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<Taka watches>
DATE・・・・2001/07/16(M-29)
記者 ・・・・編集委員 末村篤
TITLE ・・・”景気指標”/「改革」か「暴力的革命」か
評価 ・・・・B
この記事で、末村氏は三つのことを語っている。
まず、日本経済がいかに『尋常でない』かについて、こう語っている。
『いくら金利を下げても貸し出しが増えない「流動性の罠」にはまった状態が大恐慌以来なら、法人企業全体が赤字に陥る事態も1930年代の米国に前例があるだけだという。デフレスパイラル論争が蒸し返されそうだが、日本経済は恐慌状態にあると考えた方が分かりやすいのではないか。』
そして、にもかかわらず、日本の経済・社会が”らしくない”理由を、こう語っている。
『現代の恐慌が過去とは比較にならないほど穏やかなのは、預金保険や失業保険などの金融と社会保障の安全網が整備され、パニックが発生しないからだろう。無防備だった過去とは違う、これが最大のケインズ政策なのかもしれない。』
最後に、そのような恐慌的事態に有効な経済対策に関して、次のように述べている。
『分かっているのは、政策にはプラスとマイナスがあり、過去に構造問題を最終的に解決したのは戦争であり、政策の帰結は必ずしも実証されていないということである。』
従って、『改革すれば何とかなるという保証はないが、いったん身を縮める構造調整を経て、次の段階に進む以外ないのではないか。』
当記事は、いま日本が置かれているもっとも根本的な部分を、確実に捉えている。
一つは、いまの日本経済の状況は、果たしてほんとうに恐慌に近いものがあるのか、という点である。銀座を歩いてみてほしい。新宿を、渋谷を、代官山を歩いてみてほしい。そこで皆さんが見て感じるそんな恐慌が、経済の教科書のどこにあるであろうか?恐慌は恐慌である。不況は不況である。世界の人々が日本に来て、銀座を歩く人々と混み合う車の様子を見て、誰が日本が恐慌だと思うであろうか?
Japan Problem/Basic Concept/2001/03/30(M-1)/春秋 誰も思うわけがない。
しかし末村氏は、敢えてそこに踏み込む。『預金保険や失業保険など安全網が整備され、無防備だった過去とは違う』と。だから『現代の恐慌が過去とは比較にならないほど穏やか』なのだと。ここでよく考えてほしい。もし「現代の恐慌」がセーフティーネットが整備されている故に、誰も恐慌とは思わないほど穏やかで済むのなら、この程度が「現代の恐慌」であるならば、誰が恐慌を恐れる必要があろう?まさに今の日本人の態度の如く、もうしばらくこのまま首をすくめて待っていれば、必ず景気が回復して直ぐもとのような元気な日本経済が復活するだろう、という読みが正しいということになるであろう。なにも「日本の旧平価金解禁」や「高橋亀吉氏」はては「戦争」というきな臭い話を持ち出す必要はまったくないはずだ。
あるいは末村氏は文末で、『切実な実需に結びつくだけでなく、価値あるストックを後代に残す、住宅・土地政策の「骨太な構想」がもっと真剣に議論されていい』と結んでいるところをみると、自身も実はいま「恐慌」だとは信じてはおらず、適切な実需掘り起こしがあれば、日本の経済は立ち直ると考えているのかもしれない。
末村氏は、次の日経新聞の記事について、どうお考えであろうか?
DATE・・・・2001/07/05(M-1)
TITLE ・・・”厳しさ増す日本経済3”/両極に偏る消費/「高級」「低価格」の谷間不振
『価格でみると両極にある商品が売れる傾向が一段と強まっている。欧州の高級ブランドに代表されるような高額品と、従来の常識を打ち破った低価格商品だ。』
『トヨタ自動車が今春に10年ぶりに全面改良して発売したオープンカー「ソアラ」。業界関係者が驚くのは、(600万円と値が張るにもかかわらず)現金一括払いで購入する客の多さだ。東京トヨペット上馬店では「9割の客が現金で買う」。会社経営者や医者などを中心とする40〜50代が購入者の5割を占める。』
同記事は、二極化の要因として次の二つの要因を挙げている。
@所得の伸び悩みを背景に「選択と集中」ともいえる動きが一つの家計に広がっている。(これは疑問だ。ユニクロでどれだけ節約すれば、ソアラが買えるというのか?)
A家計による所得環境の差が大きくなっている。業種や規模、企業ごとに「勝ち組」と「負け組」に分かれ、それが家計の収入の差につながっている。
いかなる理由であろうとも、現実経済では高級品を買う客もまた増加しているという記事が事実であるならば、そんな恐慌がどこにあろうか?
