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「珍社会理論について」
ーー企業国家形成の可能性ーー
中原貴明
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| はじめに 1. 経団連と珍社会理論 2. グローバリゼーションと珍社会理論 2−1 企業の強大化について 2−2 国家は企業をコントロールできるか? 2−3 メガ・カルテルの形成 3. 企業国家の性質 3−1 企業国家のある風景 3−2 企業国家と国民国家 4. 企業国家形成前夜 5. 企業国家の形成 5−1 組織の形成 5−2 立法・司法の形成 5−3 政党の形成 5−4 イデオロギー・保障システムの形成 6. まとめ――今後の展望―― 参考文献 |
はじめに
2003年9月中旬に「珍社会理論を書く」と掲示板に投稿して以来、何ヶ月も過ぎてようやくできあがりました。
この「珍社会理論」とは、私が未来小説を書くために考え出した架空社会理論です。2年ほど前から考え続けた結果、最近大まかな点については人に説明できるぐらいに考えがまとまってきました。簡単に述べると、つまりこういうものです。
「いまから100年か200年後の世界には、国家や民族の動向に全くお構いなしに活動する超国家企業(多国籍企業の進化版)とNGOが、国民国家の上に立つ世界規模の政府を形成しているだろう。この『政府』には、目に見える領土もなければ(国民国家的な意味での)国民もいない。この従来の国民国家と全く異なる政治形態を『企業国家』と名づける。」
「企業が国をつくる〜」という珍社会理論は、経団連のような実際に存在する巨大経済組織や私達の世界におけるグローバリゼーションの現実を元に考え出したものです。では、経団連と「企業国家」に一体何の関係があるのか?「グローバリゼーションの現実」とはどういうことか?そしてもし「企業が国をつくる」としたら一体どのようなシナリオでそれは為されるのか?この文章ではそういったことについて順に触れていこうと思います。
全体の構成についてですが、
1. 経団連と珍社会理論
2. グローバリゼーションと珍社会理論
3. 企業国家の性質
4. 企業国家形成前夜
5. 企業国家の形成
6. まとめ(全体の要約と今後の課題)
という順序で書き進めていきます。
それでは、架空ではない本物のとある新聞記事と絡めて話に入って行きましょう。
1.経団連と珍社会理論
2003年9月14日の朝。朝日新聞の1面に驚くべき(?)記事があるのを私は見つけました。経団連が"擬似マニフェスト"を作ったのです。記事にはこう書いてありました。
――日本経団連の会員企業が政治献金を実施する際の基準となる「優先政策事項」の原案が13日、明らかになった。消費税引き上げや法人税率の引き下げ、道路公団と郵政事業の民営化など10項目を政党評価の判断材料にする。今月中に発表する方針。今秋にも予想される総選挙での各党のマニフェスト作りにも影響を与えそうだ。税率などの具体的な数値目標を盛り込むことは見送ったが、経団連は今後、政策評価と献金額を結びつける具体的な評価方法の検討に入る。
経団連の優先政策10項目の概要は以下の通りです。
@ 経済再生・国際競争力強化へ法人税率引き下げ
A 消費税率引き上げ検討を含め、将来不安を払拭するための社会保障改革
B 民間活力を引き出すため、医療・農業・教育への株式会社参入や道路公団・郵政事業民営化
C 科学技術創造立国実現への環境整備として、知的財産権の整備、産学連携の推進
D 国際熱核融合実験炉(ITER)誘致などエネルギー戦略確立と環境対策の推進
E 株式会社・NPOによる学校設立など教育への競争原理導入による教育改革推進
F 人材派遣の拡充、外国人受け入れなど多様な雇用・就労形態の促進
G 首都圏の空港整備促進など都市・住環境整備
H 税源委譲による地方財政の基盤作りと州制導入
I 自由貿易協定(FTA)促進など通商政策推進
http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/vision2025.html
http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2003/051.html
私はこの記事を見てたまげました。個別の政策ではなく、包括的な一連の政策パッケージを献金をタテに押し付ける「経済団体」など、欧米では考えられない存在ではないでしょうか?(州制導入と企業活動に一体何の関係があるのだ?しかも記事には「経団連は当初、優先政策の中に、目指すべき消費税率など具体的な数値目標を盛り込む(!)方向で検討したが、経済界がそこまで政策をしばるのは難しいといった意見が大勢を占め、見送った」と書いてあった。)もちろん欧米にも経済団体等の利益団体はありますが、一国内の主要な企業と業界のほとんど全てを傘下に収め、経済・税制・福祉・行政・果ては国防といったありとあらゆる分野に大っぴらに「政策提言」する「経済団体」など私は聞いたことがありません。加えて今度は"擬似マニフェスト"です。こんなことをするのは普通政党だけだと思うのだが……。
欧米の感覚からすれば、「そんなに政策をもっているなら政党を立ち上げればいい。」となるでしょうが、そうなると訳の分からない事態になります。もしその「経団連党」が選挙に勝って政権を獲ったら日本が社会主義国のようになってしまうのです。民間部門(企業)と公共部門(政府)が完全に一体化してしまうからです。「国内の企業全てを傘下に収め、組織の決定がそのまま国家政策となる『経済団体』とはこれいかに?」
私は前からこの擬似政党のような「経済団体」について不思議に思ってきました。政官財とよく言われるように「財界」そのものである経団連も「政」「官」同様に何らかの形で強大な権力を行使しているであろうことは誰でも考えつくことでしょう。しかし、経団連の権力構造や制度、具体的な活動について分析した経済書なりビジネス書なりを、私は見たことがありません。「政」や「官」については、多少なりともその実態が明らかになってきましたが、「財」についてはほとんど何も明らかになっていないと言えるのではないでしょうか?
経団連をはじめとする日本の経済システムを見てすぐに気が付くのは、国内の企業全てが政治的に組織化されていることです。大企業、中小企業を問わず、経団連・商工会議所・系列・業界団体のどこにも属さない企業など日本では考えられないと思います。経団連は普通、経済書などでは「利益団体」とか「経済団体」と一言で片付けられてしまいますが、経団連の構成要素である業界団体については、事実上行政組織の一部となっていると指摘する人も少数ながらいます。(ただし、それらは異端に近い。)たとえば、野口悠紀夫は業界団体について「経済活動に対する官僚統制や行政指導の道具として、あるいは官僚の天下り先として、重要な役割を果たしている。」(『新版1940年体制』東洋経済 P.9)と述べていますし、カレル・ヴァン・ウォルフレンは次のように述べています。
――日本には大企業を結びつける、二つの横断的組織網がある。一つは、有名な系列であり、もう一つは、各産業分野における業界団体である。これら二つの組織構造によって、日本の政治経済の秩序が保たれている。二つの組織がうまく噛み合うことで、日本の製造業者は、世界中のどの製造業者よりも優位に立つことができる。系列は、いわばセーフティネットの役割を果たすからである。系列のおかげで、企業は短期の利潤を追求することなく、異業種分野に進出することが可能となる。日本の系列企業は多くの場合、大きな利潤をあげずに、十年以上も拡張計画を遂行することができた。それは常に系列銀行が支援し、他の系列会社からも資金援助してもらったからである。
産業構造を横断する業界団体は、同じ分野で事業活動を行う企業によって組織されている。これらの業界団体は、長期的な産業計画の遂行を監視する。例えば、不況カルテルを結ぶ手助けをしたり、また共同で新技術を獲得する手配を整えたりする。特にこうした業界団体を通じることによって、日本の経済官僚組織は産業政策の方向付けを促すことが出来るのである。業界団体のトップの地位の多くは、天下り官僚が占めている。業界団体の持つ巨大な力は、産業分野全体のことについて決定したことに関して、団体加盟の企業に対して絶対服従を強いる、非公式なルールに支えられている。しかも実際には各分野にある企業は、それぞれの業界団体に加盟することが義務付けられている。業界団体の決定事項は法的根拠はないにしても、加盟企業に対して事実上、拘束力を持っている。
(カレル・ヴァン・ウォルフレン『アメリカを幸福にし世界を不幸にする不条理な仕組み』ダイヤモンド社 P.206)
――日本の大企業や経団連、経済同友会などはどれも純粋な意味で、「民間部門機関」と呼ぶことは出来ない。(同上 P.214)
上で述べられている日本の経済システムの姿は、「自由市場経済」とは著しく異なる、社会主義経済の変種のようなものです。もし経団連を初めとする日本のこのような経済システムの全貌が明らかになれば、今アメリカが振りかざしている新自由主義を初めとする欧米の政治経済理論に一石を投じることが出来る事と思います。彼らの理論では、企業は国家や政党のような政治的な存在ではありえないし、公共部門と民間部門が一体化した社会主義国のようなシステムは成功できるわけがないはずなのですから。
実は私の珍社会理論の目的は、「グローバル化が進み、大企業が強大な力を持ちつつある世界において、従来の国民国家に代わる国家モデルと、自由市場経済に代わる経済モデルを考えてみよう」ということにあるのです。
2.グローバリゼーションと珍社会理論
2−1 企業の強大化について
今の世界にグローバリゼーションがもたらした現象を一つ挙げるとしたら、何になるでしょうか?いろいろあると思いますが、私は特に「大企業、特にグローバル企業の力が未だかつてなく強大化した」点を挙げたいと思います。(今裏でささやかれている「アメリカは大企業に乗っ取られた」という陰口はおそらくこういった事実の一端を表すものなのでしょう。)
今の多国籍企業が持つ力、例えば経済力について、次のように述べる人がいます。
――グローバルなレッセフェール資本主義によって、多国籍企業は爆発的に増えた。今では多くの国民国家と同じくらいの規模となっている。今日、世界資産の25パーセントは300もの多国籍企業で占められる。最大規模の多国籍企業6社のそれぞれの年間売上は、1110億から1260億ドル。現在GDPでそれを上回るのは、21ヶ国に過ぎない。
企業の売上は世界貿易の3分の2、世界産出の3分の1を占め(コカコーラ、トヨタ、フォードは合衆国以外で売上の半分近くを稼ぐ)、世界貿易のおよそ40パーセントは、多国籍企業内部で生み出されている。そしてこれらの企業はグローバルに販売するのみならず、世界中に投資をしている。外国直接投資は激増し、1980年の600億ドルから1997年には3940億ドルに増えた。これが開発途上国に及ぼす影響ははっきりと数字に現れている。開発途上国は1970年代の初めに平均23億5000万ドルを受け取っていたが、1991〜96年に800億ドルに増えていた。
(『巨大企業が民主主義を滅ぼす』ノリーナ・ハーツ 早川書房 P.46)
――個々の企業が国家と比べてどれほど強大な勢力であるかを確認することは、至難の業である。だが企業の規模を考えてみれば、信じがたいほど強力な企業が多く存在するのも事実である。企業の売上高と国民国家のGDPを比較すれば、企業がどれほど巨大な存在であるかが分かる。三菱商事と三井物産は、スウェーデンより若干小さいが、世界で4番目に人口の多いインドネシアよりも大きい。伊藤忠、住友商事、丸紅、GMはいずれも、デンマークやタイより大きい。日本のNTTとアメリカのAT&Tの売上高は、イスラエルやギリシア、マレーシアのGDPより大きい。東芝とフィリップスはアイルランドより大きく、ソニーでさえ、エジプトよりもかなり大きいのである。
世界の大企業200社の総売上高は、トップ9カ国を除く、全ての国のGDPの総額よりも大きい。しかも年月を追って、この比率は大きくなっているのである。1980年代初頭において、世界の企業トップ200社の総売上高は、世界のGDP総額の25%未満だったのが、今日では3分の1に近づいてきている。世界の企業トップ200社は、全人類に占める貧困者5分の4の人口が持つ資産の2倍の資産を持っているのである。
(カレル・ヴァン・ウォルフレン『アメリカを幸福にし世界を不幸にする不条理な仕組み』ダイヤモンド社 P.182)
上に挙げたウォルフレンの『アメリカ〜』は2000年12月出版で、グローバリゼーションをアメリカ政府と大企業を中心とした勢力の世界戦略的プログラムであるとして時代的な観点から描写しているのに対し、ノリーナ・ハーツの『巨大企業が〜』は2003年8月出版で、国民国家の境界を越えて世界に拡大していく大企業体制がますます政府や国際機関を言いなりの道具として使いつつ、情報や政治をコントロールしていく現状を豊富な例と資料で描写しています。
もしこのような傾向が続けば未来の世界はどのようになるのでしょうか?
