the NIKKEI-watcher
Japan Problem/「行政」の責任を問う


「教育基本法」見直し
中間報告素案





首相の私的諮問機関であった「教育改革国民会議」が、一昨年の最終報告で「教育基本法」の見直しの必要性を打ち出し、これを受けて遠山敦子文科相は昨年11月、同相の諮問機関である「中央教育審議会」(中教審:鳥居泰彦会長・前慶応義塾長)に、教育振興基本計画の策定とともに「教育基本法」見直しに関する提言を諮問した。
10月16日の読売新聞朝刊1面が、中教審のまとめた「教育基本法」見直しを提言する中間報告素案の詳細を報じた。
中間報告素案は、昭和22年の制定から半世紀以上改正されなかった「教育基本法」改正の必要性を明確に打ち出し、全面的な見直しに踏み込んだ内容となった。


中教審の中間報告素案の要旨は次のとおり。

教育基本法見直しの必要性
【新しい教育の目標と教育基本法見直しの視点】
【教育基本法見直しによる教育改革の推進】
具体的な見直しの方向
【教育の目的=一条、教育の方針=二条】
【教育の機会均等=三条】
【義務教育=四条】
【男女共学=五条】
【学校教育=六条】
【社会教育=七条】
【政治教育=八条】
【宗教教育=九条】
【教育行政=十条】

それぞれについて中間報告素案の意図を探ってみたい。


まず前文。現行「教育基本法」は、次の前文から始まる。
われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。
われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性豊かな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。
ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。


中間報告素案では、「◆教育基本法見直しの必要性」について、二項目が提言されている。

【新しい教育の目標と教育基本法見直しの視点】
個人の尊厳」「真理と平和」「人格の完成」などの理念は、憲法の精神にのっとった普遍的なものであり、新しい時代の教育の基本的理念として大切にしていく必要がある。

日本国憲法の公布が、昭和21年11月3日。翌22年3月31日に、「教育基本法」は公布された。
前文の「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである」の文言は、新生民主国家日本の骨格を形作る日本国憲法に対する熱い期待と、その理念を実現する手段としての教育に対する真剣な期待とを感じさせる印象的な内容となっている。
次の「われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性豊かな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない」との文言も、中間報告素案に書かれた、「新しい時代の教育の基本的理念として大切にしていく必要がある」との指摘に同感である。なお「人格の完成」との言葉は、現行法の第一条[教育の目的]の中に出てくる言葉である。
また中間報告素案は、「現行憲法を前提として見直す」との原則も明らかにしている。

ただ、ここでちょっと「普遍的な文化」という表現について指摘しておきたい。現行「教育基本法」が、「普遍的な文化の創造」を理念の一角に取り上げた理由は、「独善的な文化」はいけないよ、という意味に違いないと思う。
現在の日本の状況を顧みるに、「日本の常識は、世界の非常識」と言えるほど、国際社会のものの考え方と異なってしまった部分が多々見られることに、私は大きな懸念を感じている。しかも、日本側のものの考え方が正しいのだと信じている日本人も、数多い。
異なる文明の間には、摩擦や不信はつきものであるが、それに押し流されて「独善的な文化」に逃避するのではなく、それを乗り越えて「普遍的にしてしかも個性豊かな文化」を創造して行きたいものだと、「教育基本法」の前文を読み、いまさらながらに痛感した。


「◆教育基本法見直しの必要性」についての、もう一項目は次のとおり。
【教育基本法見直しによる教育改革の推進】
教育基本法の見直し及び関連する諸法令等の改正などの制度的改善と、具体の施策を総合的、体系的に位置づける教育振興基本計画の策定によって、実効性のある教育改革を進めていかなければならない。

中教審による中間報告素案が、「教育基本法」見直しの必要性を提言する理由が、上記文言の中に表れていた。
なぜ、現行「教育基本法」を改正せねばならないのか?それは、現行教育に対する不信感である。現行の「教育基本法」のままで教育改革に取り組んでも、「実効性がない」と考えているのであろう。
現行法には、新しい時代を切り拓くたくましい日本人を育成する観点から、重要な教育の理念や原則が不十分である」と、中間報告素案は説明する。
そして、「公共心や道徳心、郷土や国を愛する心を基本理念に盛り込むことや、教員の使命感や責務、家庭の役割や責任を規定すること」を提言している。


