二党および野党の連中に腰を退かせているのは、議員の常として彼らすべてが、一瞬のうちに衆議院議員という甘い蜜の味の身分を失ってしまう「解散」を、なによりも怖れているという現実があるからである。


元来、内閣総理大臣の「伝家の宝刀」と呼ばれる「衆議院の解散権」の法的根拠は、憲法第69条[衆議院の内閣不信任]に書かれた次の条文に拠るとされる。

『内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、10日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。』

この条文の背景には、立法権(国会)と行政権(内閣)が、互いに独立してけん制し合う「三権分立」の思想がある。
「内閣不信任決議案」は、立法府である国会が、行政府である内閣をけん制する一手段であり、内閣の長たる総理大臣の「衆議院の解散権」は、行政府が立法府に辞職を迫る「内閣不信任決議案」への牽制球の役割を担っているものである。

ところが日本の現実は、69条に記載された「内閣不信任決議案」の上程なしに、「衆議院の解散権」の行使が行われてきたケースがほとんどであった。
これは、憲法第7条[天皇の国事行為]第3号「衆議院を解散すること」に根拠を求めているところから、「7条解散説」とも言われる。
天皇の衆議院の解散権は形式的なものと捉え、実質的な解散権は内閣すなわちその長たる内閣総理大臣にあるとするものである。
条文は次のとおり。

『天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の告示に関する行為を行う。
一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
二 国会を召集すること。
三 衆議院を解散すること。
四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
五〜十 省略』

NIKKEI NETから、戦後の「解散」の歴史をリストアップしてみた。

第22回(1945年12月18日)  第一次GHQ解散
第23回(1947年3月31日)   第二次GHQ解散
第24回(1948年12月23日)  なれ会い解散
第25回(1952年8月28日)   抜き打ち解散
第26回(1953年3月14日)   バカヤロー解散
第27回(1955年1月24日)   天の声解散
第28回(1958年4月25日)   話し合い解散
第29回(1960年10月24日)  安保解散
第30回(1963年10月23日)  ムード解散
第31回(1966年12月27日)  黒い霧解散
第32回(1969年12月2日)   沖縄解散
第33回(1972年11月13日)  日中解散
第34回(1976年12月5日)   任期満了ロッキード選挙解散
第35回(1979年9月7日)    増税解散
第36回(1980年5月19日)   ハプニング解散
第37回(1983年11月28日)  田中判決解散
第38回(1986年6月2日)    死んだ振り解散
第39回(1990年1月24日)   消費税解散
第40回(1993年6月18日)   政治改革解散
第41回(1996年9月27日)   小選挙区解散
第42回(2000年6月2日)    ? 解散
第43回(     ?    )    ? 解散


こう見てくると、政治上の重要テーマを巡っての解散が数多く見られることに気づく。
「小選挙区制」や「消費税」導入に際しての解散などである。
重要テーマについて国民の信を問うという意味で、当然といえば当然のことではあるが、今国会にはその類の重要法案が列をなしているといえる。
筆頭が、一昨日の16日夜、閣議決定された「有事法制関連三法案」である。
これに「個人情報保護法案」が続く。


「伝家の宝刀」の「解散権」を、ちらちら見せびらかしては敵味方、ところ構わず恫喝するのが得意な小泉首相は、いざ本番の「解散」を目前にしたとき、どのような感慨にふけるであろうか?
私にはその時が、粛々と目前に迫ってきているように感じられる。
おそらく、首相になってからの自分の政治実績を振り返るとき、小泉首相は、「勇んで」という心境にはなれまい。
解散を受けて「勇んで」という心境になるのは、これまで小泉首相に「痛み」ばかり負わされ続けてきた、「国民」をおいて他にはあるまい。


しかしまあ、小泉純一郎という男は、ほんとにとぼけた男だよな〜。
なんだって、「敵と思えば味方、味方と思えば敵。ブルータス、お前もか」だと。。。
なんだ、そりゃあ!
(2002/04/18)
BACK
NEXT
TOP
MENU

Message Board