目覚し時計のTAKA


Taka watches


日経の吉野源太郎論説委員と言えば、私は直ぐに、2001年5月6日の同じ”中外時評”に掲載された「二重基準社会の終わり」と題する名記事を思い出す。
そして今日再び、同記者のそれに優るとも劣らないコメントを読む機会を得て、私が彼に抱いてきた評価が誤りではなかったことを確認でき、自己満足に浸っている。
吉野論説委員は、たいへん優れた”ジャーナリスト”だ。
the NIKKEI-watcherは、ここに読者の皆さんに宮本明彦編集委員に続いて、吉野源太郎論説委員の記事をRECOMMENDします。今後とも、日経新聞紙上にて、同氏の記事に是非ご注目下さい。
(2003/09/28 TAKA)




ー小泉「道路公団民営化」ー
裏切りか?責任放棄か?



当ウェブサイト推奨の吉野源太郎論説委員の記事が、4月18日の日経新聞朝刊「読書」面”今を読み解く”に登場した。
期待に違わぬ好内容というか、最近ではメディア上でめったにお目にかかれなくなってしまった私と同様の見解を、これでもかこれでもかと代弁していただいたような内容で、「小泉道路公団改革」は成功だったのか失敗だったのかの判断に迷われている読者の皆さんには、是非とも読んでいただきたい記事であった。



DATE・・・・2004/04/18(M-21)
記者 ・・・・
論説委員吉野源太郎
TITLE ・・・”今を読み解く”/道路の挫折、改革に黄信号/
改良主義は逆効果
評価 ・・・・




まず記事に登場した人物名を、登場順にリストアップしてみる。
小泉純一郎・・・・・・首相
川本裕子・・・・・・・・道路関係四公団民営化推進委員会委員
田中一昭・・・・・・・・元道路関係四公団民営化推進委員会委員長代理
近藤剛・・・・・・・・・・日本道路公団総裁
猪瀬直樹・・・・・・・・道路関係四公団民営化推進委員会委員
松田昌士・・・・・・・・元道路関係四公団民営化推進委員会委員

これだけである。この登場人物だけで、「小泉道路公団民営化」が成巧したか失敗であったかを判断するために十分であることが、ある意味で「小泉構造改革」の本質を示唆していると考える。


民主党の菅代表らが、小泉首相に「道路公団改革は、失敗に終わった」と詰問すると、小泉首相は決まってただこう答える。「道路公団民営化法案もまとまり、道路公団改革は前進した。構造改革の成果である」と。
この小泉首相の答弁は、彼の発言にしばしば共通して示現する、お得意の「ケンカ話法」の一例である。
「小泉道路公団改革は、失敗に終わった」との質問者の発言に、小泉首相は、真っ向から「道路公団民営化は前進した。構造改革の成果だ」と答弁する。いつも、これで終わりである。これだけであるーー小泉首相の答弁は。
あとは、あらかじめ用意された「のりしろ」(欠陥法案の欠陥部分の一部)を民主党にくれてやり、審議時間の充足とともに採決に付され、それで小泉政権提出の悪法はすべて国会で成立することとなる。

最近では、小泉首相はこのケンカ話法を、イラクのテロリストの自衛隊撤退要求に対して使用した。
テロリストは、こう言った。「自衛隊を撤退させろ。」小泉首相は、こう答えた。「自衛隊は人道支援に行っているのだから、撤退する必要はない」と。テロリストも、当てが外れて困ったに違いない。

それはともかくとして、国民の目から見ると、小泉ケンカ話法はどう写るのであろうか?
質問者が「小泉道路公団改革は失敗した」と言い、小泉首相が「道路改革は前進した」と言えば、多くの国民の判断は、テレビのニュースショウなどに登場するキャスターや解説者の意見に左右されるのではなかろうか?
そこに、「小泉総合メディア戦略」ネットワークが張り巡らせた、自民党御用達評論家の出番が生じるわけである。
彼ら自民党御用達キャスター・評論家連中にとっては、小泉政権批判は、犯してはならぬ「聖域」である。
「聖域なき構造改革」を標榜する小泉政権の延命に、構造改革批判が「聖域」として存在するという、誠に笑えぬお話が現実に存在する。小泉首相とその片腕・飯島首相政務秘書官は、世論の動きを計算し尽くしている。


星の数ほどいる知識人、評論家、メディア関係者の中で、この日本にも、ほんの少数の「侍の心」を持つ人々がいる。我がウェブサイトが推奨する日経新聞の吉野源太郎論説委員は、もちろんその中のお一人だ。彼は、こう明言する。
小泉首相は依然「構造改革」の旗を掲げる。だが、第一弾である道路公団民営化は挫折した。