<第一条[教育の目的]>

現行法:
教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。


これに対し、中間報告素案では、次の点が提言された。
〇個性に応じて自己の能力を最大限に伸ばして自己実現を目指す。
〇地球環境の保全が大きな課題となっている今日、自然とともに人は生きていることを理解し感じる力を培う。
世界に生きる日本人としてのアイデンティティーを持つ。郷土や国の伝統、文化を正しく理解し、尊重することが重要。
新たな公共」の創造に主体的に貢献する意識が重要。社会の一員としての使命、役割を自覚し、自らを律して、その役割を実践することが求められる。


新しい時代を切り拓くたくましい日本人」の育成の観点から、まず個人の能力の伸長、創造性の涵養、個人の自己実現、努力や向上心などの提言があるのはもっともだ。
そして今の時代、グローバル化の進展する国際社会の一員として、一人びとりが地球環境保全の意識を持つべきであることも言を待たない。
と同時に、中間報告素案は、国際社会に生きる上で、伝統・文化を尊重し、郷土や国を愛する心を持つ日本人としてのアイデンティティーを重視する視点を打ち出した。「自国の価値を一層高めようとする心がけこそが、真の愛国心」であると位置づける。私は、素案の「世界に生きる日本人としてのアイデンティティーを持つ。郷土や国の伝統、文化を正しく理解し、尊重することが重要」との文言の中に、二カ所気になる部分があった。

一つは、「世界に生きる日本人」という言い方である。日本はアジア大陸東端の島国であり、世界でも数少ない単一民族国家である。日本にいれば、日本=日本人という図式が当然の如くに思われる。ヨーロッパの国々はどうであろうか?イギリスには、様々な国籍の人々が移住して生活している。イギリス人といっても、スコティッシュやウェルシュもいる。英国=英国人といった図式が成り立たないのが、国際社会の中の大半の国々の実情なのである。
日本=日本人という国際社会においては特殊な図式が成り立つ。だからこそ、「世界に生きる日本人」は、日本の「伝統・文化を正しく理解し、尊重することが重要」らしい。イギリスに移住した中国人は、たとえイギリスの国籍を取得しても、中国人としてのプライドと文化を大事にしているに決まっている。日本に移住してきた中国人だって、同様だ。

さらによく理解できないことは、「伝統・文化を正しく理解し」の”正しく”の意味である。実に”奇妙な”言葉だ。
どなたか、「伝統・文化」を、どうやったら「正しく」理解できて、逆に「正しくない理解」とは、どのような理解なのか教えていただけるであろうか?私はこの文章から、日本をますます世界の中の特殊な国家・国民にしてしまいそうな、独善的で傲慢な印象を受けてしまう。ちょっと極論ではあるが。

10月19日の朝日新聞”天声人語”が、中教審の中間報告素案が取り上げた「愛国心」について、次のように書いていた。
『拉致被害者が帰郷した場面をテレビなどで見ていて、その率直な感情表現に心打たれた。押さえていた望郷の念が一気に溢れ出たようだ。「愛郷心」というのか、この感情はごく自然なものだろう。法律で説かれるまでもなく。
北朝鮮では、被害者らは皆あちら流の「愛国教育」を受けたのではないか。そして故郷を思う気持ちをいったん心の奥深く閉じ込める必要があったかもしれない。しかし、とうてい消し去ることはできなかった。』


そしておそらく、中教審による「教育基本法」見直しの最大の目的と推測される、「新たな公共」と称する次の提言があった。
新たな公共”の創造に主体的に貢献する意識が重要。社会の一員としての使命、役割を自覚し、自らを律して、その役割を実践することが求められる。
難しい文章だ。だいたい「新たな公共」がわからない。その「創造」となると、さらにわからない。「主体的に貢献する」も、「主体的」をどのような意図で使っているのか、わからない。「社会の一員としての」これはわかる、バカじゃないんだから。その「使命、役割を自覚して」わからね〜。リーマンだったら、どうせ〜っていうの?リーマンの「使命、役割」って何なの?「自らを律して」だと?どう「律しろ」ってんだ?おまえら、共産主義者か?(共産党の人、ごめんなさい)。「その役割を実践することが求められる」だからさ〜、リーマンはどうしろって言うの?・・・まさか、文句を言わずに税金だけ払ってりゃいい、ってことか?

