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<Taka remarks>
小泉純一郎氏
「信なくば立たず/やってから考える/急いてはコトを仕損じる」
小泉首相の「傲慢・欺瞞」(その2)
ーー「靖国参拝」私人?公人?ーー
それは、2月15日の日経新聞夕刊2面の”ニュースダイジェスト”に、まず報道された。
『福田官房長官は15日の閣議後の記者会見で、ブッシュ米大統領が訪日時に、明治神宮を参拝することを明らかにした。大統領に付き添って、小泉首相が参拝することについては、「大統領と一緒に日本の首相がお参りすることは、首相の公式参拝になるとの見方がある。公式参拝だと憲法に抵触する」と慎重な考えを示した。』
翌16日の同紙朝刊2面にも、関連記事が報道された。
『米国のブッシュ大統領が来日して東京・代々木の明治神宮を訪問する際、小泉首相が同行して馬上から的に向けて矢を射る流鏑馬(やぶさめ)を見学することが固まった。明治神宮参拝は、憲法の政教分離に抵触するとの指摘もあるため、大統領単独で行い、首相は境内で催される流鏑馬見物だけに参加する予定だ。
小泉首相は15日夜首相官邸で記者団に、明治神宮訪問について「流鏑馬のためにうかがう。警備の関係で内証にしていただけだ」と強調した。首相周辺には、儀礼的な参拝は憲法に抵触しないとの意見があるが、過去の1979年6月のカーター、1983年11月のレーガン両大統領の明治神宮訪問でも当時の大平正芳、中曽根康弘両首相は参拝しておらず、混乱を避けるため慣例に従ったものとみられる。』
2月18日午前、来日中のブッシュ米大統領は都内の明治神宮を参拝した。18日の日経夕刊2面は次のように伝えた。
『「日本の文化的なものや歴史的な建造物に触れたい」との(大統領の)意向によるもの。首相は明治神宮で合流したものの、憲法の定める政教分離原則に抵触するおそれがあると判断したため参拝には同行しなかった。午前9時16分、大統領はローラ夫人を伴って明治神宮に到着。夫妻は外拝殿に入って参拝、記帳した。大統領は参拝後、西参道脇の馬場に移動し、待ち受けた首相やパウエル国務長官らと流鏑馬を見学した。
今回(ブッシュ大統領来日にあたって)政府は、米側から挙げられた複数の希望地の中に明治神宮が含まれていたため、検討した結果、「A級戦犯が合祀されている靖国神社と異なり、問題になるとは思えない」として受け入れた。首相が参拝を見送った理由について、政府は「大統領と一緒に首相が参拝することは公式行事になり、公式参拝になるとの見方がある。公式参拝だと憲法に抵触する」と説明している。』
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上記の記事は、私にすぐ昨年8月の小泉首相による「靖国参拝」のゴタゴタを思い起こさせた。
2001年8月14日の日経朝刊1/2/14面より、当日の状況を追ってみた
小泉首相は昨年8月13日午後、東京九段北の靖国神社を参拝した。
参拝に先立ち、福田官房長官は記者会見で、小泉首相の談話を発表した。
「小泉首相の談話」
セミの声が響く靖国神社に小泉首相が到着したのは、午後4時半。公式参拝した時の中曽根康弘首相と違って参道は歩かず、黒塗りの公用車を降り、礼服姿で入り口まで十数メートルをゆっくりと進む。神妙な表情で口は真一文字。参集所で「内閣総理大臣小泉純一郎」と記帳した後、水で手を清めた。神官の先導でうつむき加減に拝殿を通り、参拝場所のある本殿に続く階段を一段一段ゆっくり上る。硬い表情は変わらない。秘書官によると、本殿の中では、神道式の「二礼二拍手」をせず、深々と一礼しただけで、1分足らずで外へ出た。事前にポケットマネーから3万円の献花料を神社側に渡し、本殿に名入りの生花一対を供えた。
参拝のあと、神社内の広間で記者会見を行なった。
<決断に至る経緯>
「小泉は言い出したら聞かない」と言われるが、必ずしもそうじゃない。口は一つだが、私も幸い耳は二つ持っている。今までの持論は別として、虚心坦懐にいろいろな人の意見を聞いた。熟慮に熟慮を重ね、今日がいいのではないかと私が判断した。
<13日参拝の理由>
かねて靖国参拝が平和国家として誓う一つの表現と思っていた。しかし15日が近ずくにつれ、私の意図とは違う取り方をする人も出てきた。中国や韓国、近隣諸国と友好を保ちたいが、15日に参拝すると逆に取られることが鮮明になってきた。それは望むところではない。持論は持論だが、現在は虚心坦懐に一身を投げ出し、職責を果たすことの方が最優先だ。なおかつ日本の国民感情に配慮せねばならない。