最近の流行り言葉の一つに、「合成の誤謬」というのがある。末村氏がこの記事で語った三つのことは、それぞれ独立してはまさに正しい。問題はその三つの絡め方だ。「現代の恐慌」が”らしく”見えない理由の一つに、預金保険や失業保険といったセーフティーネットがあるのは間違いないが、それだけでは一方で高級品がよく売れ、ソアラを買う9割の人が現金一括払いで購入する事実を説明することはできない。
もしいまの日本経済が恐慌状態にあるとして、にもかかわらず過去と比較にならないほど穏やかである理由そのものの追求を誤ってしまえば、当然のことながらその事態に対処すべき適切な経済対策を見つけることも不可能となる。
預金保険や失業保険が最終的には国の税金で賄われているように、現在あまりにも多額の税金がセーフティネットに、あるいは単に”無駄遣い”にとバラマカれており、これが本来恐慌的状態であっても不思議ではない日本経済を、表面的には”らしくなく”見せている最大の原因であると、私は推測している。
ちょっと頭の中でイメージしてほしい。ここに金持ちの一人息子がいるとする。彼は働いてはいるが、自分の収入はもとより、親にカネをせびったり、親の財布からカネをちょろまかしたり、サラ金から借金しまくっては、買い物に遊びにと浪費している。サラ金から取立てがあれば金持ちの親に泣きつき、代わりに払ってもらい、またあちこちから借金しまくっては、遊興に浪費をする。これの繰り返しである。
他人から彼を見ると、どのように写るであろうか?彼は年がら年中派手に生活している。とても彼が収入のほとんどない、サラ金に莫大な借金がある人間には見えない。とても実質的には破産している人間には見えない。彼のこの生活は、彼の親が彼に金を与え、サラ金の借金の肩代わりをし続けている限り、安泰である。彼が銀座を歩けば、外人は彼が実質破産者だとは夢にも思わないであろう。
彼の生活に終わりがくる日、それは彼の親が彼のために金を支払えなくなった日である。そのとき彼は正式に破産者となる。
末村氏の第一点、『日本経済は恐慌状態にあると考えた方が分かりやすいのではないか』については、私は、宮澤喜一氏が現役の財務相として発言したかの有名な「日本の財政は、やや破局に近い状況だ」を、日本経済を表現する言葉として取り上げたい。末村氏の表現であれば、「日本経済は前恐慌状態にある」と変えたい。
末村氏の第二点、『現代の恐慌が過去とは比較にならないほど穏やかなのは、安全網が整備され、パニックが発生しないからだろう』については、私は、日本経済が前恐慌状態にあるにもかかわらず”らしくなく”見えるのは、国民の税金が、まさに穴の開いたバケツから水が漏るようにそこかしこで浪費され、それが仮儒を生んで、経済の悪化をとどめていると考える。
末村氏の第三点、『改革すれば何とかなるという保証はないが、いったん身を縮める構造調整を経て、次の段階に進む以外ないのではないか』については、私は、まず穴の開いたバケツの穴を塞がない限り、注ぐ水の量を調節しようが、水の入れ方を変えようが、始まらないと考える。私はこの日本というバケツに開いた穴は、ある意味で日本人の性癖の一部に組み込まれてしまっているのではなかろうかと感じている。”あたり前のこと”と。小泉首相の決意には、この日本人の性癖の一部になってしまったかもしれない奥深い部分についての認識が感じられないことが、もっとも懸念される点である。派閥対抗心からの道路特定財源の見直しや、郵政3事業の民営化などにしか目が行かず、日本人の性癖の奥深くに組み込まれてしまった部分が手付かずに終わると、あたりまえのことではあるが、穴の開いたバケツは、何時になっても満杯にはならない。
末村氏は、逆説的な意味でこう言っている。『日本の「改革」が否定されれば、市場の「暴力的革命」が問題を解決するのだろう』と。資本主義社会においては、ときどき市場が警告を発する。”このまま行くと大変なことになるよ”と。資本主義社会においては、市場の「暴力的革命」は近未来に起きる現実のリハーサルのようなものであり、この市場の”声”に耳を傾け、近未来に予想される悪い事態に先回りして適切な対策をとることがもっとも大事なことである。
いま日本の株式市場は、国民の85%の支持率を誇る小泉政権に対して、バブル後の安値更新という何らかのシグナルを送っているようだ。このシグナルを見落とせば、近未来に確実になんらかの今度は現実としての「暴力的革命」が待ち受けていることは疑いない。
(2001/07/24)