the NIKKEI-watcher

Japan Problem/国民の政治意識



参院選が終わって、風吹いて」
小泉純一郎内閣初の国政選挙となった第19回参院通常選挙が29日投票即日開票され、自民、公明、保守の与党3党が参院の過半数を維持し、発足して約3ヵ月、小泉内閣は有権者の信任を受けた。
7月30日の日経新聞朝刊は、当然のことながら選挙一色である。22/23面から、戦い終わったばかりの各党の感想を拾ってみた。
『「改革」に込めた熱い期待の風が列島を駆けた』は、もちろん自民党。
『「小泉旋風、きつい」というのが実感』と険しい表情を浮かべたのは、鳩山由紀夫民主党代表。
『小泉旋風は私にとってマイナスに働いた』と苦しい選挙戦を振り返って扇千景保守党党首。
『小泉人気はかって経験したことのない突風のようだった』と共産党。
『力不足で小泉旋風をはねのけることができませんでした』は、長年守ってきた”指定席”大分選挙区を失った社民党の梶原敬義前議員。
たしかに「風」が吹いた。各党各様に。それはどのような「風」であったのか?日経新聞の顔”社説”と”春秋”、そして第一面芹川洋一政治部長による解説記事の三方向から、その「風」を探ってみよう。


DATE・・・・2001/07/30(M-2)
TITLE ・・・”社説”/信任された「小泉改革」路線の試練
評価 ・・・・C 
Objection!

”社説”は、まず一方的に抵抗勢力の話から始まる。
『抵抗勢力を抑え、景気への目配りをしながら改革を加速させるのは容易なことではない。小泉首相の真価が問われるのはこれからである。』
『自民党のほとんどの候補者も「小泉改革を支える」と訴えて当選を果たした。従って自民党には首相が進めようとしている改革を積極的に支える責任が生じたといえよう。選挙後に手のひらを返したように改革の妨害に回るのは有権者への重大な裏切りである。』
『首相は選挙後直ちに経済財政諮問会議の「骨太方針」に基づく改革の具体化に乗り出す。(省略)自民党の抵抗勢力や官僚の反撃が強まることも予想されるが、有権者の信任を受けた首相は強いリーダーシップで改革を加速させるべきである。』

ここまではまさに「追い風」である。大新聞にこれだけ書かれれば、国民が”純ちゃんコール”にウェイブの「風」を起こしたのも”むべなるかな”という気もする。国民が「風」となって動いた選挙ではあったが、Mass Mediaが「風」を煽った面は、否定し難いのではなかろうか。なぜ”煽った”とはっきり言えるのであろうか?”社説”そのものが、答えを語っている。

首相にとって警戒すべきは自民党の抵抗勢力より景気の動向である。企業業績の悪化、株価の低迷などで景気の先行き懸念が一段と強まっている。改革の加速の一方で景気に対する周到な目配りが求められる。単に「改革なくして成長なし」のスローガンを唱えるだけでは済まない事態になることが憂慮される。』

前半部で、「抵抗勢力」に立ち向かう”正義の味方・月光仮面”的な扱いで小泉首相を持ち上げておいて、なんと突如”敵は抵抗勢力にあらず、景気なり”と言い出した。しかもである、『単に「改革なくして成長なし」のスローガンを唱えるだけでは済まない事態になることが憂慮される』とはいったい何なんだ?
”社説”は、この言葉から始まった。『小泉純一郎内閣は有権者の信任を受けた。』実に重みのある言葉ではないか。選挙は前日29日におこなわれ、最終結果が確定したのは、この”社説”が掲載された当日30日である。『与党が勝利したことで、首相が掲げた改革路線は有権者から信任された』のだ。そして「改革なくして成長なし」は、まさに小泉首相の生命線ともいえるスローガンである。それを”社説”は、『スローガンを唱えるだけでは済まない事態になることが憂慮される』とこう言う。記者はたった今、小泉改革は国民から信任されたのだから、”抵抗勢力”が『改革の妨害に回るのは有権者への重大な裏切りである』といったばかりではないか。そして「小泉改革」を持ち上げるだけ持ち上げておいて、その舌の根の乾かぬ間に、国民がまさに今、信任したばかりの「改革なくして成長なし」のスローガンに対し憂慮を示すとは、ちょっと矛盾してやしませんか?