<参拝形式>
玉ぐし料ではなく、献花料。ポケットマネーで払った。公式、私的に私はこだわらない。首相である小泉純一郎が心を込めて参拝した。
<A級戦犯>
数多くの戦没者に哀悼の誠を捧げようとした。A級戦犯とか特定の個人に対して靖国神社にお参りしたのではない。
<今後の問題>
外国人が経緯を表わしたい場合など、内外の方が戦没者追悼の誠を捧げられる、批判の起きない良いものをこれから議論したい。
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明治神宮の小泉首相は、「公式行事」における「公人」としての「公式参拝」ではなかった。そりゃそうだ、参拝しなかったんだから。問題は、「靖国参拝」だ。小泉首相は、「公人」である首相としての「公式行事」において、靖国神社を「公式参拝」したのであろうか?
上記記者会見とは別に、8月15日の日経朝刊2面に、政府が14日の持ち回り閣議で、小泉首相の靖国参拝に関する社民党の北川れん子衆院議員の質問主意書に対する答弁書を決定した、との記事が掲載された。
答弁書の中で、
@「小泉首相は、首相が公的立場にあるからといって、私人として参拝する場合を含め、一律に憲法20条[信教の自由、国の宗教活動の禁止]および89条[公の財産の支出利用の制限]に定める政教分離の原則に反するものではない、と考えている」。
A小泉首相の参拝が、遺族の宗教的信念・信条を蹂躙したり、苦痛を倍加させることにはならない。
Bまた小泉首相の参拝が、決して戦争を美化したり正当化するものではなく、憲法の前文に矛盾するものではない。
との認識を示した。
また8月17日の日経朝刊2面に、政府が16日の持ち回り閣議で、小泉首相の靖国参拝についての社民党の大脇雅子参院議員の質問主意書に対する答弁書を決めた、との記事が掲載された。
答弁書の中では、
@「内閣総理大臣 小泉純一郎」と記帳したのは、その地位を示す肩書きを付すことが慣例としてしばしば行なわれているからである。
A(公式参拝か私的参拝であるかについては)「首相である小泉純一郎が、心を込めて参拝した」。
B玉ぐし料は、公費、私費ともに支出せず。事前に献花代を私費で支出した。
C往復に公用車を使用した。
D本殿で一礼した。
などの事実を確認したという。
【ご参考】
憲法第20条[信教の自由、国の宗教活動の禁止]
信教の自由は何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
A何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は政治上の権力を行使してはならない。
B国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
憲法第89条[公の財産の支出利用の制限]
公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。
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文頭の「明治神宮参拝」に関する首相官邸のコメントを再読いただきたい。
「ブッシュ大統領と一緒に首相が参拝することは公式行事になり、公式参拝になるとの見方がある。公式参拝だと憲法に抵触する。」首相官邸は、小泉首相がなぜブッシュ米大統領と一緒に参拝しなかったのかの理由として、はっきりそう説明している。
ということは、小泉首相の「靖国参拝」は、「公式参拝」ではなかったということだ。もしそれが「公式参拝」であれば、憲法に抵触しているわけであるから。もっとも、「公式行事」における「公人」としての「公式参拝」でなければ、憲法に抵触しないという屁理屈もあろう。首相官邸がわざわざ、「公式参拝になるとの見方がある」と持って回った言い方をしているのも、それを示唆していると思われる。
私は法律の専門家ではないけれども、もし「公式行事」における「公人」としての「公式参拝」以外の「公式参拝」があるとすれば、三通りしかあり得ない。
@「非公式行事」における「公人」としての「公式参拝」
A「公式行事」における「私人」としての「公式参拝」
B「非公式行事」における「私人」としての「公式参拝」
このうちBは、「公式参拝」とはなり得ないという論理的矛盾があるので排除しよう。