私の珍社会理論では、「ひょっとしたら100年か200年後には、NGOと超国家企業(多国籍企業の進化したもの)が国民国家の上に君臨する、ちょうど経団連のような感じの、世界規模の企業政府を形成しているかもしれないね。」という風にしています。
もちろん、「企業政府」なるものは現時点ではただのたわ言であり、「企業政府ができる」云々はただの「予想」に過ぎません。ただ、いくつかの理由から「これから企業、特に多国籍企業は更に強大な経済力と政治力(権力)を持つようになる」と私は考えていますので、そこからSFと同様いくつかの仮定と憶測を加えて論を展開したのが私の「珍社会理論」なのです。
さて、珍社会理論ではこれから世界は次のようになっていくと予想します。
これからの世界では、まず間違いなく多国籍企業の力は今以上に強大化するでしょう。なぜなら、
・ 企業が力を持つことを肯定するようなイデオロギーが、我々に浸透している
・ アメリカが、政策の面でもイデオロギーの面でも彼らを支援している
・ EUのような地域統合が一部では見られても、国民国家の数自体は今以上に増える
・ 世界政府が存在せず、また近い将来それができる見込みもない
からです。順に説明していきましょう。
「企業が力を持つことを肯定するようなイデオロギー」とは、「民営化」「規制撤廃」を初めとする新自由主義的な考え方のことです。確かに企業は往々にして政府よりも良質のサービスを提供しますが、今まで政府がやっていた事業を企業がやるようになるということは、理屈から言うと我々の生活がますます(政府ではなく)企業に依存するようになるということです。「民営化」というと私達はそれを良い事のように考えますが、そう思うことによって――うがった見方ではありますが――私達は企業が政府に代わって私達の生活を支配するようになることに荷担しているといえるのではないでしょうか。(企業が人々を政府のように保護し養う状況については、また後のところで述べます。)また、「規制撤廃」とは、ここでは「競争を促進するために企業が国内外を問わず自由に投資できる環境を整えること」を指しますが、これは言うまでもなくアメリカが広め、IMFやWTOを通じて世界中に押し付けようとしている考え方でもあります。
ソ連崩壊後のロシアや90年代後半のアジア通貨危機の例からみても、アメリカ主導のIMFがやったのは「規制を撤廃して外資が自由自在に活動できるようにする」ことであり、結局はアメリカ等の大企業の利益にかなうものだといえると思います。しかし、アメリカの支援の元に多国籍企業が今後世界中に市場を持ち、アメリカの市場だけに依存しなくてもよくなった場合、果たして彼らはそれでもアメリカ政府の言うことをきくのでしょうか…?
仮に多国籍企業が世界中に展開して特定の地域の市場に依存しなくてもよくなるほど強大化した場合、彼らが世界規模で談合や児童の使役、価格操作といった不正行為をするのを取り締まるためには、全ての主権国家に命令する権限と権威を持つそれこそ「地球連邦」のような世界政府が必要になるでしょう。なぜなら、例えば国内の価格操作は取り締まれても国外で価格操作をやられると手のうちようがない上、「不正行為を止めろ。さもないとわが国の市場から締め出すぞ!」という脅しが効かなくなるからです。
とはいえ、世界政府を作ることは考えただけでも困難です。我々が「世界政府を作る」と聞いて普通にイメージするのは、全ての主権国家が消滅して世界規模の国民国家ができる、ということだからです。国民国家が成立するためには特定の地域の人間達が互いに「共通の特徴」を見出し、「我々は仲間であり、運命共同体だ」という国民意識を持つ事が必要です。しかし、「地球人類共通の特徴」とは何でしょうか…?宇宙人が攻めて来でもしない限り「地球人類が共通の国民意識を持つこと」はありえないとしか思えません。加えてそのような試みはアメリカ等が全力で阻止するでしょう。
このように考えてみると、今の世界は多国籍企業達にとってまさにパラダイスであると言えます。彼らの強大化を促進する要素がありこそすれ、それを阻む要素がほとんどないからです。彼らが従来政府がやっていた事業に参入してもそれを「ヘンだ」と言う人はいませんし、彼らはアメリカの支援を受けています(というより既にアメリカ政府を乗っ取っていると言う人もいますが)。彼らは個々の政府に代わって人々の生活を支配する存在になれる(現時点においても、途上国では部分的にそうなっている)でしょうが、それを阻止する世界政府は存在しません。企業が今後どれくらい国家のコントロールから自由になれるのか正確に予測するのは困難ですが、今以上に強大化するのは間違いないと思われます。
2−2 国家は企業をコントロールできるか?
前の項では大企業、特に多国籍企業が個々の国(アメリカでさえ!)では手におえなくなるほど強大化する可能性を示唆しましたが、こういう疑問・反論があると思います。
・ そもそも多国籍企業が世界中に展開して特定の市場に依存しなくてもよくなるなんて事が有り得るのか?
・ 企業が手におえなくなる程強大化する前に、国連に例えばWTOのような調整機関を作ればいいんじゃないの?
前者については、私は「長期的には十分に有り得る」と思います。今の時点でさえ、「市場の撤退」をチラつかせて国家を脅すことができる企業が存在するからです。例えば、次のような例があります。
――ドイツでは、(中略)1999年、蔵相オスカー・ラフォンテーヌは企業に増税を試みたが、ドイツ銀行(資産4000億ドル以上)、ドレスデン銀行、保険コングロマリットのアリアンツ、BMW、ダイムラー・ベンツ、ドイツのエネルギー・工業グループのRWEなど企業団体の反対にあった。政府の政策が不都合だと思えば、資本と工場を他の国に移す、と脅したのだ。(中略)ダイムラー・ベンツはドイツから合衆国に移ると言い出した。公債を購入してドイツ経済に投資するのをやめる、と脅す企業もあった。
(ノリーナ・ハーツ『巨大企業が民主主義を滅ぼす』 早川書房 P.70)
――エリクソンなど、スウェーデンの大企業数社は「所得税が高いから熟練した労働者を雇いにくい。本社を移す」と脅しをかけた(実際にエリクソンはこれを実行。事業部門と生産拠点を一部外国に移転し、1999年、ロンドン本社を設けた。)
( 同上 P.71 )
後者についてはどうでしょうか。「調整機関」の具体像について、ノリーナ・ハーツはこう述べています。
――人々が正義をもって報われない世界では、不満は募る一方だ。そのため、企業ぐるみで不正をは
たらく者には必ず罰を科し、被害者が誰であれ必ず賠償されることが求められる。長期的にみれば、
企業に対する現地の規制と国際的規制を双方とも強化し、効果的に施行することである。手っ取り早
いアプローチとしては、次の二点は明らかだといえよう。
まず、北側諸国政府は、企業の実像を隠すベールに穴を開け、どこの国に進出したかにかかわらず、
親会社に子会社の事業活動について責任を持たせるような法改正に着手すること。そして全ての国に
おける労働者とコミュニティが、グローバルな法的支援基金を受けられるようにすることだ。
次に、例えば世界社会機関(WSO)というような機関を設立する必要がある。これは強大な世界貿易
機関に対抗する機関であり、グローバル市場機構を立て直し、人権と労働条件と環境を長期的に保護
する法規制を確立する。このWSOは、WTOと同じレベルの実効性を持たねばならない。WTOと意見が対立
した場合は(間違いなく起こる)公益を守るため、貿易と他の利益の折り合いをつけようとする新し
い裁定のメカニズムに従うことになる。
しかし北側諸国では、この新機関を一種の保護主義として利用しないよう注意しなければならない。
先進国は、途上国がよりよいグローバル・スタンダードに追いつくため支援すべきである。新しいル
ールを考える際には、国によって出発点が違うことを考慮に入れる必要がある。
( 同上 P.267〜268 )
私個人は、WSOについて「一応の効果はあるだろうが、根本的な解決にはならないだろう」と考えています。なぜなら、国家は基本的に自国民のために自国の利益を優先せねばならない以上、たとえWSOがあったとしても国家同士の利害対立は避けられないだろうからです。例えば近年、EUとアメリカが遺伝子組み替え食品等でしょっちゅう経済紛争を繰り広げているのを見ると、仮にWSOがあったとしても両国は――ノリーナ・ハーツが引用文で述べてあるように――WSOを紛争の道具に使うのではないかと思えてきます。こういった具合に……
EU:アメリカの食品はWSOに定められたルールに違反している!EU内から締め出されるべきである!