記者はいう。『秋の臨時国会は改革と景気の兼ね合いが最大の焦点になるのは間違いない。証券税制の改革を急ぐのは当然だろう。補正予算の編成も当然浮上してくるだろう。従来型の公共事業に頼る手法ではもはや通用しない。失業・雇用対策を含めてどういう知恵を出せるのか、政策面で小泉首相の手腕が問われよう。』

記者に、『失業・雇用対策を含めてどういう知恵を出せるのか』という問い掛けがいかにナンセンスであるかということを、じっくり自分自身に問い掛けてもらいたい。参院選を前にして、小泉内閣は約3ヵ月の期間があった。その間、お経の如くに「構造改革」を唱え、国民には「小泉改革」断行のために、「痛み」を分かつ覚悟を求めたりもした。失業・雇用対策等これから知恵を出し始める問題ではなかろう。これまでに出なかった知恵が、参院選後に急に出てくるとも思えない。もっとも与党で安定過半数を制したので、悪知恵の方は出てこないとも限らないとは思うが。

当”社説”全般を通じて受ける印象であるが、”勝ち馬に乗る”というか、現体制、現政権への過度の”擦り寄り”がそこここに目につく。22面で、選挙戦を通じて小泉人気を批判してきた民主党のテレビタレント、大橋巨泉氏のコメントが取り上げられている。『「小泉改革」はますます危ない。』『具体論を言わずインチキだ。だれが一番痛みをこうむるのか触れていない。

「小泉改革」については、”社説”は上述の通り、てんから”正義の使者・月光仮面”扱いであり、抵抗勢力は重大な裏切り者扱いである。選挙前の論議として、「小泉改革」が日本経済の現状においてもっとも望ましい政策であるか否か、すなわち「小泉改革」の内容の検証こそが、選挙に臨む国民の判断への参考という視点においても、Mass Mediaから提供されるべきであった。それが選挙前には、あたかもこれしかないという報じ方で、85%の国民支持率を誇る「小泉改革」に擦り寄って「風」を煽り、選挙の結果が確定した当日には、その煽ったスローガンそのものに憂慮を示して見せる。

22面にはまた、菅直人民主党幹事長の次のような談話が報じられている。
『森(喜朗)さんから小泉さんになり、国民は本格的な政権交代があったかのような手品に引っ掛かった。自民党という汚れたコップの中の水は変わってない。』

私は決して民主党をひいきするつもりはない。ただ日本のMass Mediaの多くは、日本の政治の片翼を支えようかという政党の指導者、有力候補者が既に選挙前に指摘していることを、選挙前にはほとんど無視することによって結果的に小泉旋風をさらに煽る側に回ったといえる。もし彼らが、小泉首相が何度も言ってきたように、「改革」の細部はすべて参院選後に詰めるという理由で「小泉改革」の内容が分かりづずらかったというのであれば、巨泉氏のいう『(小泉首相は)具体論を言わずインチキだ』という批判に反論することはできまい。そして選挙が終われば、「小泉改革」の”危うさ”について憂慮を示してみせるのみならず、”社説”終盤部においては『しかし、(野党は)落胆する必要はない。(省略)政権交代をあきらめて内部分裂を起こすようなことがあってはなるまい。交代が遠のいても野党にはなお重要な役割がある。政権に対する監視と批判という仕事である』と、敗者を持ち上げてみせてもいる。ここに日本のMass Mediaの典型的な二重基準を見る思いがある。

「痛み」について、”社説”はほんの一行述べている。『参院選の政策論争では失業、倒産など改革に伴う「痛み」にどう対応するかが焦点になった。』
ここにもまた”擦り寄り”がみられる。「痛み」について巨泉氏は、『だれが一番痛みをこうむるのか触れていない』といっている。「痛み」に関する国民の主要関心事は、日本をこのような事態にまで追い込んだ政治家・官僚連中の「痛み」は、どこにあるのか?という一点であろう。小泉首相は、これに関してひと言もしゃべっていない。作家の高村薫氏が、「文芸春秋」8月号の特集”国民はいつ目を醒ますのか”の中で、小泉首相は自分に都合の悪い質問に対して多彩なテクニックを弄してまともに答を返さないという、小泉流語法の特徴について語っていて、たいへん興味深かった。同じ「痛み」という言葉であっても、当”社説”の中で使われている「痛み」と、国民のもっとも知りたい「痛み」とは中身が違っているようだ。ここに「痛み」の二重基準がある。
「痛み」については、 Japan Problem/日本の財政赤字/「痛み」を、「二重基準」については、 Japan Problem/Basic Concept/「ダブル・スタンダードの国」を是非ご参照願いたい。