素案は、『「公」に関する国民共通の規範の再構築』、あるいは『国や社会など「公」に主体的に参画する意識や態度を養うこと』と説明する。
17日の読売新聞朝刊2面は、こう解説している。『「新たな公共」の概念は、長く議論されてきたのバランスの問題に対し、中教審として一つの答えを出したものと言える。現行法は「個」の尊厳に重きを置くあまり、戦後教育では「公」の意識が育たなかったとの指摘がある。こうした経緯を踏まえ、素案では近年の少年犯罪の凶悪化やいじめの問題に対応するため、改めて規範意識の大切さを強調。一歩進んで、積極的に社会を形成する一員としての意識を教育していくべきだとした。』

私流に解釈させていただければ、やはりこれは、の問題なんでしょう。現行法の第一条[教育の目的]に書かれている内容、すなわち,
「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」
は、現代においてもまったく問題があるとは思えない。問題は、現代の為政者側にとって、少しに重点が置かれ過ぎているということではなかろうか?
だから、中教審の中間報告素案なるものは、「新たな公共」とか「日本人のアイデンティティー」という新奇な概念を持ち込んで、に強く重点の置かれた改正「教育基本法」を作ろうとする試みに手を貸すものではなかろうか?

新たな公共」の概念の導入にあたって、「近年の少年犯罪の凶悪化やいじめの問題に対応するため」との理由を取り上げている。おかしな理由だ。北朝鮮の金正日の言いそうな論理だ。
私は、どう考えたって、この「近年の少年犯罪の凶悪化やいじめの問題」の原因は、無責任でモラルの欠如した政治家・官僚の行動が子供社会の中に反映した結果であると、了解している。文句あっか?
火事場ドロのような恥知らずな政治家・官僚連中は、自分たちの無責任とモラルの欠如からその反映として日本の子供社会に少年犯罪の凶悪化やいじめの問題を引き起こしておいて、それを自分たちの既得権力体制をより強化するために、中教審を通じてにより重点を置いた「教育基本法」改正中間報告素案を提出する理由にするという。

はもう十分強力なんでないの?もうすでにかなり国家社会主義体制ができあがっているんでないの?これ以上を強くしてどうすんの?日本国民を、どうしたいわけ?北朝鮮のようにしたいの?

<第二条[教育の方針]>

現行法:
教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献するよう努めなければならない。


中間報告素案:
〇自発的意思により、生涯のいつでも、どこでも、自由に学習機会を選択して学ぶことができる「生涯学習」社会の実現。
〇時代の変化や社会を取り巻く環境の変化に対応できる能力を身につける。
〇学校教育で的確な職業観の育成を図り、キャリア教育の充実に努める。

<第三条[教育の機会均等]>

現行法:

すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会をあたえられなければならないものであって、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。
A国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学困難な者に対して、奨学の方法を講じなければならない。

中間報告素案:
○「教育を受ける権利」に改めるなどの意見があり、引き続き検討。

<第四条[義務教育]>

現行法:
国民は、その保護する子女に、9年の普通教育を受けさせる義務を負う。
A国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料は、これを徴収しない。

中間報告素案:
○制度の弾力化は「学校教育法」などの見直しで対応。

<第五条[男女共学]>

現行法:
男女は、互いに尊重し、協力し合わねばならないものであって、教育上男女の共学は、認められなければならない。

中間報告素案:
○男女共同参画社会の実現や男女平等の促進に寄与するという新しい視点から、基本理念として規定する。

<第六条[学校教育]>

現行法:
法律に定める学校は、公の性質をもつものであって、国又は地方公共団体の外、法律に定める法人のみが、これを設置することができる。
A法律に定める学校の教員は、全体の奉仕者であって、自己の使命を自覚し、その職責の遂行に努めなければならない。このためには、教員の身分は、尊重され、その待遇の適正が、期せられなければならない。