アメリカ:EUの保護主義は世界中から雇用の機会を奪い、グローバルな利益に反している!WSO違反だ!
結局のところ、個々の国家の利害にお構いなしに「地球全体の利益」を考える何者かが現れない限り、多国籍企業の活動とそれがもたらす混乱に何らかの歯止めをかけるのは難しいように思われます。
また、ここからは私の想像になるのですが、事態がWSOでどうにかできるレベルを超えてしまうことも考えられます。例えば、WSO体制の確立と並行するように、世界規模のメガ・カルテルが形成されるとか……
2−3 メガ・カルテルの形成
あくまで個人的な想像に過ぎないとはいえ、将来、多国籍企業が今以上に強大化するのみならず、さらに世界規模のメガ・カルテルまで形成すると考えているのには主に3つの理由があります。一つ目は技術的な要因で、「テクノロジー上の要請から企業のグループ化、ひいてはカルテルの形成が進むだろう」というものです。二つ目は政治的な要因で、「国家が加えようとするコントロールから自由になるために新しい企業形態が生まれるだろう」というもの。最後の三つ目は社会的な要因で、前項で述べたような「世界政府が存在しない、グローバル企業の振る舞いに対処するのに各国の足並みが揃わない」というものです。順に説明していきましょう。
まず、「テクノロジー上の要請」とはどういうことか?このことに触れる前置きとして、今流行している企業形態について少し言及します。これからの会社はどのような形になるのかに関して、ピーター・F・ドラッカーは著書でこう述べているようです。
――ドラッカーが述べているネクスト・カンパニーの究極的な姿は、経営陣だけからなる会社である。
経営陣だけで何ができるか?
ほとんど何もできない。
経営だけしかできない。
経営だけしかできないが、他の全てを外部に注文するなり、外部に委託してしまえばいい、という考えである。
商品は、どこかに作ってもらう。
その設計も、基本的な考えだけを自分達で練って、後は外部に任せる。
販売・流通も依頼する。もちろん、広告・宣伝もである。
社員は雇わない。どこかに頼んで、きてもらう。
その人事管理も、雇用も、福利厚生も、そのどこかに請け負ってもらう。
経理も、財務も、資金繰りも、金融も、どこかに丸投げで依頼するか、派遣されてきた専門家に依頼する。
それらの全ての活動をする監査機能も、どこかに果たしてもらう。経営の仕事は、これらのバランスを取ること であるし、会社の向かうべき方向を決めることだ。
経営陣だけしかいない会社。
そんなことは可能だろうか?
現在の段階では、完全にそうなることは不可能かもしれない。が、究極的なモデルとしては、その考えは、現 在でも十分に成り立つように思う。
(川井健男 『ドラッカー的未来社会を読む』宝島社新書 P.91〜94)
ここに出てくるのは、全てを外部委託する企業ですが、基幹業務(典型的には製造部門)の多くを外部委託する企業は既に世界中に多く存在します。しかし、外部委託のシステムにも問題があります。
・ 「みんなが製品の製造や技術開発を投げ出してしまったら誰が最終的にそれらをやるのか?」
・ 「企業名のブランドだけで生きていては、ブランドの信頼が少し失墜しただけで即企業の死につながってしまう」
・ 「外部委託先が独自に製品開発能力を身に付けて自立できるまでに成長すると、ロゴだけで生きている企業は逆に委託先からボッタくられる」
・ 生産を外部に丸投げして作れるモノは、基本的に他社でも容易に作ることのできるモノである。そのため、「自社には作れても他社には作れないモノを作ることで生き残りを図る」というやり方を取ることができない。他社と競えるのは「コスト削減」のみであり、それは早晩頭打ちになる。
ということです。
したがって、ドラッカー的な「全ての業務を外部委託する」企業は非現実的であるし、海外に見られる「製造部門を外部に丸投げしてロゴだけで生きる」企業も長期的には成功しないだろうと私は考えています。現実的には、世界も日本のように「下請け・元請のようなある程度の外部委託はするが基本的に自前の生産施設と技術を持ち、必要に応じて複数の企業がそれぞれの技術と施設を持ち寄って製品を開発・生産する」という形に落ち着くのではないでしょうか。(因みに私の珍社会理論にも「全てを外部委託してロゴだけで生きる」企業は出てきますが、それは経団連並みに巨大な企業グループであります。詳しくはまた後で…)
この「自前の資源をそれぞれ持ち寄る」日本方式で有名なのはかつてのビデオデッキ(最近ではDVD・携帯電話か?)でしょうが、これからの世界では今まで以上に他社と提携しなければならない製品が増えるのは自明と言えると思います。実は「カルテルの形成を促すテクノロジー上の要請」というのは、「研究開発費が高騰し、他社と競争せねばならず、製品や技術の規格も重要視されるこれからの世界では、数十社数百社が提携せざるを得なくなる」ということなのです。
こういったことの好例が、情報家電の分野でしょう。例えば朝日新聞の記事から例を取ると次のようなものがありました。
一つは2003年9月26日の記事で、
「マイクロソフトが、日本国産の基本ソフト(OS)『トロン』を情報家電向けに改良する共同組織『T−エンジン・フォーラム』に加わり、次世代ソフトの研究で提携する」
というものです。同記事は次のように書いています。
「マイクロソフトはフォーラムに参加し、情報家電向けトロンと連動して動くウィンドウズを開発することを目指す。
フォーラムは昨年6月に設立され、日本の大手電機メーカーなど約250社が参加している。インターネットの常時接続や無線LANなどの普及で、様々な家電がどこでもネット接続できる環境が整ったのに合わせ、ネット接続できる情報家電向けトロンの開発を進めてきた。
一方、マイクロソフトもパソコン市場が世界的に低迷する中、情報家電向けに力を入れる戦略を独自に打ち出していたが、共同研究するのが得策と判断した。」
もう一つは2003年6月25日の記事で、
「ソニーや米インテル、欧フィリップスなど情報技術(IT)関連の世界大手17社が、家庭内のパソコンやテレビ、ステレオ、携帯電話などの相互接続がどのメーカーの製品間でもできるよう、規格統一することで合意した。」
というものです。
このように、もはや多数の企業の連携があたりまえになりつつある世界では、論理的な帰結として、「企業のグループ化が進み、何らかの協定を結んで連合する、という意味でのカルテルが(長期的に見て)形成される」という見方ができるのではないでしょうか。
次に、「国家が加えようとするコントロールから自由になるために新しい企業形態が生まれるだろう」についての説明に入ります。
私はこの新しい企業形態を「超国家企業」「企業集団」と呼んでいます。超国家企業の特徴は次のようなものです。
・ 特定の国に本社を置かず、一種のバーチャルな意思決定機構によって運営される。(例えば各国の支店長がテレビ会議で企業グループ全体の活動を調整するとか…)
・ 特定の国に本社を置き、国ごとに半ば独立した子会社を置いていたかつての多国籍企業と違い、複数の国で同時に活動する。つまり、各支店は支店のある国の中だけで完結するような活動をしない。
・ 自前の生産施設等を持つがその規模は今の大企業に比べると小さい。
・ 世界中に展開する複雑な下請けネットワークを持つ。超国家企業の管理者は大抵小さな労働者集団であり、彼らは電子ネットワークを通じて独立した別々の企業で構成される下請けネットワーク内の仕事や活動を調整する。
・ 超国家企業は大抵、グローバルな巨大合併の結果生まれたものである。
一方、企業集団の特長は次のようなものです。
・ 多数の超国家企業とそれに付随する下請け企業達によって構成されるカルテル組織である。
・ 企業集団内では多数の企業が参加するような事業(規格の決定、合弁事業、工場・新会社の設置、企業の再編など)に関する取り決めが行われている。
・ 大抵自分達を「経済団体」と呼んでいる。
・ 傘下の企業を組織の取り決めに従わせる力を持つ。それは大抵、日本経済界における「業法」のような法律に基づかない非公式なものである。
・ 超国家企業と同様に特定の国に本部を置かず、適当な場所もしくはバーチャルな場で適時会合を開くなりして運営されている。
こういったいわば妖怪のような企業形態には(企業側にとって)様々な利点があります。一つは「超国家企業の場合、本社に情報と権限を集中させるという方式を取らない(そのための技術は既に出揃っている)ため、その分末端の企業達や企業グループ全体が迅速な情報収集と状況の変化への柔軟な対応ができる」ということです。もう一つは「企業集団の場合、集団内の企業は日本の系列のように他の企業達の支援を受けられるので競争上優位に立てる」ということ。そして最後の一つは、「(超国家企業も企業集団も)個々の国家の利害や政策、そして国際機関が加える規制からも自由になってグループ全体の利益追求に邁進できる」ということです。
企業集団や超国家企業はそもそも前述したような「競争のために多数の企業が提携せざるを得ない」という事情や、それを可能にするテクノロジーの発達、将来予想される国民国家達のグローバル企業に対する締め付けの強化への対抗といった要因から生まれる(かもしれない)と私が勝手に想像しているものですが、このようなものが出現した場合、個々の国家はおろか、ノリーナ・ハーツのWSOのような国際調整機関ですら手に負えない事態となります。なぜなら、これらの集団がやる価格操作をはじめとする不正行為、国際レベルの談合で企業達が勝手に決めてしまう規格設定や事業展開を規制するためには、超国家企業やその関連会社が存在する世界数十カ国全てに対して同時に命令を下し、場合によっては企業達に対し直接――国家を通して間接的にではなく――制裁を加えなければならなくなるからです。
しかし日本、中国、アメリカといった国家に対して不可侵の主権を認める私達の世界では、国連をはじめとする国際機関には国家に対して有無を言わさず命令に従わせる権限と権利はありません。せいぜい決定や協定・条約を守るように勧告し、守らない国には別の国が制裁や報復措置を取るのを認めるぐらいなものです。ましてや、ある国の中にある企業を勝手に分割したり解体したり罰金を科したりする事ができるような権利など最初から持っていません。
したがって、国連よりもさらに強力な権限を持つ本当の意味での世界政府でなければ、超国家企業や企業集団の活動をコントロールすることはできないのです。