@についても、いくら「公人」の立場で出たとしても、「非公式行事」が「公式参拝」とはなり得そうもない。これも外そう。
残るAは、こういうことだ。「靖国参拝」という「公式行事」に、私人の「内閣総理大臣小泉純一郎」が出席して、これを「公式参拝」と称する。しかし政府の「公式行事」に参加して、それを「公式参拝」と称するにもかかわらず、内閣総理大臣たるものが「私人」として参拝しましたとも言えまい。このAもありそうもない。
以上私がクダクダ言った理由は、ただひとつ。内閣総理大臣による「憲法に抵触しない公式参拝はありえない」ということが言いたいわけである。
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8月8日の日経朝刊2面に、内閣官房が7日の政務官会議で、靖国神社に参拝する際の「留意点」なるものを提示したことが報道された。
@私的な参拝は「全く個人の自由」として問題はないとの認識を示す一方、「公式参拝」は「職務権限に含まれていない」と指摘し、慎重に対応するように求めた。
A公用車の使用は、緊急時に連絡を取れるようにするため、私的な場合でも構わない。
B記帳の際に政務官の肩書を書くことも「肩書は慣例として使われている」として問題はないとの判断を示した。ただ、参拝後に報道機関に「政務官として参拝した」と明言することは、「公式参拝」との印象を与える可能性があることから自粛を求めた。
C閣僚に関しては、「各省の長としての参拝」は慎重な対応が必要だが、内閣の一員である「国務相」としてであれば問題はない。
小泉首相の「靖国参拝」も、上記「留意点」を配慮の上、憲法に抵触する「公式参拝」にあたらないよう慎重に執り行なわれた。
@公用車使用: 使用。→政府見解でOK
A記帳: 「内閣総理大臣 小泉純一郎」。表現は、「内閣総理大臣である小泉純一郎」。
→「肩書使用」は政府見解でOK。表現は、「内閣総理大臣として」ではなく、「内閣総理大臣である」であればOK。
B玉ぐし料: 支出せず。献花料(3万円)を私費にて支出。
なら、問題ないではないか。「公式参拝」ではなかった。従って、憲法にも抵触しないであろう。何が問題なんだ?
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1985年の中曽根康弘元首相は、「靖国参拝」にあたって、「公式参拝」と表明した。
今回、小泉首相は、「公式参拝」とも「私的参拝」とも言明しない。「公式、私的に私はこだわらない。首相である小泉純一郎が、心を込めて参拝した」とのみ語る。そこが問題なのだ!
上述してきた如く、小泉首相は今回の「靖国参拝」において、憲法に抵触する「公式参拝」と受け取られないよう、慎重にコトを進めたはずだ。ならばなぜ彼は、「公式参拝」ではないと明確に言おうとしないのか?
社民党の大脇雅子参院議員の質問主意書において、公式参拝か私的参拝かを問われて、「首相である小泉純一郎が、心を込めて参拝した」とのみ答弁する小泉首相の「傲慢」と「欺瞞」。そんな返事の仕方があるか!
彼の国会における答弁を聞いていると、いつも大体こうではないか。相手の質問にまともに答えようとしない。そしてヘラヘラ薄ら笑いを浮かべている。何を考えているんだ?
小泉首相が「靖国参拝」を公式か私的かに色分けしないのには、毎年のように繰り返される議論に「終止符」を打ちたいとの彼なりの思いがある、との見方もあるようだ。8月12日の日経朝刊2面から、関連記事を引いてみよう。
『首相は初当選以来、ほぼ毎年靖国神社を参拝している。「みんなで靖国神社を参拝する国会議員の会」などとは別で、ほとんど一人で参拝してきたのだ。首相が繰り返し述べる「日本人の国民感情として亡くなるとすべて仏様になる。A級戦犯も死刑という刑罰を既に受けている」という死生観。国会では「尊い命を犠牲にしてくれた方々に感謝を捧げる行為が、あまり毎年毎年議論になるのは好ましくない」とも語ってきた。参拝するか、しないか。公式参拝か、私的参拝か。毎年のように繰り返される議論に「終止符」を打ちたいとの思いがある。』
小泉首相、あなたのその思いは大切だと思う。でも、だからなぜ、公式か私的か色分けしないことになってしまうのか?おかしいではないか?あなたのその気持ちは、個人的な気持ちであろう?首相就任後から、あなたは何度も「個人的な心の問題として」終戦記念日に靖国神社を参拝するのだと、言い続けてきたではないか。なぜ「公式参拝」ではないと言わないのか?なぜ「私的参拝」だと言わないのか?なんの為に、そこをあいまいにしようとするのか?