参院選挙の結果、参議院において今後3年間は自民、公明、保守の与党が過半数を維持することとなった。衆議院では、自民党総裁選を無風で乗り切るメドの立った小泉首相は、解散権を行使しない限り最低2年間は自民党総裁兼首相を継続できることとなった。小泉氏自身、自分が森派会長として裏で支えた森喜朗前政権で学んだことは、いったん首相になれば余程のことがない限り首相を続けられるということだそうだ。現政権、現体制への「擦り寄り」の反動かどうかは分からないが、終末を迎えた政権に対しては、実に立派な辛口コメントが”社説”で語られる。私が言いたいのは、是非”社説”は、現政権、現体制に対して辛口のコメントをしていただき、まかり間違っても「擦り寄る」ような書き方は避けていただきたい。 Taka watches/2001/04/19(M-2)/”社説”
衆参両院で過半数を制することとなった現与党は、今後最低2年間は大概の法案を国会で通すことができる。2年後の日本および世界がどうなっているか、まことに興味深いと同時に懸念される。


DATE・・・・2001/07/30(M-1)
TITLE ・・・”春秋”
評価 ・・・・C


さて同日すなわち7月30日付日経新聞朝刊第一面”春秋”に、「痛み」についての記事が載っている。
『既得権に固まった社会構造を立て直すには、すべてを砕く乱暴さがないと不可能というわけだが、改革が深まればわきたった無党派層の「痛み」も表面化する。』
『日本に活力を導く「小泉革命」の持続には、「痛み」を分かち合う社会の共感が欠かせない。』

私には信じられない。記者は、『「痛み」を分かち合う』という文で、誰と誰が「痛み」を分かち合うとイメージしているのであろうか?一方は間違いなく「国民」であろう。さすれば「国民」と「痛み」を分かち合うのは、誰だ?私の知識の範囲内では、「小泉改革」において、「国民」以外に「痛み」をこうむる誰かがいるとは思えない。「痛み」をこうむるということは、学習効果としてたいへん重要なことである。小泉首相は国民に「改革」の「痛み」に耐える覚悟を迫りはしたが、日本経済をここまで深刻な状況にした元凶に対して「痛み」の覚悟を迫る発言をした話は聞かない。「痛み」を分かち合わねばならないほどの深刻な経済状況を生み出した責任を負うべき連中が、「痛み」を分かち合わないとすれば、「小泉改革」の行く末はたかが知れている。
一方で、国民も「痛み」を分かち合わなければならないことも明らかだ。なぜなら民主主義社会においては、意識されているか否かは問わず、国民が選挙を通じて主権を行使していることは疑いないからだ。今回の参院選において、「小泉改革」を信任すると言う「風」を起こしたのも「国民」である。単に”ノリのよさ”だけから「風」を起こしても、最終的にその「風」の引き起こす結果に、「国民」は責任を負わなければならない。責任を負うことが学習効果となり、国民の資質を高めて行くことにつながるのである。
この”「痛み」のないところに学習効果はない”という簡単な原則を、当”春秋”の記者が理解してこの記事を書いたとはとても思えない。


DATE・・・・2001/07/30(M-1)
記者 ・・・・政治部長 芹川洋一
TITLE ・・・改革にかけた民意/猶予の時終わった
評価 ・・・・B


参院選で「風」が吹いた。その「風」を起こした民意について芹川氏が述べている点には、私も同感である。
『参院選であらわれた民意は、ともかく小泉改革にかけてみようという一点ではなかろうか。』
『彼らはこれまでのやり方では、この国はもはや立ち行かなくなっていることを痛切に感じている層だ。その袋小路から何とか抜け出そうという試みを小泉改革とみて、支持した。』
『今回、有権者は55年型の自民党政治を変え、経済も政治も構造改革を進める首相に期待票を投じた。』
彼はいう。『決して自民党そのものへの評価が高まったのではない。(既得権益を守り、利益誘導、利害調整を得意技とする55年型の)自民党政治を否定する小泉純一郎首相が受けたのである。』