中間報告素案:
○具体的な学校の役割として何を規定すべきか引き続き検討。
○教員の指導力不足が問題である。教員の使命感、責務、資質の向上、研修の重要性について規定する。

<第七条[社会教育]>

現行法:
家庭教育及び勤労の場所その他社会において行われる教育は、国及び地方公共団体によって奨励されねばならない。
A国及び地方公共団体は、図書館、博物館、公民館等の施設の設置、学校の施設の利用その他適当な方法によって教育の目的の実現に努めなければならない。

中間報告素案:
過干渉過保護や児童虐待などの問題に絡んで、家庭の果たすべき役割や責任について新たに規定する。
○地域での教育を支援するため学習機会等の充実を図る。
○学校・家庭・地域社会が連携・協力して子どもの健全育成に取り組む重要性を踏まえ、連携・協力等について規定する。

現行法で言及がない「地域社会」を巻き込んで、学校、家庭、地域社会三者の新たな連携・協力などの規定を提言するものである。
いかなる形での連携・協力を想定しているのかわからないので、何とも言えない部分はあるが、「地域社会」を巻き込むとなると、これは一種の隣(となり)組監視体制につながりかねない懸念が残る。
近隣社会では、「善意」のお付き合いだけで十分ではないか?なぜ法でまで言及する必要性があるのか?
私は、「民」に対する「官」の過保護に対する過干渉と感じる。これまた北朝鮮に一歩近づく道程のような気がしてくる。半分冗談、半分本気で。国民に対するこれ以上の過保護過干渉虐待は勘弁してよ!

<第八条[政治教育]>

現行法:
良識ある公民たるに必要な政治的教養は、教育上これを尊重しなければならない。
A法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。

中間報告素案:
○教育の政治的中立を確保することは今後も重要。
○国家、社会の形成に主体的にかかわり、諸問題の解決にかかわっていく態度を育成する。
こういう意味の主体性であれば、賛同する。

<第九条[宗教教育]>

現行法:
宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない。
A国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない。

中間報告素案:
異文化理解や宗教に関する知識が必要、道徳教育を行う上で必要、あるいは反社会的な狂信的宗教集団「カルト」からいかに自らを守るかといった意見があったが、憲法の規定する信教の自由や政教分離の原則に十分留意しながら引き続き検討する。

<第十条[教育行政]>

現行法:
教育は、不当な支配に属することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。
A教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備擁立を目標として行われなければならない。

中間報告素案:
○国、地方公共団体の責務を含め教育行政の基本的な在り方を示す。
○教育基本法の理念・基本原則を実現する手段として、教育振興基本計画の根拠となる規定を置く。


<第十一条[補則]>  省略


以上、中教審がまとめた「教育基本法」見直しに関する中間報告素案の内容について述べてきたが、何度も言うが、私にとっては、からへの力点移動がどうにも鼻につく内容に感じられた。
この素案の今後は、どのような経緯を辿るのであろうか?


<「教育基本法」見直し中間報告素案の流れ>

10月16日、中教審の「教育基本法」見直し中間報告素案の内容が報道された。
翌17日、中教審基本問題部会の会合が開かれ、中間報告素案について意見が交わされた。
今後、議論を重ね、10月末までに素案の内容に沿った線で、中間報告をまとめる。
11月30日、12月7日、14日の三回、国民から中間報告に対する意見を聴く公聴会「一日中教審」を開催する。
年内に、中教審としての「教育基本法改正案」を遠山文科相へ答申する。
政府・与党は、来年の通常国会へ、「教育基本法改正案」を提出する。

おそらく、通常国会会期内で、可決成立するものと思われる。


私は、「三つの宣言」を主張する。

第一宣言:今後、如何なる形をとろうが、税金の無駄遣いを一切しない。
第二宣言:悪いこと、間違ったことをした人には、相応の責任をとっていただく。
第三宣言:日本の主役は、政治家でも官僚でもなく、国民である。