上記の記事には、さらに続きが書かれていた。
『小泉首相は自民党総裁選中の4月中旬、日本遺族会の中井澄子会長、森田次夫副会長(参院議員)らに電話をかけ、こう伝えた。「私が総裁になったら、必ず8月15日に靖国神社を参拝します」。小泉陣営は翌日、これを報じた新聞記事のコピーを遺族会の各都道府県の遺族会会長あてに送付した。
この数日後に行なわれた自民党総裁選候補者の討論会では、「いかなる批判があろうとも8月15日に必ず参拝する」と、四人の中では最も明確な表現で参拝することを宣言。
参院選の遊説では遺族団体を前に、「日本の首相として、戦争の犠牲者に敬意と感謝の誠を捧げて、平和国家として世界の繁栄に尽くすという誓いを申し上げるのが、何で批判されるのか分からない」と中国などの反応に反発してみせる場面もあった。
遺族会の会員は百万人以上。小泉総裁誕生の一つの原動力になったとの見方は強い。森田副会長は首相が15日に参拝することを確信している。「もしやめるようなことがあれば、約束を破ったということになる」。』
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小泉首相が敢えて「公式参拝ではない」と言わない理由は、この百万人の会員を持つ遺族会向けのポーズと考える以外に見あたらない。憲法に抵触する惧れがある「公式参拝」がメリットであることは、他には考えられない。
小泉首相は当然、趣向を凝らした自分の「靖国参拝」が、「私的参拝」であることを知っていた。にもかかわらず、遺族会向けポーズとして、「公式参拝」であるかもしれないような言い方をとった。小泉首相が「靖国参拝」をした13日の翌日の新聞には、「姑息」という言葉があちこちに踊った。野党はもとより、自民党内部からもやり方が「姑息」であるとの批判が飛んだ。
私もそう思う。ほんとにこの小泉純一郎という男は、「姑息」で「小智恵」に長けた人間かと感心する。
1978年10月にA級戦犯を合祀して以来、1985年に中曽根康弘首相(当時)が、終戦記念日に初めて靖国神社を「公式参拝」した。しかし「近隣諸国の国民感情」への配慮から、翌年参拝を見送った。
宮澤首相(当時)は、11月に「私的参拝」。
1996年、橋本首相(当時)は、公私を明らかにせず誕生日に参拝(「私的参拝」)したが、周辺諸国の抗議で翌年から参拝を見送り。
細川、村山両首相(当時)は、参拝せず。
こうしてみると、終戦記念日に参拝することだけでも1985年以来ということで、遺族会にとってたいへん大きな意味を持った出来事であったことがわかる。しかも公式、私的の区分にこだわらず、実質は「私的参拝」であっても「公式参拝」である可能性を少しでも残せば、遺族会は涙を流すほど喜んでくれるであろうという小泉首相の下心が透けて見える。
だから小泉首相は、「公式、私的に私はこだわらない。首相である小泉純一郎が心を込めて参拝した」と、こうなる。
小泉首相の「靖国参拝」は、事実は、「非公式行事」における「私人」としての「私的参拝」であった。
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昨年11月1日、大阪、松山、福岡の各地方裁判所へ、小泉首相の「靖国参拝」に対する違憲確認等請求訴訟が提起された。
小泉首相は「私的参拝」に自信があった。だからこそ、このように発言した。
11月1日のMainichi INTERACTIVEによれば、『小泉首相は1日昼、首相官邸で記者団の質問に答え、戦没者遺族らが首相の靖国神社参拝を違憲として国に損害賠償などを求める訴えを起こしたことについて、「話にならんね。世の中おかしい人たちがいるもんだね」と述べ、自らの行動は憲法上問題はないとの認識を示した。