では、事態が真に手に負えなくなる前に超国家企業や企業集団の出現を阻止することは可能でしょうか?結論を先に書くと、「おそらく無理」です。超国家企業も企業集団も、今現実に行われているグローバルな巨大合併や多数の企業の提携の結果生まれてくるものですが、私達の世界にはそれらを阻む何者も存在しません。これが、私が先にメガ・カルテル形成を促す社会的要因として挙げた「世界政府が存在しない」の意味する事なのです。
私達の世界には、世界中の企業に対して強制捜査権を持ち、制裁する世界規模の公正取引委員会がありません。また、世界各国が無条件に従わなければならない、例えば独占禁止法の世界版のような法律を作る議会を初めとする機関もありません。言うまでもなく、こういった物ができるということは、世界中の全ての国家が主権(独立)を失うことを意味します。こんなことは可能でしょうか?現状を見る限りでは悲観的にならざるを得ません。今現在世界ではNAFTA、ASEAN、FTA等の経済的な統合の動きは見られても、グローバルな政治的統合の動きはEUを除いてほとんど見られません。(経団連が進めている)FTA等の自由貿易圏構想は、グローバル企業の活動をさらに容易にするものであり、それは超国家企業や企業集団のようなものを形成するのが容易になることを意味します。従って、グローバル企業に対する国家達の対応は、全てが後手後手に回るように思われます。
しかしこう書くと次のように言う人がいるかもしれません。
「経済や企業達に引きずられるという形にはなっても、世界の政治的統合は数百年というスパンで見ると十分ありえるのではないか?」
世界政府形成の可能性と政府の具体像については、それこそ多くの人が政治論文や小説の世界で論じてきました。私も多分その一人になるのでしょう。しかし私の場合、
「世界政府のようなものは将来ひょっとしたらできるかもしれないがその姿は現代の多くの人が考えているものとは全く違うものになるだろう」
という立場を取ります。次の稿では、私の珍社会理論に出てくる「世界政府」の具体像とその形成について触れることにしましょう。
3.企業国家の性質
3−1 企業国家のある風景
私の珍社会理論に出てくる「世界政府」と、小説やSFの世界に出てくる「世界政府」の違いは一体何でしょうか?おそらく最大の違いは、
・ 世界政府(正確に言うと世界規模の政府で、某アニメの地球連邦のように世界にたった一つしか存在しないというわけではない)があるとは言っても、日本、アメリカ、中国といった今私達の世界にある国民国家が消滅するわけではない。国連も多分消えてなくなることはない。
・ 国民国家のように国内の、例えば言語、通貨、学校・福祉等の社会制度が必ずしも統一されているわけではない。
ということでしょう。普通、私達が小説やSFの世界でよく目にする世界政府では、全ての主権国家は消滅していて、外交・金融・軍事の権限は中央政府に独占されています。ところが、珍社会理論における「世界政府」である企業国家のある世界では、主権(国民)国家は消滅するどころか分離独立で今よりも更に数を増やし、グローバル企業(超国家企業でもいい)誘致のための協定を結んだり、地域紛争に介入・調停するといった独自の外交を展開しているのです。ただし、その世界の国民国家達は企業国家が形成するグローバルな経済秩序に完全に組み込まれていて、少なくともグローバルなレベルでの企業活動や経済に関する取り決めについては事実上独立を失っています。そして、企業国家の政治制度においても、国民国家は事実上、企業国家を支える下位組織のような存在になってしまっているのです。
また、企業国家のある世界では、一部のグローバル論者が主張したり、小説とかで出てくるような「国境が消滅して世界共通の基準や制度の元、地球上の誰もが共通の福祉サービスや教育を受けられる」という状態には決してなりません。それどころか企業国家には国家内に住む人間の誰もが受けられる教育・福祉等の公的サービスが存在せず、「統一通貨」のようなものがあるかどうかさえ怪しいのです。企業国家は、国民国家のように国内のメンバー、つまり国民全員の生活を守り、保障するということを最初からしません。これらの役割は、事実上企業国家の下位組織となっている国民国家がやるべき事とされています。企業国家とは、いわば「小さすぎる政府」なのです。
このように書くと、「企業国家は国家と呼べるような代物ではない」という人がいるでしょう。確かに「統一された諸制度が(必ずしも)存在せず、『国民』の生活も守らない」という点で企業国家は現実の私達が普通にイメージする国家とは異なります。しかし一方で企業国家は私達の国家のように議会・行政府・裁判所を持ち、明らかな政治的意思を持って活動しています。その意味で、「政府」と呼んでも差し支えないと思います。つまり、企業国家とは、私達が「国家」と聞いて普通にイメージするものとは全く異なるものなのです。
3−2 企業国家と国民国家
ここで「企業国家」というものの定義を改めてしておきましょう。私は「企業国家」を次のように定義しています。
「企業国家とは、国全体がさながら1個の巨大な企業のようになっている国家のことを言う。企業国家の多くは、元々巨大企業体やカルテル組織が国家そのものに成長したものである。また、企業国家は多くの場合、超国家企業達が作った巨大なカルテルにNGO、労働組合を始めとする市民団体と国民国家が付随した政治システムを持つ。(*注:ここで私がわざわざ『多くの場合』と断り書きしているのは、既に企業国家の具体的なモデルをいくつも考えているから!)」
これに対して、私達が「国家」と聞いて普通にイメージする国民国家の定義は次のようなものです。
――国民国家(ネイション・ステイト)とは、国境線に区切られた一定の領域から成る、主権を備えた国家で、その中に住む人々(ネイション=国民)が国民的一体性の意識(ナショナル・アイデンティティ=国民的アイデンティティ)を共有している国家のことを言う。
(歴史学研究会編『国民国家を問う』青木書店、P.5)
元来が企業の集まりである企業国家には、そもそも国民国家的な意味での「国民」がいません。彼らにとっての「国民」は、超国家企業のトップエリートや市民団体のメンバーだけでしょう。また、国民国家のように目に見える領土も持っていません。その一方で、企業国家は国民国家とは異なる支配体制を確立しています。国民国家は「市民→市町村→県・州→国」という土地を媒介にした支配体制を持っていますが、企業国家の場合は「消費者→ビジネスマン→企業→系列→企業集団→企業国家」という具合に「市場を媒介にした支配体制」を持っているのです。
では、このように全く異なる政治原理を持ちながら、なぜ私の珍社会理論では企業国家と国民国家という2つの政治形態が共存しているのでしょうか?実はこれにはグローバリゼーションの性質が大きく関係しているのです。とりあえず本から引用してみましょう。
――グローバリゼーションは、国家の創り出した境界にさまざまな風穴(孔)をあけてきましたが、今のところ国家そのものを解体してきているのではありません。グローバル化の進展は、国民国家の多孔化をもたらしましたが、そのまま直接に、ナショナルな機構や制度を崩壊させているわけではないのです。グローバリゼーションが、経済だけでなく政治や文化の均質化を引き起こすといっても、国民国家を含めたローカルな多様性や境界の存在は、むしろグローバル資本が富を生み出す源泉です。
境界が創り出すグローバル資本の活動の場は、各国の制度や機構の差異によってより明確になります。変動相場制のもとでの各国の通貨制度の違いは、ハイリスク・ハイリターンの市場を生み出しました。いわゆる民族やエスニック集団間の対立も、地域紛争への米軍の介入に見られるように、グローバル資本の場に危害が及ばない限り、秩序形成と資本蓄積にとっては不可欠なのです。税制や環境保護政策の差異は、租税負担や環境規制などを免れる手段と化しています。フリー・タックスの国での活動はいうまでもなく、ある種の国際取引は合法的な節税手段であり、環境規制の差異は、一部の国を廃棄物処理場にしつつあります。
(いよたにとしお伊豫谷登士翁『グローバリゼーションとは何か』平凡社新書P.97〜98)
――アメリカは金権政治に変わり、EU加盟国では経済政策や福祉政策に関して厳しい制限が加えられるようになったが、それは国家が不必要な存在になったことを意味するものではない。また国家の重要性が失われたことを意味するものでもない。皮肉なことに、国家の存在が消滅しかかっていると言われているこの時期に、大企業としては、産業にとって好ましい環境を保護するために政府を必要としているのである。今日、大企業が謳歌している新しい国際的自由や国際的機会は、国際条約によって獲得したものであるからだ。
(中略)その上、ここ2,30年の間に、国家の新しい役割が誕生した。それは金融上の突発事件や一時的な景気後退が、長期的経済問題に発展することを防ぐ役割である。すなわち政府は、グローバリゼーションから発生した金融混乱に迅速に対応する任務を与えられたのである。結果的に、政府の対応が、大企業にとって有利な国際ビジネス環境を確保することにつながるのである。
(カレル・ヴァン・ウォルフレン『アメリカを幸福にし世界を不幸にする不条理な仕組み』ダイヤモンド社、P.190)
2つの引用文で示されているのは、
「国際ビジネスに必要な地域の差異化と安定した秩序、そしてビジネスしやすい環境を生み出すために今でもグローバル企業は国民国家を必要としている。」
ということです。珍社会理論において企業国家と国民国家という全く異なる政治形態が共存しているのは、こうした私達の世界の現実を反映させているからです。つまり、企業国家を形成する主要メンバーである超国家企業達にとって、世界が多数の国民国家で覆い尽くされてなおかつ国境で細切れになっている状態は大変都合が良いのです。なぜなら、彼らからすれば国家が消滅して社会が無秩序状態になっては困る上に、国民国家による自国と他の地域との差異化が進めば他の地域と違った種類のビジネスを展開する余地が出てくるからです。(*国民国家には元々自国民と他国民の差異化を推し進める性質がある。例えば、「自国の民族の定義」「固有の歴史・文化」の再発見が典型的な例となる。)企業国家と国民国家は決して相容れない存在同士ではないのです。
