the NIKKEI-watcher

<Taka remarks>

小泉純一郎氏
  「信なくば立たず/やってから考える/急いてはことを仕損じる」


「田勢記者」と小泉首相



DATE・・・・2001/11/19(M-2)
記者・・・・・編集委員 田勢康弘
TITLE ・・・”風見鶏”/「政局になる」か小泉改革
/妥協の道探る気配なし
評価・・・・・B


読者の皆さんには本編をご一読願う前に、田勢記者と小泉首相が、新聞記者と政治家という職業上の付き合いを超えて、首相になる以前からの親しい間柄であったということを、是非知っておいていただきたい。このことは、小泉首相が首相就任直後の日経世論調査で、あのお化け支持率80%を獲得した4月30日の同じ朝刊に掲載された田勢記者の”「高杉晋作」と小泉首相”と題する次の記事をお読みいただければご納得いただけると思う。

この頃これにはまってしまって、と送ってくれたCDが、「荒野の用心棒」や「夕日のガンマン」などのイタリアの作曲家エンリオ・モリコーネのアルバムだった。ドラマチックで詩情あふるる曲である。政治の話をしたことはあまりない。音楽、映画、歴史小説、歌舞伎。不思議なことにそのほうがどういう人間だかがよくわかる。言葉はいつも短い。「そう」「違う」。政治につきものの建前と本音の使い分けなどない。だから政治家と話しているという気がしない。

新聞記者は、その書く記事の中で、なかなか断定的なことは言わない。特に田勢記者は、話でもしているような平易な文章表現がお得意で、読者は、文頭から文末まで流れるように一気に読み進んでしまう感じなので、なかなか彼の断定的な部分を意識的に頭の中に残しておくことは難しい。
では彼が本編で、遠慮がちにではあるが断定的な言い回しで主張しているいくつかの箇所をピックアップしてみたい。

@『改革に反対する勢力を「抵抗勢力」とひと言で斬り捨てる手法は就任時と変わらず、妥協策を探ろうという気配もない。

ひと言で斬り捨てて』、『妥協策を探ろうという気配もない』・・・この表現は明らかに小泉首相に好意的とは思われない。下のCに『妥協の道を探るのが政治だ』という田勢氏の思いが出てくるが、その言葉と思い合わせても、彼は小泉首相に、こう言っているのではないか?『ひと言で斬り捨てず』、『妥協の道を探るのが政治なんだから』、少し考え方を柔軟にしてはどうか、と。

A『首相就任から間もなく7カ月。首相の政治手法はまったく変わらない。「改革なくして成長なし」とお題目を唱えるだけで、具体的な進め方は閣僚や学者グループなどの検討にまかせるというやり方だ。自ら党内説得はしない。

「改革無くして成長成し」とお題目を唱えるだけで』という言い方も、決して好意的であるとは思われないし、末尾の『自ら党内説得はしない』という言い方は、かなり断定的なものである。実際は、党内説得しないどころか、道路四公団の改革と高速道路整備計画の見直しについて、国土交通省作成の「72通りの見直し案」を携えて首相官邸に来た石原伸晃行政改革担当相に対し、「何でも私の指示を仰ぐのではなく、少し練って集約して示してくれ。最初から私がこうやれ、あれやれじゃなくて、選択、判断を与えるような具体案を考えていいんじゃないか」とまで要求する。自分はただ「高速道路整備計画の凍結」「日本道路公団などの民営化」「住宅金融公庫の廃止」「郵便の民間への全面開放」「医療制度改革の月内決着」など「お題目を唱えるだけで」、後作業はすべて練って集約してから持ってこいとな。あなたはヒットラーか、金正日か?あなたのお考えは100%正しいわけですか?

B『来年度の国際発行額を30兆円以内に抑えるという公約にこだわりすぎて、景気対策にまったく関心を示そうとしないという不満も表に出始めている。「首相は経済がまったくわかっていないのではないか」という声さえある。ある経済官庁の幹部は「景気に関する話になるととたんに不愉快な表情になる」と証言する。

ここで田勢記者は、ある経済官庁の幹部が「証言する」という言葉を使っている。その文章の内容の真実性、客観性を高めようという、ひとつのテクニックである。「語る」という言葉を使用した場合と、比較していただければ明らかであろう。私は”「小泉首相の夏」が終わって”の中で、次のように書いた。
”田勢氏は、経済というよりは政治が得意分野とお見受けする。小泉首相の「財政構造改革」に多大の期待をお持ちのようであるが、はっきり言って小泉首相もまた上述のとおり、経済というよりは政治が得意分野の政治家と見受ける。率直に言って、彼は「経済音痴」であると申し上げる。”

C『おそらく首相は「改革断行」の姿勢を崩さぬまま来年度予算編成を推し進める考えだろうが、このままでは自民党と衝突することが目に見えている。特殊法人問題にしても、両者(首相と「抵抗勢力」)の隔たりはあまりにも大きい。妥協の道を探るのが政治だが、話し合いの機運すら出てきそうもない。おそらく正面からぶつかるところまで行くのだろう。