吉野記者は、こうも語る。
長らく日本の経済社会に君臨してきたのは、巨大な官僚統治制度である。
これこそ、野口悠紀夫、榊原英輔両氏による「1940年体制」、すなわち戦前戦後を通じて日本を実質的に支配してきた官僚統治体制についての言及である。私はこれを独自に、「官僚帝国主義」と命名した。
世間には、官僚統治体制の存在さえ認めようとしない学者、評論家も多数存在する。そのような連中は、そもそも出発点からして、誤った場所からスタートしている。そのような連中とは、議論するだけ時間の無駄というものだ。

吉野記者は、さらに続ける。
国民や地域社会はこの仕組み(=官僚統治制度)を通じて過分な恩恵を受けてきたが、今や国も地方自治体も借金で首が回らなくなった。
これも世間には、財政赤字など大した問題ではないとのたまう御用学者・評論家諸氏がいるが、日本の大半の経済問題は、財政赤字がそれこそ「大した」金額でなければ、解決可能なものと私は認識している。
日本の大半の経済問題を解決困難なものに複雑化している要因は、一にかかって「今や国も地方自治体も借金で首が回らなくなった」ために他ならない。
財政赤字、象徴的には「国債発行残高」は、日本の経済を考える上で最重要なキーワードの一つであり、この出発点で認識を誤っている連中とは、正直、いくら論争しても時間の無駄と考えている。

この統治機構の中枢に財政投融資がある。郵便貯金・簡易保険・年金が集めたカネを、特殊法人への融資や国債購入に回す巨大国営銀行だ。
この財投の仕組みが、『あたかも国民すべてがいつまでも所得再分配の恩恵に浴せるかのように錯覚させる政治』を生んできた、と吉野記者は言う。
また、この財投の最大の融資先が道路公団である・・・というところから、吉野記者の記事は、道路公団民営化の本筋に入ってくる。

「小泉構造改革」が、大した成果もないのに多数の国民の期待をつないできたのは、それが全くのデタラメではなく、改革と言えるほどではないが、多少の修正・改良が混在している紛らわしさがあるところに有力な要因があるのではなかろうか。
私はかつてーー今もそう考えているが、小泉首相の構造改革を、「小泉10%構造改革」と名づけた。この問題は、たいへん根が深い。10%の構造改革で何が悪い、ゼロやマイナスよりよほどマシだろう。小泉支持派の学者連中はこう主張し、この主張は一般国民にもたいへん分かりやすい。そこに、小泉首相の構造改革発言が、なかなか支持率を下げない要因があると推測している。


しかし、実はそこには、「ダマシ」が隠されている。
第一のダマシは、構造改革には10%の力しか注がない小泉首相だが、他方で100%の力を注力する別分野がある点である。
それは、国民の主権を制限し、国家の権力を強化する方向軸の国家主義政治体制の構築であり、その国家を支える自衛隊を軍隊としての公認する方向軸である。その行く手には、必然的に「憲法改正」、「軍備増強(→核兵器保有)」、「徴兵制採用」といった重要テーマの存在が透けて見える。
従って、国家主義政治体制の強化を望む人々は、小泉首相が10%の力を注ぐ「構造改革」にも何ら異論がないのは当然であろう。

第二のダマシは、「小泉道路公団民営化」の評価の焦点ともなっている、「構造の改革」か、「制度の修正・改良」かの論点である。
この点に関して、政府が提出した「道路公団民営化法案」の細かい内容に触れて、どこが改革と言えるのかを議論しても、あまり意味のあることとは思えない。

吉野記者は、松田昌士元委員の言葉を借りて、次のように明確に表現している。
それ(猪瀬氏の構造改革)は、川本氏や田中氏の言う市場重視の構造改革とは本質的に異なり、せいぜい官僚支配の修正か改良に過ぎない。

私のホームページでは、「侍の心を持つ女性」でお馴染みの川本裕子氏は、その最近の著書「日本を変える」(中央公論新社)の中で、『借金財政から目をそらし問題を先送りする構造を変えないと、日本は破綻する』と主張しているそうだ。
あいにく現時点で、私はまだ彼女の著書を読んでいないが、私には川本氏が言わんとしたい内容は十分推量できる。
吉野記者は、川本氏の文章を引用し、『必要なのは個人や企業が規律をもって事業を行い、約束通り借金を返す「経済的自立」だ』と指摘し、『資本主義の本質であるこの一点で、道路公団改革は完全に失敗した』と断じている。


「道路公団民営化」論議は、今や、民営化委員、元委員による著作に対決の場を移した感がある。
元委員長代理で、小泉首相に辞表を叩きつけた田中一昭氏は、その著書「偽りの民営化」(ワック)の中で、『(政府が提出した民営化法案では)無駄な道路建設は止まらず、借金は増え続ける』と告発し、『(民営化委の結論を無視した)小泉総理こそ、「意見書骨抜き」の主犯だと言っても過言ではない』と糾弾している。