当然のことながら、私は、上記「三つの宣言」こそ「教育基本法」にて強調されるべきポイントであると考えている。
中教審の中間報告素案の中には、なぜ、「税金の無駄遣い」の話や、「責任」の話や、「国民が主役」だという話が出てこないのか?
「新たな公共」とか、「日本のアイデンティティー」とか、「愛国心・愛郷心」とか、いまこの重大な危機の中にある日本にとって、間が抜けた気の抜けたとぼけた題材を取り上げるヒマがあったら、なぜ、「税金の無駄遣い」や「責任」や「国民が主役」だという提言をしないのか?
子供たちの教育に、
「いま国は大変な金額の財政赤字を抱えていて、だから政府や行政は、国民の血税を無駄に使ってはいけないんだよ」とか、
「責任ある立場にある人は、もし悪いことをしたり間違ったことをしたりすれば、相応の責任をとらなくてはならないんだよ。だからそういうときに、責任がとれないような人は、責任ある立場に就くべきではないんだよ」とか、
「憲法第一条に国民主権が取り上げられているように、日本の主役は国民であって、決して表舞台に登場してくる政治家や官僚が主役ではないんだよ。彼らは国民のために働かなくてはいけないんだよ」
と教えることは、彼らが日本の将来を担うことを考慮すれば、どれほど重要なことか明白であろう。

逆に、違うことに子供たちの教育の力点を置き、その力点のポイントが日本のいまある危機を脱するために何の効力もないとなると、その子供たちと日本の将来の展望は、悲惨なものとしかなり得ないであろう。
特に、中間報告素案が狙っているからへとか、「日本のアイデンティティー」とか、「国の伝統・文化」や「愛国心・愛郷心」の押し付けとか、地域社会を巻き込んだ「学校・家庭・地域社会三者の連携・協力」とかは、明らかに私の「第三宣言」のテーマと相反するものである。
すでに、近年の少年犯罪の凶悪化やいじめの問題の原因は、政治家や官僚の無責任とモラルの欠如にあると指摘をしたが、私はここで声を大にして、中間報告素案が「責任」の問題をどう扱っているのかを問い掛けたい。
国民の税金から4千億円超の無駄な支出を強いた狂牛病問題で、居座ることが責任をとることだと嘯(うそぶ)く政治家や官僚が、民間会社の責任者に対して「責任をとれ」と発言するこのマヌケさ。これを何とかしてくれ!
政治家や官僚って、そんなに偉いのか?「悪いこと、間違ったことをした人が、相応の責任をとらなくて済む」社会とは?
そのことだけで社会のモラルが地に落ち、それが子供社会に反映して「近年の少年犯罪の凶悪化やいじめの問題」につながっていくのは当然だと考える。
それをまた火事場ドロのように利用して、自分たち「官」あるいは「公」の権力の増大に結び付けようとする輩(ヤカラ)が、政治家・官僚だ。
そのお先棒を担ぐのが中教審で、その会長が前慶応義塾長だという。最近そこここに慶応義塾出身者が登場する気がするのは、私の気のせいか?


最後に、ヤフー「政治」掲示板への私の最新投稿をご覧になっていただきたい。(一部修正あり)
ルベッコさん
投稿者: メッセージを送信
comtaka1
2002/10/18
お久し振りです。
ほんとに官僚王国・公務員天国は大きな問題だと思います。
本日発売の週刊新潮に、最近の裁判の仰天判決がトピックで取り上げられていましたが、私もまったく同感です。
行政に携わる検察官のみならず、司法に従事する裁判官までが、公務員天国の非常識振りを発揮する昨今の社会を見て、私は、現代日本の真の戦いは、「市民」対「官僚・公務員」の戦争ではなかろうかと感じ始めています。
官僚・公務員を擁護する小泉首相とその65%程度の支持者達こそが、我われ市民の真の敵であり抵抗勢力ではないでしょうか?
(省略)


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