<Taka remarks>

小泉純一郎氏  「信なくば立たず/やってから考える」

「小泉首相の夏」が終わって



DATE・・・・2001/08/20(M-2)
記者・・・・・編集委員 田勢康弘
TITLE ・・・”風見鶏”/「靖国の夏」が終わって/外交は柔軟に、改革は一徹に

評価・・・・・C


寡聞にして田勢氏が小泉首相と友人の間柄であるのを知ったのは、小泉氏が首相となって80%の内閣支持率を獲得した4月30日付日経新聞において、同じく”風見鶏”に掲載された”「高杉晋作」と小泉首相”と題する同氏の記事を読んだ時であった。そして米国への取材旅行をはさんで約1ヵ月後の6月4日、田勢氏は再び”風見鶏”に”「天辺の月」と小泉首相”と題する記事を発表した。それから更に約2ヵ月と2週間が過ぎて、三たび”風見鶏”に”「靖国の夏」が終わって”と題する同氏の記事が掲載された。

待ちに待った記事ではあったが、それにしても長い沈黙の末であった。参院選が行われた7月29日から数えても、既に3週間が経過している。同記事の中でも、”突風が吹いて”小泉自民党が大勝した参院選については、ひと言も触れられていない。田勢氏の頭の中では、小泉突風の吹いた参院選より、「靖国問題」の方がより大きなウェイトを占めていた結果と考えるべきであろう。それでなくても記録的な暑さの夏に「靖国」の異常な暑さが加わり、『うずたかく積まれた読者からの手紙を目の前に』して、田勢氏はかなりの虚脱感を感じているようだ。

「靖国の夏」が終わろうとしているいま、気持ちは沈む一方である。沈んだ気持ちになるのは、靖国参拝の賛否双方ともに言葉が激烈で、異見をまったく認めようとしていない内容だからだ。

この言葉は、読者からの手紙に向けられたものである。しかしよくこの言葉の中身を味わっていただきたい。この文章は、読者からの手紙に向けられるべき以前に、「私は参拝に行くと言っている」あるいは「参拝してから考える」と語る田勢氏と友人の間柄にある小泉首相その人に送られるべきものではなかろうか?

「靖国参拝問題」に関して、田勢氏はこうも語っている。『内外ともにここまで大きな問題になった以上』と。
誰がここまで問題を大きくしたというのだろう?
また彼はこうも語っている。『日本にとって重要な国々が反発することがわかりきっているのに、あとで修復すればいいというのでは戦略がなさすぎる。』田勢氏は外交の一般論として、その言葉を述べている。しかし誰が『参拝してからどういう改善方法があるかを考える』と語ったのか、知っている者は知っている。田勢氏はなぜそれを外交の一般論として語り、友人の間柄にある小泉首相に直言・諫言するのをためらうのか?

もしその答えが、田勢氏の次の文の中に含まれているのであれば、私は彼に、”あなたの考えは、間違っています”と言わせていただきたい。

心配なのは小泉首相のイメージが「信念の人」から「変節漢」へと変わることによって、改革に対する世間の熱が急速に冷めてしまうことだ。
抵抗勢力と闘うのに必要なエネルギーは、世論の支えからしか出てこない。夏の暑さが去ったら、改革本番の秋である。小泉内閣の命運はともかく、今回、改革にとん挫したら、これほどのチャンスはもう訪れないだろう。

もし世間の『小泉首相のイメージが「信念の人」から「変節漢」へ』変わったとしても、それは小泉首相自らが招いた結果であって、その結果として『改革に対する世間の熱が急速に冷めて』しまったとしても、田勢氏、あなたがそれを『心配』するとかしないとかの問題ではないと思うのですが。
それはそれとして、田勢氏は、「抵抗勢力」と闘う「小泉改革」に相当の期待をしているようである。ここで小泉首相個人の資質を貶めるようなことをすれば、改革に対する『世間の熱は急速に冷め』、『世論の支え』がなくなるかもしれない。『今回とん挫したら、これほどのチャンスはもう訪れないかもしれない』絶好の改革の機会を失わせないために、「抵抗勢力」を有利に導くような小泉首相個人に対する直言は避けよう・・・。

田勢氏は、”「天辺の月」と小泉首相”の中で自らこう語っている。
総裁選に3度も挑み、派閥の会長まで経験した小泉氏は、ワイドショーが描き出しているようなうぶなアイドル政治家ではない。
本記事の中でも、田勢氏は『外交は、正論を主張していればそれで済むというものではない。相手につけ込むすきを与えないことが大事なのだ』と言っているが、果たして『うぶなアイドル政治家ではない』小泉首相が、『日本にとって重要な国々が反発することがわかりきっているのに、あとで修復すればいい』というような戦略のない外交をやるであろうか?
7月にボンで開かれた地球温暖化防止会議における「京都議定書問題」の扱いをとって見ても、小泉外交はなかなかしたたかであり、かつそのしたたかさに溺れている節も垣間見られる。