猪瀬直樹氏は、著作「道路の権力」(文芸春秋)を昨年発表したが、その内容に関して吉野記者は、次のように語っている。
『(民営化委の意見書提出の)同じ経緯を書いた田中氏や川本氏の著書とは事実の解釈が大きく食い違うが、これらからは猪瀬氏の関心が、一貫して政治的な調整とコスト削減にあることが分かる。

政府の民営化法案を支持した猪瀬氏の行動を、田中氏は「裏切り」と呼び、その民営化法案を受けて民営化委を辞任した田中氏の行動を、猪瀬氏は「責任放棄」と批判する。
この「裏切り」か「責任放棄」かの色分けは、まさに「小泉構造改革」の精神である「制度の修正・改良」か、文字通りの「構造の改革」かに呼応していると言える。

小泉首相は、「構造改革」を推進すると公約し、これを聞いた国民は、誰もが「構造改革」とは「構造の改革」であると思ったに違いない。そして日本は「構造改革」が必要だと判断し、小泉首相の「構造改革」路線を支持した。
ところが、小泉首相の「構造改革」の中身は、実は10%程度の「制度の修正・改良」であったことが明白となった。

ここで再び、吉野記者の記事に戻る。吉野記者は、小泉首相の「構造改革」ならぬ「制度の修正・改良」について、次のように断じる。これは、私の意見と完璧に合致している。
改良主義自体が問題なのではない。官僚支配の仕組みそのものをなくそうという構造改革は、条件闘争的改良主義では実現しないのだ。

そして、『改革が中途半端になれば、首相の意図とは逆に国の関与は強まるおそれがある』と、最近の銀行行政の事例をもとにした川本氏の文章を引用。その道路公団民営化に絡む実例として、『こうした調整や改良によって実際に政官の暴走が止まればいいが、期待は早くも裏切られようとしている。政府が最近、衆院に提出した「公団債務返済の試算を見る限り、猪瀬氏が歯止めをかけると言った「全国プール制」は温存されている。東名の収入を元に北海道に道路を作る仕組みは健在だ。無駄は続く』と指摘する。


川本裕子氏は、中途半端な「制度の修正・改良」は、「首相の意図とは逆に」国の関与が強まり逆効果になると語っているようだが、私は決して「首相の意図とは逆に」物事が動いているとは考えていない。
現状こそ、当初から小泉首相が描いていた青写真通りの完成図であると、私は確信している。
小泉首相は、そもそも「構造を改革しよう」などと一時も考えたことはなかろう。小泉首相が考えたことは、「如何にすれば既得権益を出来るだけ失うことなく、国民の自民党に対する不満をガス抜きできるか」の一点であったに違いない。そこでひねり出したのが、10%程度の既得権益を捨て去る「小泉(10%)構造改革」であったのだ。

道路公団民営化に関しても、然りである。当初から小泉の頭の中には、道路公団に絡む莫大な政治家・官僚の既得権益の、10%程度を諦めることで残り90%の権益を確保しようとする青写真であったはずだ。
道路族の抵抗勢力は、当初小泉首相の腹の内が読めずに反対の狼煙を上げていたが、最終的に民営化法案が決定した段階では自分たちの既得権益の90%が守られて、結果的には小泉首相万々歳ということですっかり羊の如くおとなしくなってしまった様子だ。

猪瀬氏の政府案に対する支持の根拠も、以前より少し改善した、ゼロよりも少しでも改善した方がベターに決まっているとの主張である。
しかし、現実はどうか?吉野記者は、「期待は早くも裏切られようとしている」と指摘し、「無駄は続く」と断言している。


裏切り」か?はたまた「責任放棄」か?どうも分(ぶ)は、ピエロ作家・猪瀬直樹氏の「裏切り」にありそうだ。
「小泉道路公団民営化」の評価にお迷いであった読者の皆さん、かなり頭の中が整理されてきたであろうか?
「小泉構造改革」の本質は、国民の目を10%の「制度の修正・改良」に向けさせておいて、実は90%の既得権益を確保する「クセ球」であったのだ。
10%の「制度の修正・改良」に喜んでいる「人のいい」多数の国民の目の届かないところで、この国は戦後かってないほど「国家」が権力を手中にした「国家主義体制」の国へと変質を続けている。
憲法を改正して自衛隊が正式に「軍隊」となり、軍隊に相応しい数の軍人を確保するとの口実で「徴兵制」に踏み切り、北朝鮮の核保有を口実に「核保有国」の仲間入りを果たす近未来図も実現真近かもしれない。

それでいいのか、日本?
(2004/04/19)


BACK
NEXT
TOP
MENU

Message Board

MAIL TO: taka@taka-watch.com