以上、珍社会理論における企業国家と国民国家の関係をまとめると、次のようになります。
「企業国家と国民国家はそれぞれ全く違った政治原理を持つが、両者は全く相容れない存在同士ではない。それどころか企業国家を構成している超国家企業達にとって国民国家は必要(不可欠)な存在ですらある。ただし、企業国家のある世界では、超国家企業を始めとするグローバル企業達と国民国家達の力関係は完全に逆転している。かつてグローバル企業の活動をコントロールしつつ彼らのために便宜を図ってやっていた国民国家達は、今ではグローバル企業の集合体である企業国家によって逆にコントロールされ、それを支える下位組織となってしまっている。」
これが私が珍社会理論の中で想定している「未来の世界」です。これまでの稿では「グローバリゼーションの進展の結果、大企業が今だかつてない程巨大な経済力を持つようになっており、今や部分的には国家と渡り合える程の政治力すら獲得しつつある」という事実を確認した上で、いくつかの分析と想像を付け加えつつ「企業が国より強くなる」という奇妙な世界とそれができる可能性(?)について論じてきました。しかし、それでもなお、「企業がさらに強大化する」という事実と「企業が国家を形成する」というフィクションとの間にはまだまだ大きな落差があります。次の稿からはいよいよ私が考えてみた「企業国家形成のシナリオ」について触れることになりますが、これはこの「現実とフィクションとの間にある溝」を埋める作業なのです。
4.企業国家形成前夜
未来の世界において、グローバル企業が単に強大化するだけでなく自分達の政府を形成するに至ると想定した時、それにリアリティないし説得力を持たせるにはどのような条件が必要でしょうか?これを考える際にまず念頭に置かなければならないのは、「仮に将来グローバル企業が国家の手に負えなくなる程強大化したとしても、彼らが政府を形成する必然性ないし必要性があるとは限らない」ということです。企業達からすれば、国家より強くなろうがなるまいが今まで通り利益追求に邁進できればそれでいいのであって、何も自分達の政府を作って社会秩序を維持したり人々の暮らしに責任を持たなければならないような義理はないからです。そんなことは今ある国家達がやればいい。従って、「企業が国をつくる〜」という珍社会理論の想定にリアリティないし説得力を持たせるためには、
「グローバル企業達が国家よりも強くなるという要因の他にいくつかの要因も加わって何らかの政治秩序が形成され、その秩序を形作る制度が次第に形を整えてゆきついには政府と呼んでよいものが(自然発生的に)形成される」
という筋道を考える必要があるのです。
さて、仮に半世紀か1世紀後、技術やグローバリゼーションの進展の結果、前にお話したような超国家企業や企業集団が形成されたら世界はどのようになるでしょうか?理屈から言うと企業達が利潤追求のため好き勝手やりたい放題するのを国民国家達が抑えられなくなるのですから世界は恐ろしく不安定な場所になります。グローバリゼーションの負の側面としてしばしば指摘される、「貧富の差の拡大、市場経済の浸透による地域共同体の崩壊、伝統文化の消滅、民族や文化に端を発した紛争の拡大」といった現象が今よりも進むでしょう。そして現状に憤る人達――貧者、市民、原理主義者、何であれ――が今以上にデモやテロや抗議活動をやってまわるでしょう。「バラ色の未来」とは程遠い……。
歴史が示すところでは、何らかの要因で既存の秩序が崩壊すると、しばらく混乱が続いた後に以前とは異なった形の新秩序が再構築されることになります。では、グローバリゼーション(と超国家企業達)によってもたらされた混乱の後、一体誰が新秩序の担い手になるのでしょうか?珍社会理論では次のようにしています。
「グローバリゼーションの進展によりアメリカを始めとする国民国家主体の世界秩序が揺らいだ後、3つの政治勢力が新秩序を形作るだろう。一つは国民国家、一つはグローバル企業、そして最後の一つはNGOである。」
私が珍社会理論でNGOを未来の世界における主要な政治勢力の一つとしているのは、今現在私達の世界でNGOがやっている活動を見てのことです。周知の通り、近年、環境や人権等のグローバルな問題に対するNGOの活動が脚光を浴びるようになっています。1997年、1999年に地雷禁止国際キャンペーン(ICBL)、国境なき医師団(MSF)がそれぞれノーベル平和賞を受賞したのがその好例でしょう。そして脚光を浴びるだけでなく、最近は国連諸機関の政策決定にも限定的にではあれ関与するようになっています。例えば、次のような例があります。
――オブライエンらは、女性、労働、環境といった分野でのGSM(引用者注;NGOを含んだグローバルな社会運動のこと)がそれぞれのMEI(引用者注;多国間経済組織)に与えた影響を考察している。第一に、WTOとIMFに関しては、GSMの与えた影響はいまだ非常に限定的であるが、世銀に対してはGSMがある程度影響力を持ち、若干の制度変更にもつながることになった点が挙げられる。例えば、世銀と女性運動の場合をみると、GSMあるいはNGOとの間に三つのレベルで接触を持っている。第一は作業段階における協調で、世銀のプロジェクトの立案と実施においてNGOが関与する場合である。第二に経済、分野別の広範な調査、分析における協力関係である。第三に世銀の開発政策全般に関する政策対話であり、1982年に設立されたNGO−世銀委員会(NGO−World Bank Committee)でこの対話が行われている。制度変更に関して見ると、ジェンダーに関する分野では、1977年に「開発と女性」担当官が着任して以降、1987年にはジェンダー・ユニットが設立され、また1995年の北京女性会議以降、対外的なジェンダー問題協議グループ(External Gender Consultative Group)が設立され、さらに1997年にはジェンダー部門委員会(Gender Sector Board)が設立されている。
(小倉充夫・梶田孝道編 『グローバル化と社会変動』東京大学出版会、P.162)
こういった例からも分かるように、近年NGOは(今の時点ではまだ限定的であるにせよ)徐々に政治力をつけてきていますが、実は彼らについてもう一つ、注目すべき現象があります。彼らNGOはグローバリゼーションに対する抗議活動の主役になりつつあるのです。これについて次のような事例があります。
――政治家の権力と信頼性が衰退し、企業と国際組織の権力が拡大するにつれ、抗議運動は勢いを増している。1996年のWTO閣僚会議に集まったNGOは100を数えたが、3年後、シアトルの閣僚会議では1000を越えた。2000年2月には、10万人以上のボリビア人が、水道民営化の政府決定に対する抗議運動を街頭でおこなった。2000年4月、ワシントンの世界銀行・IMF会議には、デモに1万人を超える人々が参加した。6月末には、フランスのジョゼ・ボベ裁判が行われている法廷の外に4万人が集まった。7月、日本で数千もの主婦が消費者ボイコットを起こし、日本における政府と企業の癒着と腐敗の典型となっていた大阪の百貨店そごうを破滅に追い込んだ。9月にはプラハで2万人、同年12月ニースでの欧州連合首脳会議には10万人の抗議者が結集した。
2001年エクアドルで、IMF計画に反対して1万人が集まった。4月ケベックでは8万人が街に繰り出して、南北アメリカ自由貿易地域に抗議した。エーテポリではIMFサミットに抗議して3万人が、7月のジェノア・サミットに対しては15万人が集まった。12月、100万人を超えるアルゼンチン人がブエノスアイレスの町にあふれ、貧困線以下のアルゼンチン人を1日2000人も作り出す経済緊縮政策に反対した。
(ノリーナ・ハーツ『巨大企業が民主主義を滅ぼす』 早川書房 P.252)
そごうが潰れたのは本当に消費者運動の結果かどうかはさておくとしても、ここで示されているのは「抗議活動自体に大量の人間が集まるようになった」ということです。インターネットやeメールが普及した現代では、抗議者同士が情報を共有し、抗議活動を組織化することはそれほど難しいことではありません。(ノリーナ・ハーツによれば)実際、1999年のシアトル貿易サミットでMAI(多角的投資協定)の草案が潰れた際、人々を抗議活動に呼び寄せてサミットを妨害したのは数十のウェブサイトだったそうです。(ノリーナ・ハーツ『巨大企業が民主主義を滅ぼす』 早川書房 P.252)
もし未来の世界において企業の強大化の結果秩序が不安定化した場合、ネットを通じ現状に不満のある人達を吸収してNGOの数はどんどん膨れ上がっていくでしょう。そしてこういったNGOには(現在のNPO法人のように)大量の技術者や専門職の人達が加わるため、彼らは組織の面でも技術の面でも大企業達と対抗していくことができるようになると思われます。では、NGO達は具体的に大企業達に対してどのように対抗していくのでしょうか?実は珍社会理論では、このときに作り出された仕組みが企業国家の政治制度に発展していくとしているのです。
5.企業国家の形成
ここからは企業国家の持つ各制度の形成について触れます。
5−1 組織の形成
もし企業国家なるものが成立するとしたら、企業国家という組織そのものはどのように形成されるのでしょうか?これまでの稿では、「将来超国家企業と企業集団が出現したら、NGOも強大化するだろう」というところまで書きました。珍社会理論では、さらに次のような過程を経て企業国家の原型となる組織ないし秩序が形成されるとしています。
「まず最初に超国家企業達のカルテルである企業集団が形成され、次にNGOが
@ 超国家企業と外交関係を持つ
A 超国家企業と協定を結ぶ
B 超国家企業自体の運営に参加する
という過程を経て企業集団に加わる。こうしてできた集団が企業国家の原型となるのである。」
この「超国家企業とNGOが一つの組織に融合する」という過程は、NGOのような圧力団体のデモ、テロといった長く(半世紀から1世紀ぐらいか?)激しい抗議活動の結果起こるものであり、融合の過程自体決して一直線には進まないだろうと私は考えているのですが、とにかく、長期的にはこのように事態が進むでしょう。そしてこれらのことは実際に私達の世界で起きた事を元にしています。例えば、「超国家企業と協定を結ぶ」という部分は、2000年7月に国連事務総長コフィ・アナンが世界の大企業40数社と締結した「グローバル・コンパクト」という協定から着想を得ています。グローバル・コンパクトでは、締結した大企業は以下に引用する9つの原則を遵守するために何をしたかを国連に報告しなければなりません。