また福田官房長官は同日午前の記者会見で、「どこが憲法違反なんですかね。内閣総理大臣である小泉純一郎が参拝したんですよ」と述べ、首相の参拝は私的なもので、憲法の政教分離原則に反しないとの見解を示した。さらに「そういうことを言って小泉純一郎の信仰の自由を妨げたら、それこそ憲法違反じゃないですか」と語った』とのことだ。
小泉首相の「靖国参拝」が、「私的」なものであると認めた言葉は、この福田官房長官のそれが初めてではなかろうか?というのも、上述してきた如く、当初より、小泉首相は自分の参拝について、「公式、私的に私はこだわらない。首相である小泉純一郎が心を込めて参拝した」とのみ語ってきたからである。
この期におよんで、ぬけぬけと「首相の参拝は私的なもので」などとよく言うわ。最初から言えってんだ。こういうところが、この小泉首相は、たいへん「姑息」でこすっからい。そして、その自分の「姑息」な策に溺れた結果が、「話にならんね。世の中おかしい人たちがいるもんだね」発言だ。
このおかげで、小泉首相は昨年12月25日、大阪地方裁判所へ「おかしい人」発言損害賠償等請求訴訟を提起された。発言の対象となった人々への、人格的非難、揶揄、中傷に対する訴訟である。小泉純一郎というのは、こんな人物なのである。これが我われの首相なのだ。
ついでに、福田官房長官の「そういうことを言って小泉純一郎の信仰の自由を妨げたら、それこそ憲法違反じゃないですか」という発言。一国の首相が世間を騒がせて、個人的信仰を「公式、私的を明らかにせず」押し通すことの「傲慢」「欺瞞」「無責任」さについてのこれっぱかりの認識もない福田官房長官のこの発言も、国民の一人として許すことはできない。
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とはいっても、小泉首相の「靖国参拝」が「私的参拝」であるなら、憲法に抵触することもなかろうし、何が問題なんだ、これで話は終わりか?と読者の皆さんは思われるかもしれない。実は、これまで書いてきたことは、すべて「前置き」であったと言ったら、皆さんびっくりするであろうか?これからが、私が言いたいことの本筋である。
マスメディアはなぜ、このことを取り上げないのか?なぜそう「時の権力」に擦り寄り、甘やかしてしまうのか?それが、日本がこのような二、三流国に落ちぶれようかという主要な要因の一つであることが、なぜマスメディアの連中にはわからないのか?
小泉首相は、世間一般に通用している慣例として「内閣総理大臣小泉純一郎」と肩書を入れて記帳はしたが、「私人」の立場から「個人的な心の問題」として、靖国神社を「私的参拝」した。
にもかかわらず、参拝後までも「公式、私的に私はこだわらない。首相である小泉純一郎が、心を込めて参拝した」とのみ語り、国民、マスメディアの関心である「公式参拝」か「私的参拝」かの問い掛けを故意にはぐらかし、人心を惑わした。
一国の総理大臣というよりは、わが国日本の総理大臣が、「私人」の立場における「個人的な心の問題」によって、喫緊の「経済再生」「構造改革」が求められているさ中に、一カ月以上にわたる議論と実行の空白期間を生じせしめたことの「無責任」さを、なぜマスメディアは小泉首相に問わないのか?
さらに、総理大臣の職責にあるものが、「私人」の立場における「個人的な心の問題」によって、国民の中に戸惑いと賛否両論の渦を巻き起こし、日本経済再生にとって大切な時期に国民の関心を経済改革からそらせたことにとどまらず、中国、韓国といった近隣諸国の人々に「歴史教科書問題」に続いて再び日本の右傾化への警戒心を呼び起こし、現実に、中韓両国との間に外交の停滞をもたらした小泉首相の「無責任」の極みを、なぜ日本のマスメディアは問い掛けようとしないのか?