そうであろうか?これについてもまた私は、”「小泉首相の夏」が終わって”の中で次のように書いた。
”「ワイドショーが描き出しているようなうぶなアイドル政治家ではない」小泉首相は、友人の間柄であるバリバリのジャーナリスト田勢氏の予想をも超える「練達の策士」かもしれない。”
本編の中でも、田勢氏が述べる次のような文章が暗示的である。
「それならなぜ、おれを自民党総裁にしたのか」。郵便事業の民間参入に自民党内から反対論が出ていることについて「古い自民党でいいというような状況でないことをもっとわかってもらいたい」と愚痴をこぼした。
もしこれが「改革派」対「守旧派」の真の戦いであれば、このような状況において、「怒り」こそ表しても、「愚痴」をこぼすというのはちょっと考え難い。このことひとつとっても、小泉改革は一種の家庭内騒動、仲間内のイサカイであると推量できる。田勢記者が言うように、『正面からぶつかるところまで行く』かどうかについては、私としては疑問を抱いている。

D『予算編成が本格化するあと1カ月以内に、何かが起こるかもしれない。』  『考えてみれば、政治はそれほどには変わっていないのだ。

文頭に述べたように、田勢記者は小泉首相が首相になる以前から、新聞記者と政治家という枠を超えて親しい付き合いをしてきている。小泉首相が首相になった直後の4月30日の日経新聞朝刊”風見鶏”に掲載された”「高杉晋作」と小泉首相”と題する彼の記事には、驚きと懸念とともに、小泉首相に対する一種の高揚した期待のようなものが確かにその行間から感じ取れた。その後6月4日に同じく”風見鶏”に”「天辺の月」と小泉首相”と題する記事を発表、8月20日にこれまた”風見鶏”に”「靖国の夏」が終わって”と題する記事を発表し、今回の”「政局になる」か小泉改革”に引き継がれた。
これら一連の田勢記者の記事を追っていって感じることは、彼の本編の最後の言葉『考えてみれば、政治はそれほどには変わっていないのだ』という感想の重みである。彼は決して当初から浮ついた期待を、小泉新首相に抱いていなかった。それどころか、友人が思いもかけず日本の首相になったにしては、あまりにその記事の内容が暗いことにいぶかしく思ったのが、私の”「高杉晋作」と小泉首相”を読んだ時の印象であった。その部分を引用してみる。

一匹オオカミの小泉氏は、過去の政治行動を見ても、また性格からいっても、どこか「テロリスト」的ムードが漂う。テロリストは心を明かさない。テロリストは弁解もしない。
英知を積み上げて出てきた選択肢を最終決断するのが政治指導者の任務である。頑固な人だけに自説にこだわるあまり、国をあやまるようなことだけはしてほしくない。

しかし一方で、上述したとおり、なにがしかの小泉首相に対する高揚した期待が感じられたこともまた事実であった。その期待が単に「期待」だけに終わってしまうのではないかという田勢氏の懸念が、『考えてみれば、政治はそれほどには変わっていないのだ』という彼の言葉の行間に感じ取れるような気がする。
『あと1カ月以内に、何かが起こるかもしれない』という田勢記者のコメントには、正直言って、いま私ははっきりこうなるという予測が立たない。言えることは、@小泉首相が自民党と妥協を図り、互いに大して傷つかず面子も保てる線で妥協する、という結末である。この場合、傷つくのは日本経済と「国民」のみである。A小泉首相が持ち前の頑固さで、その薄っぺらな正義感に固執して突き進むと、自民党内から怫然と不信任の声が湧き起こり、本稿でも田勢記者が言葉の解説をしている「新たな政局」が生まれるということもある。田勢記者が『テロリストは心を明かさない』と言っているが、小泉首相が田中真紀子外相とのバトルで表に現し始めた彼の心の真相は、実に興味深いものがある。彼は田中外相に向けて、こう言っている。
権力、権限だけで人を動かそうと思ったら大間違いだ。権力半分、信頼が半分だ。信頼があってこそ初めて大臣の言うことを聞く。

確かにこの男は口がうまい。実にもっともらしいことを言う。しかし小泉首相、あなたは行政府の長として、一連の不祥事を引き起こした外務省に対し、何か物申していただいたのであろうか?いま私の記憶にないところをみると、おそらく大したことは言っていまい。痛いところを突かれるどころか、かばってさえくれるのであれば、外務省としても小泉首相に反抗したりはすまい。それは、国民の言葉では、「信頼」とは言わない。内輪でかばい合って、国民の不利益を覆い隠そうとしているだけだ。

本日22日、日本道路公団を始めとする7特殊法人の改革が決着したという。私の予測の@すなわち”小泉首相が自民党と妥協を図り、互いに大して傷つかず面子も保てる線で妥協する”という線で収まったようである。これで日本経済は復活するのですか?これで日本国民はもう「痛み」を蒙らなくていいのですか?私はこう言った。”この場合、傷つくのは、日本経済と「国民」だけであると。
小泉首相は、自民党という党を愛している。彼は自民党を愛していればこそ、今のままでは自民党は「国民」からそっぽをむかれるという懸念を抱き、愛する自民党の改革を目指しているのである。彼の演説・発言の中に、なんと「国民」という言葉が出てくる回数が少ないことか!彼の心は、常に愛する自民党を向いている。小泉首相の戦いは、「国民」のための戦いではなく、「自民党」のための戦いなのだ。

ところで田勢さん、あなたに一つお聞きしたいことがあります。
あなたのこの記事の中に、たった一度も「国民」という言葉が出てこないのですが、これは何かを暗示しているのでしょうか?それとも単にあなたが、小泉首相を含めて政界における「国民不在」の政治に、やや毒されてしまったというだけなのでしょうか?


ご参考: Taka remarks/小泉純一郎/「高杉晋作」と小泉首相
      Taka remarks/小泉純一郎/「天辺の月」と小泉首相
      Taka remarks/小泉純一郎/「靖国の夏」が終わって
(2001/11/22)
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