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<Taka watches>
DATE・・・・2001/03/11(M-1)
記者・・・・編集委員 田勢康弘
TITLE・・・指導者の劣化が国を滅ぼす/後継選びは透明に
評価・・・・A Recommend!
未曾有の政治危機、田勢式により正確に言えば、「政治家人材飢饉」にあたって、NIKKEIは、第一面にエースの解説記事を載せてきた。あれから何年が経過したのだろうか?彼が、飛ぶ鳥を落とす時の権力者・小沢一郎に、署名入りの記事で立ち向かって行ったのは。私は、これこそ本物のジャーナリストだと興奮したことを、未だ覚えている。その後も、常に、彼の記事には注目して来たが、近年は率直に言って、泣かず飛ばずといったところであった。
久し振りに、彼のジャーナリスト魂のほとばしる記事を、読ませてもらった。
評価も、”A”とした。しかし、私は、物足りない。明らかに、欠けているものがある。彼は言う。
『しかしながら、しょせん政治家はこんなものさという諦観に支えられ、危機だという認識はさほど強くなかった。』
『その最大の責任は国家戦略も理念もなく、ただ永田町の人間関係だけで政治指導者を選び続けてきた政治にある。』
『人気俳優のランキングまがいの選び方は、その場しのぎにしかならない。国家のためにはポピュリズム(大衆迎合)は避けなければならない。』
田勢氏の当記事に欠けているもの、それが正に、私がthe NIKKEI-wacherにおいて、中心に置いているテーマである。
彼は、最大の責任を、政治に押しつけている。「しょせん政治家はこんなものさという諦観に支えられ、危機だという認識」がさほど強くなかったのは、NIKKEIを始めとするMassMediaそのものではなかったか?もともと政治家とは、ポピュリズムに流れがちなものではないのか。しかし、ポピュリズムに流れるジャーナリストを、私は、ジャーナリストとは呼びたくない。新聞屋あるいはテレビ屋とでも言おうか。
今この時に、政治家にすべての責任を押しつけて、何かが始まる又は終わるあるいは何かが起きる、とでも彼は考えているのであろうか?何も始まらないし、何も終わらないし、何も起きない。私は、田勢氏は、真のジャーナリストであると思っている。しかし、その彼においてすら、長年身を置いてきたこの日本のMassMediaの最大の欠点の一つである、過去を無視し、過去から何も学ぼうとしない悪習に染まってしまっているというのが、悲しいかな現実ではなかろうかと推測する。
政治家を選んで国会に送り込んでいるのは、この国の国民ではないか?批難さるべき政治家を送り込んだ国民の資質に目を向けず、そっとしておくことこそ、正にポピュリズムではないのか?日々正しい報道が行われれば、賢い日本の国民は、自然に正しい判断を下せるようになるのではないか?
私は、この惨憺たる日本の現状に対するかなり大きな責任を、日本のMassMediaは負うべきである、と考えている。