【グローバル・コンパクトの9原則】
人権
@ 国際的に宣言されている人権の擁護を支持し、尊重する。
A 人権侵害に荷担しない。
労働基準
B 組合結成の自由と団体交渉の権利を実行あるものにする。
C あらゆる形態の強制労働を排除する。
D 児童労働を実効的に廃止する。
E 雇用と職業に関する差別を撤廃する。
環境
F 環境問題の予防的なアプローチを支持する。
G 環境に対して一層の責任を担うためのイニシアチブをとる。
H 環境にやさしい技術の開発と普及を促進する。
http://www.unic.or.jp/globalcomp/glo_02.htm
http://www.unic.or.jp/globalcomp/
これと同様の仕組みをNGO達は未来の世界においても作るでしょう。つまり、未来の世界でNGOは、デモ、テロといった実力行使に訴えつつ超国家企業と交渉を持ち、グローバル・コンパクトのような協定を結ぶだろう、ということです。
また「NGOが超国家企業の運営自体に参加する」という部分は、NGOが例えば超国家企業の株主総会に出席する、というようなものですが、これと同じようなことは私達の世界でも実際に行われていて例えば次のような事例があります。
――いまでは機関投資家が企業に対して力をふるっている。企業の事業活動が気に入らなければボイコットするというだけでなく、もっと微妙で、もっと強力なやり方だ。企業が政党に献金を通じて関与し、政治家にカネを払って、自分に都合のいい主義主張を擁護させるのと同じように、株主の活動家は――年金基金であれ、環境団体、圧力団体、活動家基金であれ――株主としての力を利用して、これまで倫理面が後れていた企業の持ち株を買う。こうして内部から本当の変化を起こすことができるだろう。
合衆国の企業責任宗教連合センター(ICCR)は株主の支持組織であり、そのメンバーにはユダヤ人、カトリック、プロテスタントの各コミュニティの275以上の機関投資家がおり、資産は合わせて1100億ドルを越える。メンバーはターゲットとする企業の株を買い、株主の決議案を用いて、株主総会で社会問題について票決を強制する。盛んに話題となるテーマには、雇用機会均等の促進、タバコ産業への働きかけ、またアメリカ企業に対する国外工場での労働条件改善要求も含まれる。この方法で、シスター・パトリシア・マーシャル(78歳)はアンホイザー・ブッシュを見事に動かし、合衆国におけるミラー・ビールの広告からインディアンの絵を一部はずさせた。他にも、ペプシコにミャンマーのボトリング工場を売却させ、クリネックスの製造元であるキンバリー・クラークにタバコ工場を売り払わせた。
株主総会で抗議に立ち上がるのは、修道女やラビだけではない。他の年金基金、投資基金、環境団体の中にも、この戦略を取り始めたものがある。「企業は利害関係者を無視することもありますが、株主の言うことには耳を傾けます。投資家と提携することによって……すぐけんか腰になる企業にも意見を聞いてもらえますし、注意を向けさせるチャンスが増えます」とフレンズ・オブ・アース会長、ブレント・ブラックウェルダーはいう。
環境保護論者、投資家団体、年金基金は、2000年4月のBP年次株主総会で、同社の北極海探査に抗議する目的で、白熊のぬいぐるみを着て登場した。この時のように意表をつく格好で株主総会に現れる目的は、議決を通すことでなく、世間の注目を集めて企業の面目をつぶして圧力をかけ、行動させることだ。このケースでは、動議は株主の13パーセントの支持しか得られなかった。しかしBPは環境意識が強く天然資源に気を遣う企業であるというブランドを再び確立しようとしていたから、このタイミングは最悪だっただろう。1996年、カナダのトップ100のCEO調査によると、「株主が行動主義を掲げ、予測できない質問をしかけてくることは、年次総会"最悪の悪夢"の第一位にくる」という。
(ノリーナ・ハーツ『巨大企業が民主主義を滅ぼす』 早川書房 P.158〜160)
ここで引用したのは現実の例ですが、未来の世界でも同様のことが行われるでしょう。そして珍社会理論においては、NGOは株主総会以外にも超国家企業達と様々な交渉の場を設けるとしています。イメージ的には企業と市民団体によるフォーラムのようなものを想像していただけるとよいでしょう。
このように「NGOと超国家企業の融合」は、私達の現実世界で行われていることの延長線上で起こると珍社会理論ではしています。そしてこの時に生み出された「NGOと超国家企業の交渉の場」がやがて企業国家の議会に、交渉の結果作られた「グローバル・コンパクトのような協定」が企業国家の憲法・法律に発展していくのです。
5−2 立法・司法の形成
企業国家では、私達の国家と同様に議会で法律の制定や決議が行われ、企業国家を構成する主要メンバーである超国家企業やNGOの人間は議会で決められたことを守らなければなりません。もし企業国家ができるとしたら、このような仕組みはどのようにして確立されていくのでしょうか?
まず最初に超国家企業とNGOが恒常的に「交渉の場」を持ち、「協定」が作成されるという慣習ないし政治秩序が生まれた場合、その仕組み自体はそのまま維持されていくでしょう。なぜなら、「交渉の場」に参加することでNGOも超国家企業もそれぞれ利益を得る事ができるからです。例えばNGO達からすれば、「交渉の場」で超国家企業達に企業活動に関する質疑応答(○○社が今やっている事業は何のためにやっていて、誰にどのような利益をもたらすのか、実害はないのか、という感じの質問)を行うことで彼らに対しある程度の説明責任を負わせる事ができますし、「協定」を結ぶことで企業達から「正しい行いをする」という言質を取ることができます。反対に、超国家企業達からすれば、「交渉の場」に参加して自分達の事業についてNGO達の賛同を得られれば「市民団体のお墨付きを得た事業」という宣伝効果を期待できますし、「協定」を結ぶことで「良心的な企業」という評判を得ることができます。このような会合が繰り返されれば、やがて「超国家企業達が計画した(大抵大規模な)事業等の案件を市民団体達が審議して承認する」といった形式が出来上がるでしょう。……実は私の考えた企業国家の議会はこれを制式化した制度を持っています。つまり、企業国家の議会は企業の代表である上院と消費者の代表である下院に分かれていて、上院が審議した(企業活動や事業等の)案件を下院が審議する、といった制度になっているのです。
では、このいわば擬似国会のような会合で決められた案件や協定はどのようにして私達の世界の法律のような法的拘束力を持つようになっていくのでしょうか?企業国家が形成される途上の段階では、超国家企業とNGOが交わす協定は国民国家の法のような「正統性」のない単なる「勝手な決まり事」に過ぎません。したがって、協定を破った者に対する制裁措置はいわばリンチのような非公式なものにならざるを得ません。彼らはどのような手段で秩序を維持するのでしょうか?この「秩序維持の手法」についてカレル・ヴァン・ウォルフレンは次のように述べています。
――どんなシステムであっても、非公式であるか高度に法が支配するか、透明であるか不透明であるかの別を問わず、その構成メンバーを従わせるためのなんらかの仕組みが必要になる。法による支配を受けているシステムにおいては、法が守られることを保証するための外部者による監視機関が必要になる。ものごとの為され方(引用者注;法律に基づかない非公式なやりかた)の支配を受けるシステムにおいては、このようなチェックは存在し得ない。そのために、時として収拾のつかない事態に立ち至る可能性が非常に高いのである。(中略)成文化されない慣行を持つ非公式の政治体制においては、スキャンダルが少なくとも一定限度までは、法治主義の統治システムにおいて法廷と監視機関が担っている、間違いを正す役割を果たさなければならない。
(カレル・ヴァン・ウォルフレン『日本/権力構造の謎 下巻』 ハヤカワ文庫、P.374)
ウォルフレンは著書「日本/権力構造の謎」において、日本の政治経済システムは省庁の「行政指導」や業界の「業法」に代表される法律に基づかない非公式なやり方で運営されていて、その秩序を乱す者はスキャンダルを流されることで制裁されると述べています。その例として彼が挙げているのが1980年代後半に起きた証券不正融資事件とリクルート事件です。両事件で被告となった野村證券とリクルートは業界秩序を脅かしたためにスキャンダルを流されて制裁されたのだとウォルフレンは主張しています。 (カレル・ヴァン・ウォルフレン『日本/権力構造の謎 下巻』 ハヤカワ文庫、P.375〜378)
これと同じようなことが企業国家形成時に行われるのではないでしょうか?つまり、協定を結んだメンバーが違反行為を行った場合――大抵違反するのは超国家企業――、違反行為に関するスキャンダルやその他の醜聞まで大々的に流されたり、世界各地で同時にスキャンダルに関する訴訟を起こされたりすることで違反者はブランドイメージを失墜させられるといった制裁が行われるのではないかと私は珍社会理論の中で想定しています。
現実の私達の世界では、ブランドイメージの失墜は企業にとって致命的な事態です。例えば2002年に食品スキャンダル(牛肉偽装事件)を起こして解散に追い込まれた雪印食品の例を見ても、そのことは実感できるでしょう。そして超国家企業や企業集団が出現する未来の世界では、この「企業のブランドイメージ」は今以上に重要になると考えられます。なぜなら、超国家企業や企業集団には多数の企業が寄り集まって合弁事業等の活動をしているのですが、彼らを一つの組織にまとめる求心力となっているのは究極的には超国家企業や企業集団の持つブランドイメージだからです。(超国家企業というにはささやかな存在ですが)コンピュータ会社のDELLを例にとって考えてみましょう。DELLは多数の独立したコンピュータ部品関連会社を一つのチームにまとめ上げて製品の開発・生産を行っていますが、企業達がDELLの元に集まってくるのはDELLが優秀な技術だけでなく強力なブランド力を持っているからです。超国家企業や企業集団も基本的にDELLと同じようなものです。ここでもし、例えばNGO達によってブランドイメージを下げるようなスキャンダルが流されればどうなるでしょうか?商品が売れなくなるだけでなく、他の企業との提携もうまくいかなくなり超国家企業の活動は大きなダメージを受けるでしょう。このように、スキャンダル攻撃は特に超国家企業に対しては有効な制裁手段になり得ます。超国家企業達とNGO達が交わす協定が法としての正統性を獲得していない段階では、もっぱらこういったスキャンダル攻撃が違反者を罰し協定を守らせる手段として使われるでしょう。