本記事に先立つ19日付日経新聞朝刊2面に次のような報道記事があった。
安倍晋三官房副長官は18日午後、愛知県幡豆町で講演し、小泉純一郎首相の靖国神社参拝について「2,3年続けても軍国主義にならないし、(中韓両国との)友好関係を保ちたいとの気持ちにみじんの変化もないとなれば、毎年騒ぎが起きることにはならない」と述べ、首相は来年以降も参拝すべきだとの考えを表明した。

中曽根元首相の「靖国参拝」以来、中国、韓国の反発に配慮し、日本の歴代首相は「靖国参拝」を、おそらく”心ならずも”回避してきたのが現実ではなかろうか。小泉首相をはじめ「靖国参拝」に関して心を一にする自民党内外の人々は、過去の日本のそのような軟弱な外交姿勢そのものが、『相手につけ込むすきを与えてきた』と考えている。日本はここらあたりでキッチリ、そのような『相手につけ込むすきを与える』軟弱な外交姿勢にケジメをつけ、『首相である小泉純一郎として参拝する。二度と戦争を起こしてはならないという気持ちから、戦没者に哀悼の誠をささげるつもりだ。日本国民、首相として当然の行為だ』という小泉首相の発言がすべてを語り尽くしているように、「靖国公式参拝」を既成事実化することにより、今後毎年、中韓両国からとやかく言われるような『つけ込むすきを与えない』毅然たる外交姿勢を確立させたいと考えている。

ワイドショーが描き出しているようなうぶなアイドル政治家ではない』小泉首相は、友人の間柄であるバリバリのジャーナリスト田勢氏の予想をも超える”練達の策士”かもしれない。
小泉首相の「靖国公式参拝」は、言葉は適切ではないが謂わば”確信犯”である。そこから、たとえ「靖国問題」が発端で韓国との間に「サンマ漁問題」が起き、あげく韓国、北朝鮮に北方四島周辺水域でのサンマ漁の操業を認めたロシアに対し、『このような事態を日本側として容認することはできず誠に遺憾である』という趣旨の首相親書まで送らねばならない事態を招こうが、中国との間で、日本側のセーフガード措置に対する報復措置としてとられた100%の特別関税により日本からの自動車輸出が完全にストップしている事態を打開するのに「靖国問題」がいかに妨げとなろうが、まず「やってから考える」という発想が出てくる。

田勢氏は、経済というよりは政治が得意分野とお見受けする。小泉首相の「財政構造改革」に多大の期待をお持ちのようであるが、はっきり言って小泉首相もまた上述のとおり、経済というよりは政治が得意分野の政治家と見受ける。率直に言って、彼は”経済音痴”であると申し上げる。彼はまさに自らそう言っているように、自民党から離れられない人間である。彼の「財政構造改革」なるものが、田勢氏のいう「抵抗勢力」の面子も取り入れた、中をとって2で割る式のお茶を濁した中途半端なもので終わることは火を見る如く明らかである。彼は、「抵抗勢力」をも含めて、自民党を愛しているのである。

そして、「改革」そのものが中途半端で終わることが、いわゆる「抵抗勢力」の既得権益を温存することに直結し、今後の日本の真の改革をどれほど遅らせる結果となるか、想像に難くない。
田勢氏は、本気で日本の景気を、財政赤字を憂うる人間が、「靖国問題」を、『内外ともにここまで大きな問題』にするとお考えですか?小泉首相は夏休みを取るにあたって、こう言った。「(靖国問題で)私は傷ついた。休みの間に、傷を癒してくる。」
「靖国問題」は、小泉首相自らが引き起こした問題である。自ら問題を引き起こしておいて、「傷ついた。傷を癒してくる」はなかろう。「財政構造改革」で、国民に「痛み」を覚悟せよという。好き好んで自ら「傷ついた」わけではない国民は、どこで「傷を癒して」くればいいのか?

田勢氏は、文末をこう結んでいる。
他のアジア各国もみな日本から離れ、気がついたらアジアの孤児同然になっていた。
田勢氏は、”「高杉晋作」と小泉首相”の中でこう語っている。
『(小泉首相は)頑固な人だけに自説にこだわるあまり、国をあやまるようなことだけはしてほしくない。
友人の間柄である小泉首相に『国をあやまらせない』ために、田勢氏には是非とも、直言・諫言すべき時には躊躇せずに実行してくれることを期待したい。
「靖国の夏」が終わり、「小泉首相の夏」も終わった。

Taka remarks/2001/04/30(M-2)/「高杉晋作」と小泉首相
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