昨年8月18日の日経朝刊2面に、小泉首相自身が17日に、当初15日としていた「靖国参拝」を13日に前倒しした理由について、次のように語っている記事があった。
『「進むも地獄、引くも地獄、私の内閣の最大の役割は経済再生、構造改革だ。それに全力を振り向ける環境をどう整えるかという判断もあった」と語り、同問題での混乱が今後本格化する経済構造改革の障害になりかねないと判断したことを明らかにした。』
1985年の中曽根首相(当時)以来、終戦記念日に靖国神社を参拝した首相がいなかったという歴史上の事実こそ、それら歴代の首相が、たとえ「私的参拝」であろうが8月15日の「靖国参拝」が多大の混乱をもたらし、一国の総理大臣たるものそのような混乱を引き起こしてはならないことを理解していたことの証明ではないか。
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面白いことに、これに関しては、小泉首相自身が彼の「首相の談話」の中で、まったく意図せず事の本質を語っているので、ここでそれを引用しつつ解説してみたい。
まず彼はこう言う。
『戦争犠牲者の方々すべてに対し、深い反省とともに、謹んで哀悼の意を捧げたいと思います。』
この首相の言葉に反発する人は、一人もいないと思う。
ところが次に彼は、お得意の「すり替え」で、この文章の内容をとんでもないところへ飛躍させてしまう。小泉首相の「得意技」のひとつである。
『私は、あの困難な時代に祖国の未来を信じて戦陣に散っていった方々の御霊の前で、今日の日本の平和と繁栄が、その尊い犠牲の上に築かれていることに改めて思いをいたし、年ごとに平和への誓いを新たにしてまいりました。』
8月14日の日経朝刊”春秋”に、こう書いてある。
『「口は一つですが、私も幸いにして耳は二つもっています」。8月15日を避けて繰り上げ参拝した小泉純一郎首相は語った。なぜ首相があれほど15日にこだわったのか、よくわからない。当日は天皇、皇后両陛下が出席する全国戦没者追悼式が日本武道館であり当然、首相も参列する。戦争犠牲者に哀悼の意を捧げる黙祷の時間もある。同じ日に、なぜ靖国でも哀悼の意を捧げなければ気がすまないのか疑問に思う。』
「戦争犠牲者の方々すべてに対し、深い反省とともに、謹んで哀悼の意を捧げたいと思います」と語った口の端から、話の内容はアッと言う間に、「私は、あの困難な時代に祖国の未来を信じて戦陣に散っていった方々の御霊の前で」と場所が靖国神社へすり替わってしまう。「小泉得意技」の一瞬である。靖国神社には、「戦争犠牲者の方々すべて」のうちの一部である、小泉首相の言う「戦陣に散った人々」とともに、「A級戦犯」が合祀されている。
”春秋”が言うように、小泉首相はなぜ「全国戦没者追悼式」で「戦争犠牲者の方々すべて」に哀悼の意を捧げることで満足せず、「戦陣に散った人々」とともに「A級戦犯」が合祀されている靖国神社で、哀悼の誠を捧げなければ気がすまないのか?
これは正に「個人的な心の問題」としか言いようがないではないか。
「首相の談話」の中で、小泉首相はまたこういうことを言っている。
『このような私の信念を十分説明すれば、わが国民や近隣諸国の方々にも必ず理解を得られるものと考え』
ということは、小泉首相は、国民や近隣諸国から理解が得られてなかったことを認識していた上で、「靖国参拝」を強行したわけだ。確信犯だ。
『靖国参拝に対する私の持論は持論としても、現在の私は、幅広い国益を踏まえ、一身を投げ出して首相としての職責を果たし、諸課題の解決にあたらなければならない立場にあります。』
お前の持論は、首相官邸で取り巻き連中と話してくれ。聞きたくもない。「現在の私は」じゃないんだよ。一国の総理大臣とは、常にそういうものなのだ。お前そんなこともわからないで、総理大臣やってるのか?「資質」なしだな。お前にはそもそも、総理大臣の「資質」がないのだ。
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最後に日経新聞の”社説”から一部取り上げたい。私はマスメディアに対し、なぜ小泉首相の「靖国参拝」の「無責任」さを追求しないのか?と批判した。この日経の”社説”は、見事に事の本質を捉えている。しかし、一度や二度”社説”に取り上げるくらいでは、これっぱかりの世論の啓蒙にならないであろう。声を大きくすべきときは「声を大きく」、声を何度も張り上げるべきときには「声を何度も張り上げる」ことを、日本をより良い世界に誇れる国とするため、日本経済新聞の記者の方々に是非お願いしたいと思う。