しかしここで一つ問題があります。そうなると国民国家の立場は一体どうなるのか、ということです。私達の世界では法を定めて守らせる権利と権威を持っているのは国民国家だけです。ところが珍社会理論で想定している世界ではNGOと超国家企業が勝手に「私法」を作ってメンバーに守らせようとしているのです。しかも超国家企業や企業集団の活動を国民国家や国連のような従来型の国際機関は既にコントロールできなくなっている。(詳しくは「2−3 メガ・カルテルの形成」を参照して下さい)
そのため彼らは超国家企業とNGOが形成する企業集団に対して何らかの対応を迫られることになります。
もし世界規模の国民国家をつくる事ができれば問題は簡単に解決できるでしょう。世界規模の公正取引委員会や警察が超国家企業と企業集団を解体してしまえばいい。しかし世界規模の国民国家ができることは原理的に見てあり得ないと私は考えていますので(理由は「2−1 企業の強大化について」を参照の事)、珍社会理論では国民国家達は別の対応策を採るということにしています。否応なく彼らは何らかの形で超国家企業とNGOがやる協定作りに関与せざるを得なくなるでしょう。具体的には、超国家企業やNGOと(多分、彼らの作った協定をもとに)「憲法」のようなものを作った上で、国民国家達の作る代表者会議が「憲法」に反する協定の作成を拒否して再審議を要求したり憲法や協定に違反する者を取り締まったりする、という形になるでしょう(代表者会議は国連総会がそのまま流用されるかもしれない)。ここで重要なのは「代表者会議」が違憲立法審査権を発動したり違法行為を裁いて罰したりする最高裁判所のような機能を持つようになる、ということです。珍社会理論ではこれを「企業国家における司法の形成」であるとしています。
とはいえ、「司法の形成」とは言っても私達の国民国家の司法とまるっきり同じものが生まれるわけではありません。企業国家形成時における「司法」の特徴を挙げると次のようなものになります。
・ 国民国家達が作る「代表者会議」は純粋な司法機関ではない。国連総会のように国民国家達だけで独自に国際条約を作ったりもしている。
・ (NGOと超国家企業による)企業集団の「協定」が必ずしも国民国家内で守られるとは限らない。「協定の遵守と違反者の取り締まり」はあくまで個々の国民国家の都合による。
・ 「代表者会議」ができても国境が消えてなくなるわけではないし、「代表者会議」に加わった国民国家達が公式に主権を放棄するわけでもない。
・ にもかかわらず、主にグローバルな経済活動に関して国民国家達が部分的に主権を放棄せざるを得なくなるような事態が生じる。各国が共同して協定を守らないと超国家企業の暴走を抑えられなくなるからである。
・ 国民国家達が協定の作成に関与することで、企業集団の協定は少なくとも私達の世界における国際条約と同等の正統性を持つようになる。
以上が、私が珍社会理論の中で想定してみた「企業国家の立法と司法の形成」です。もし未来の世界において企業国家が形成されるとしたら、立法や司法の諸制度は最初非公式な慣習から始まりやがて政治制度としての正統性を実力で獲得していくのではないでしょうか。
5−3 政党の形成
(私の考えた)様々なバリエーションがあるとはいえ、企業国家の議会は基本的に次のような仕組みになっています。
・ 超国家企業のような「生産者」の代表である上院とNGOなどの「消費者」の代表である下院に分かれている。
・ 上院下院それぞれに政党が存在する。
・ 大抵の場合、下院の政党は国民国家の政党に似たものになる。
・ 上院の政党は国民国家の政党と大きく異なっている。上院の政党とはつまるところ経団連のような巨大企業グループの管理団体であり、上院議員は例えるなら経団連の役員のようなものである。(企業国家のある世界では、上院の「政党」はしばしば彼らが管理する企業グループ全体を指す用語として使われる)
・ 上院と下院の議決が対立した場合、下院の議決が優越する。
なぜこのような仕組みになっているのでしょうか?それは一つには個々の超国家企業が利潤を追求するあまり秩序破壊に走るのを防ぐためであり、もう一つは超国家企業同士の競争を実現させるためでもあるのです。
もし未来において企業国家が形成されるとしたら、その世界の人間は一つの大きな問題に直面するでしょう。それは、「どうやってメガ・カルテルを形成した超国家企業達に公正な競争をやらせるのか」ということです。普通ならとても無理としか思えないかもしれません。そもそも私達の世界ではカルテルは競争を阻害するものであるとされていますし、企業集団のようなメガ・カルテルを解体する世界規模の国民国家もその世界には存在しないからです。(世界規模の国民国家が存在可能なら、もしくは国連や国民国家達が有効な手を打てるのなら、超国家企業や企業集団は最初から存在し得ない)
しかし解決法がないわけではありません。「複数の経済組織が一つの大きな組織の中で『経済政策』を巡って争いを繰り広げる仕組み」を作ればよいのです。具体的には
「企業集団全体の運営方針や法律(協定)、超国家企業達がやる大規模な事業等の企業国家議会で話し合われる案件は、企業集団のメンバーによる選挙で選ばれた役員(議員)達が多数決で決める。上院の議席配分は各経済団体の経済規模に比例するようにする。」
というものになります。これは民主国家の政治システムを企業集団内に取り入れたものです。民主政治はそもそも政治的な考えの異なるグループ同士が対立を繰り返すことで機能する政治システムです。少なくとも複数の政治グループが対立を繰り広げている間はたった一つの政治勢力や独裁者に全てが思いのままに支配される事はありません。これと同様に複数の経済組織が政治的に対立を繰り返す仕組みを作れば、たった一つの経済勢力に経済の全てが支配される事はなく、結果的に異なる経済勢力に属する超国家企業同士の間に競争が発生するでしょう。
さらに、企業国家の議会には上院の比較第一党となる経済団体が好き勝手やりたい放題しないように牽制する勢力がいます。それがNGO等の代表である下院なのです。
生産者の代表である上院で決議されたことは消費者の代表である下院の承認を受けなければなりません(この部分は「お客様は神様です」を反映している)。仮に上院の第一党が無理やり案件を決議したとしても下院が確実にその決議を拒否するため(例えば企業が「○○の規格は今日からこれだ!」と一方的に決めたら消費者が「フザけるな!」とはねつけるのと同じ構図)、上院の第一党は上院での審議や下院への案件の説明を入念に行わなければなりません。また、上院で劣勢な経済団体も下院の支持さえ取り付ければ決議で一発逆転が可能なため(上下院の決議が対立する時は下院の決議が優先する)、必ずしも強者である上院第一党に擦り寄る必要はなくなります(たまに下院の支持を頼んだグループが自分の属する経済団体から離脱したりする)。しかしそれでも上院第一党になった方が自分達のやりたい事ができる確立が高くなるため、上院の経済団体達(企業国家の世界では「政党」と呼ぶ)はライバル団体の企業を引き抜いたり経済成長に勤しんだりして第一党の地位を巡って争います。このように「勢力の均衡」を駆使することで企業国家のシステムは超国家企業同士の競争を実現させるのです。(※因みに企業国家内で一企業ないし一経済団体による独占が起こる可能性は民主国家で一党独裁体制が起こる確立と同程度であると私は考えています。)
それでは、こういった仕組みは(珍社会理論で想定した世界で)どのようにして形成されるのでしょうか?先述したような企業国家のシステムは一見複雑なように見えますが、その形成はそれ程難しい事ではないと私は考えています。なぜなら、この一連のシステムは私達の現実世界の商慣行をそのまま制度化したものだからです。
私達の世界では、情報家電のような新分野の規格制定といった特に大規模な事業を巡って多数の企業達の離合集散が繰り広げられています。そしてこういったグローバル企業の争いは、最初から最後まで企業主導で行われ、各企業グループの政治力によって決着する側面が強くなってきています。しかしそんな彼らでも消費者の意見は無視できません。「消費者代表」のNGOが強大化するであろう未来の世界ではなおさら無視できなくなるでしょう。こういった諸事情を政治制度化すれば、自然に先述したような企業国家のシステムが出来上がります。
「複数の経済団体が一つの組織に同居する」という企業国家の仕組みの形成自体は、異なる企業集団に属するNGO同士が手を結んで企業集団を合併させればそれで完了です。合併した各々の企業集団の企業達はそのまま「企業国家の政党」に変身します。身も蓋もないようですが、国民国家同士の合併と比べれば企業集団同士の合併は遥かに容易なはずです。なぜなら、国民国家同士の合併は両国の国民の合意を得るか一方が他方を軍事占領する必要がありますが、企業集団同士の合併は企業の合併のように(NGO、超国家企業といった)組織のトップ・エリート達の合意さえ得られればすぐできるからです。企業集団のトップ・エリートの数は国民国家の国民の数とは比べ物にならない程少人数ですので、合併の合意形成は遥かに容易でしょう。
このように「慣習が政治制度化し、その制度が特定の団体・個人の政治手腕によってさらに形を整える」という過程を経て、「企業国家の政党政治システム」は形成されていくと私は考えています。
5−4 イデオロギー・保障システムの形成
これまでの稿では企業国家が形成される時代の事について話をしてきましたが、ここではさらにその先の企業国家という政治形態が確立した時代の事についても言及します。
グローバリゼーションの進展で企業が強大化した結果企業国家は生まれたのですが、では企業国家という政治形態が長期にわたって存続するのに必要な条件は何なのでしょうか?