芹川氏と私の違いといえば、おそらくそういう国民の感覚そして投票行動に対する解釈の違いといおうか。
国民に小泉首相、小泉政権、小泉改革に投票させた感覚は、たしかに上述のようなものであったに違いないが、自らの投票行動が引き起こすであろう結果について、国民が正しく理解して投票したかどうか、私は疑問に思っている。

芹川氏はいう。『首相への指示はその破壊者への拍手喝采だ。自民党政治を壊そうとしていることが自民党の勝利につながったという逆説である。』またこのような表現もある。『自民党がまた昔の自民党に戻り、抵抗勢力がむくむくと起きだして改革にブレーキをかけようとすれば、自民党に戻った有権者はあっという間に非自民の無党派になってしまうだろう。そこを読み違えると、自民党は次の総選挙で手痛いしっぺ返しを受ける。

芹川氏は、そのような国民の投票行動にまったく疑問を感じていないに違いない。なぜなら、もし少しでもその点に疑問を感じていたとするならば、記事の書き方が違っていたであろうから。
最後の『自民党は次の総選挙で手痛いしっぺ返しを受ける』というこの表現こそ、まさに今回は「風」を起こした国民の率直な気持ちを表した言葉ではないかと感じる。自民党員の大多数の投票によって自民党総裁選で選ばれた小泉首相に対し、自民党政治の破壊者として拍手喝采するというのも、なかなか分かり難い心理ではあるが、上述の「しっぺ返し」と似た類の心理であろう。

私は、このような心理は危険であると感じている。早い話が、過去ほとんどそうであったように、『自民党がまた昔の自民党に戻った』と仮定したらどうであろうか?国民が「しっぺ返し」に非自民の無党派に戻ったとして、そこから何が生まれてくるのであろうか?何も生まれない。ただ貴重な時間を浪費しただけである。”何処まで行ってもいつか来た道”ということになってしまう。いま日本の置かれている経済状況は、そのような時間の浪費を許容できる状態にはないはずだ。米国の株式市場が停滞している主要な要因のひとつに、世界経済を担うべき日本の景気の回復が心許ないどころか先行きさらに不安であるという点があることすら、日本の大部分の関係者に認識がないことも一層日本経済の先行きに危ういものを予想させる。
ひと言ででいえば、自らに与えられた民主政治の主権を行使する選挙という場において、国民は「拍手喝采」とか「しっぺ返し」とかして遊んでいる場合ではないのだ。芹川氏は、国民のねじれた投票心理を描き出すことで、国民の真意を政治家に伝えようとしているのかもしれない。おそらくそうであろう。しかし芹川氏がいうように、『今回、勝者である政党が必ずしも信任されたわけではない。まして、過去の業績が評価されたとは、とてもいいがたい』かもしれないが、政治家にとっては、『選挙は結果がすべてである』はずである。

末尾で芹川氏は『首相主導・内閣主導で骨太の方針をどう具体化し、実行に移していくのか。選挙とともに、猶予のときは終わった』と、この記事を結んでいる。選挙に勝利したことによって、小泉政権および与党は参議院では今後3年間過半数を維持し、小泉首相自身は、解散さえしなければ、無風の自民党総裁選を乗り越え2年後の次の総裁選までの最低2年間は政権を維持する猶予を得た、と解釈するのが正しいのではなかろうか。
”政治家は分かってくれるはずだ”という国民の投票心理。政治家にとっては実は”猶予を得た”にもかかわらず、これを”猶予は終わった”と自分で都合の良いように解釈してしまう記者心理。いずれの心理の奥底にあるものは、他者への”甘え”である。選挙で当選した政治家が、「選挙は結果がすべてではない」などと考えると思いますか?

芹川氏は、1930年(昭和5年)の民政党は浜口雄幸内閣での選挙を引き合いに出し、『もちろん歴史はいつも繰り返すわけではない。小泉改革が浜口内閣と同じ運命をたどるとはいえない。しかし、経済情勢を含め、どこか似ている嫌な感じがするのもまた事実だ』と懸念を示しているようだ。


7月29日、日本列島に「風」が吹いた。しかも、それは「かって経験したことのない突風のようであった」という。
(2001/08/05)

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