2001年8月12日朝刊”社説”より
『一人の日本人としての思いであるとするなら、まったく依存をはさむ余地はない。しかしながら「内閣総理大臣」という立場にある人が靖国参拝を行なうとなると、「個人的な思い」ではすまされなくなる。総理大臣の言動はいかなる場合でも国政の最高責任者としてのものと判断せざるを得ないからだ。
靖国神社には1978年以来、東条英機らA級戦犯が合祀されている。戦争責任者であるA級戦犯に首相が礼拝したのではないかとの批判は免れない。このことは1986年8月14日の後藤田正晴内閣官房長官談話も指摘し「戦争への反省とその上に立った平和友好への決意に対する誤解と不信さえ生まれるおそれがある」と述べている。
政教分離の原則を定めた憲法20条3項との関係では、限度を超えない限り合憲とする最高裁の津地鎮祭判決があるが、首相や閣僚が靖国に参拝することは「憲法との関係で問題がある」(1980年宮澤喜一内閣官房長官説明)という意見もあり、国論が統一されているとは言い難い。
中国などの反対があるから、参拝を取りやめるべきだということではなく、国論が二分されている問題で首相が参拝を強行することは、いたずらに混乱を招くだけだからだ。』
2001年8月14日朝刊”社説”より
『「公式参拝」か否かは明言していないが、記帳で「内閣総理大臣小泉純一郎」と書き、また日頃、首相は24時間公人と強調していることを考え合わせると、やはり公式参拝と判断すべきだろう。参拝実行にあたって、反対論に配慮したことは、参拝直前に発表した首相談話からもくみ取れる。
談話では「アジア近隣諸国に対しては、過去の一時期、誤った国策にもとづく植民地支配と侵略を行い、計り知れぬ惨害と苦痛を強いた」と戦後50年に際し出された「村山談話」を引用。靖国参拝は平和への誓いのためであると説明した。
しかしながら「私の意図とは異なり、国内外の人々に対し、戦争を排し平和を重んずるというわが国の基本的な考え方に疑問を抱かせかねない」として、参拝を前倒しした理由を述べている。
それならば、なぜ、と思う。外交の最高責任者として、靖国問題をこれほど大きな政治問題にしてしまうことは首相として避けるべきだったのではないか。一度言い出したことに固執するあまり、外交上、大きく国益を損なう結果になるとすれば、その罪はあまりにも重い。』
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最後にこれはどうしても言っておきたい。
「靖国参拝」で、小泉首相は、遺族会への「口約」を守るため、ぎりぎりまで8月15日参拝にこだわった。今後とも遺族会の百万票をお目当てにしてのものであることは、明白である。
最後に8月13日参拝に変更した。理由は二つ。一つは中国政府から内々に、15日でなく前倒しであれば最悪を免れるとの感触を得ていたこと。二つめは、与党の一員である公明党が、15日参拝は憲法違反であると強く主張したこと。この二点を熟慮して、小泉首相は13日参拝に変更した。
こう見てくると、重大なことに気がつく。
「国民」がどこにもいない。小泉首相が8月15日「靖国参拝」を主張するにあたっても、結果として8月13日に「靖国参拝」を実行するにあたっても、小泉首相の頭の中のどこにも、「国民」のこの字も無いことがわかる。これは単に、「靖国参拝」だけにとどまらない。これが小泉純一郎そのものなのだ。小泉純一郎にとって、「国民」とは、「痛み」を与えるだけのもの。「痛み」とは、具体的に言えば、「増税」もしくは「変形増税」である。この男は、「改革」という言葉を弄ぶ。この男は、「姑息」で「小智恵」に長けている。この男には、わが国の首相たる「資質」はない。
最後の最後にもう一つ。
「田中外相更迭」について、小泉首相は「適切であった」と強調している。理由の第一は、おそらく実質外交の停滞ということであろう。田中外相に、外相の「資質」なしとはよく言われる。しかし、上記日経の社説には、こう書いてある。
『外交の最高責任者として、靖国問題をこれほど大きな政治問題にしてしまうことは首相として避けるべきだったのではないか。一度言い出したことに固執するあまり、外交上、大きく国益を損なう結果になるとすれば、その罪はあまりにも重い。』
小泉首相には、わが国の首相たる「資質」はない。
日本と日本の国民にとって、疫病神のようなあなたは、即刻、総辞職すべきだ。
(2002/02/21)
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