これを考える際に重要なのは、「企業国家の存続(と繁栄)を望む者は比較的限られる」という事です。5−1から5−3にかけて私は企業国家の諸制度の形成にNGOが大きな役割を果たすと書きましたが、実はNGO達は企業国家という組織そのものの存続には殆ど関心がないのです。
これまで書いてきた通り、企業国家の諸制度は国民国家達の手に負えない程強大化したグローバル企業に対して、NGOや国民国家が言わば「闘争」を挑む過程で形成されていったものです。しかしそれらの制度の目的はあくまでも「超国家企業達が暴走しないように牽制する」事であって、「超国家企業達をNGOや国民国家が支配する」事ではありません。超国家企業達を支配できるような世界政府をNGO達が主体となって作るのは無理な話だったのです。確かにNGO達はグローバルな組織を作る事ができたのですが、彼らの組織は国民国家達に命令しコントロールする力を超国家企業程には持っていませんでした。ししかし一方で超国家企業に対しては消費者としてある程度の影響力を行使できたので、それを利用して実際に国民国家達をコントロールする力を持つ超国家企業達の組織(企業集団)にぶら下がるような政治体制を彼らは作り上げました。そういった形でなければNGO達は世界に対して影響力を行使する事ができなかったのです。
したがって、企業国家の「主役」はあくまでも超国家企業達であってNGOや国民国家ではないとしなければなりません。実のところNGOや国民国家達は「必要に迫られて企業国家という仕組みを作らざるを得なかった」のであり、「もし可能なら企業国家はない方がいい」と考えています。企業国家のある世界では、企業国家を主導しその存続と発展を望むのはほとんどの場合超国家企業だけと言っても過言ではないのです。
このような状況の元で「企業国家が長期にわたって存続するのに必要な条件」を考えると、彼らが存続するためには
・ 国家組織の存在自体を正当化するイデオロギー
・ 国家の構成メンバーに対する何らかの保障システム
の2つが必要とされるのではないでしょうか。珍社会理論では、
「イデオロギーと保障システムは企業国家が初めて形成された時代には甚だ不十分なものでしかなかったが、時代が下るにつれて整備されていった」
ということにしています。
現時点で私が考えた企業国家の「国家モデル」にはいくつかの種類があるのですが、それらを時系列順に分類すると次のようになります。
@ 原始企業国家;企業国家という政治形態が形成される時代に生まれた企業国家
A 進化版企業国家;企業国家という政治形態が確立した後の時代に生まれる企業国家
原始企業国家の場合、イデオロギーや保障システムはいたって単純(というかいい加減)なものです。イデオロギーは例えば「国家による規制は少なければ少ない程良い」という新自由主義が変化した「グローバルな経済活動はあくまでも市場の構成員である企業達自身によって管理されるべきである」というようなものになるかもしれません。また、保障システムの方はと言うと、「一般の人々に対する福祉制度は国民国家に丸投げし、商売になる範囲で人々の生活の面倒を見る。それ以外はNGO・NPO・余裕のある企業がボランティア的にやるのみ。」という状態になるでしょう。
しかし進化版企業国家になると、もう少し精緻な仕組みを持つようになります。例えばイデオロギーについては次のようなものを持つかもしれません。
――市場が領土――
「国民国家が領土を独占的に支配(主権を行使)しているのと同様に、企業国家が(自動車市場や介護市場のような)市場を領土として独占的に支配し維持するのは当然である。」
私達の世界ではこういった考えは到底認められないでしょう。「カルテルによる市場の独占」を正当化するものだからです。しかし進化版企業国家のある世界では、この考えはそれ程違和感のある物とは思われないでしょう。「グローバル企業達のカルテルが国家組織に成長」して相当な年月が経っているのですから。このように、企業国家のある世界ではパラダイム・シフト(思想の大転換)が起こるのではないかと珍社会理論では想定しています。
また、保障システムの方はどうなっているのかと言うと、一般の人々に対する福祉制度は相変わらずかなりお粗末なのですが、企業達に対してはベンチャー基金のような各種基金を創設し、中央銀行や共通通貨まで持つようになっているでしょう。(ただし企業国家が共通通貨を発行するようになっても、従来の国民国家達の通過は「地域通貨」としてそのまま残る)
歴史を通して見た場合、「国家の存在を正当化し、その構成員を守る仕組み」において私達の世界の国民国家程よく整った制度を持つ政治組織は他にありません。(中央銀行も共通通貨も広い意味では一種の保障システムと見ることができる)企業国家も時代を下るにつれてこれと類似した仕組みを持つようになっていくと私は考えています。
6.まとめ―今後の展望―
この文章では「(珍社会理論に出てくる)企業国家とは何か」「もし企業国家が形成されるとしたら、どのようなシナリオで形成され得るか」を主要なテーマにしてきました。これを論述するにあたり、おおむね以下のようにして論を展開していきました。
まず「1.経団連と珍社会理論」では企業の集まりなのに政党のような活動をする経団連の例を挙げ、企業が国家や政党のような政治的な存在になりうることを指摘しました。
次に「2.グローバリゼーションと珍社会理論」では「現在のグローバル企業がトップ先進国を除いた国民国家と同程度の経済規模にまで成長し、部分的には国家と政治的に対抗できるまでに強大化している」事実を挙げ、「この傾向が続けば国民国家がグローバル企業をコントロールできなくなる可能性がある」と述べました。その上で「将来、技術的・政治的な要因から超国家企業・企業集団といったグローバル企業による世界規模のメガ・カルテルが形成されるかもしれない。その場合、世界の政治的統合はメガ・カルテルを作る企業達が主体となって行われるだろう」という「未来予想」を述べました。
続く「3.企業国家の性質」では企業主導による政治的統合の結果生まれると珍社会理論の中で想定している「企業国家」について、その性質を国民国家と比較しつつ述べました。
1.から3.にかけてはいくつかの事実を提示し分析と想像を付け加えつつ「企業が国より強くなる」という奇妙な世界とそれができる可能性について論じてきたのですが、それらを踏まえた上で以降の「4.企業国家形成前夜」「5.企業国家の形成」では私が珍社会理論の中で想定している「企業国家とその諸制度形成のシナリオ」を書きました。(それらの中では「グローバル企業・NGO・国民国家という三者の抗争が企業国家の諸制度を形作っていく」としています。)
以上がこの文章の概要です。
今後の課題としては次のようなものを考えています。
・ この文章ではNGOのグローバルな連帯がインターネットを通じて為されるとしている。しかしこういった「珍社会理論における想定」にリアリティを持たせるには、「インターネットは将来も自由な空間であり続けるのか?(大企業によって分割支配されるようなことにならないか?)」という事について考察する必要がある。
・ 企業国家ができることで企業の職場風景がどうなるかについて考える。
・ この文章で書いたのは珍社会理論の一部なので、残りの部分も書く。(珍社会理論は「企業国家の制度と特性」「企業国家形成のシナリオ」「企業国家の具体例」の3つから成っていて、今回書いたのは「企業国家形成のシナリオ」の部分。)
最後にこの文章をホームページに載せることを快諾して下さったTAKAさんにお礼を申し上げます。
―――2004年1月18日 中原貴明
参考文献
ノリーナ・ハーツ『巨大企業が民主主義を滅ぼす』(早川書房、2003年)
カレル・ヴァン・ウォルフレン『アメリカを幸福にし世界を不幸にする不条理な仕組み』(ダイヤモンド社、2000年)
カレル・ヴァン・ウォルフレン『ウォルフレン教授のやさしい日本経済』(ダイヤモンド社、2002年)
カレル・ヴァン・ウォルフレン『日本/権力構造の謎』上下巻(ハヤカワ文庫、1994年)
野口悠紀雄『新版 1940年体制』(東洋経済、2002年)
伊豫谷登士翁『グローバリゼーションとは何か』(平凡社新書、2002年)
小倉充夫・梶田孝道編『国際社会 5 グローバル化と社会変動』(東京大学出版会、2002年)
J.M.ロバーツ『[図説]世界の歴史6 近代ヨーロッパ文明の成立』(創元社、2003年)
足立啓二『専制国家史論――中国史から世界史へ』(柏書房、1998年)
歴史学研究会『国民国家を問う』(青木書店、1994年)
岩井克人『会社はこれからどうなるのか』(平凡社、2003年)
川井健男『ドラッカー的未来社会を読む』(宝島社新書、2002年)
加藤秀治郎『はじめて学ぶ政治学』(実務教育出版、1994年)
経団連ホームページhttp://www.keidanren.or.jp/indexj.html
グローバル・コンパクトホームページhttp://www.unic.or.jp/globalcomp/
以上が、YAHOO掲示板投稿や私のHPで”booooonbbb”のHNでお馴染みの、中原貴明さんの力作であります。
率直に言って、私は彼の作品の中身の濃さに驚きました。また誤字脱字の少なさとその文章の無駄のなさにも感動しました。ぶ〜んさんは、かねてより私が感じていた通りの真面目で有能な方だと再認識した思いです。
ぶ〜んさんは、私へのメールで、次のように語っておられました。
「私がやる創作活動としては初めてのものなので、文章としては不十分かもしれません。率直な批評をお願い致します。なお、HPに掲載される際には、この文章は私が書いたというのを示したいので、私の実名と併せて掲載下さるよう、よろしくお願い申し上げます。」
さらにメールアドレスについても、
「悩んだんですが、アドレスも入れて下さい。ひょっとしたら質問が来るかもしれないので・・」
とのことでしたので、下記致します。
MAIL TO: booooonbbb@yahoo.co.jp
皆さま、是非率直なご感想・ご批評を”booooonbbb”さんこと中原貴明さん宛てお寄せ下さい。
ー2004/1/24 TAKA−
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