![]()
Japan Problem/「行政」の責任を問う
官僚王国シリーズ(その1)
「猿でも反省できる」
ー官僚の辞書に”反省”という言葉はないー
DATE・・・・2002/03/29(M-1)
TITLE ・・・”春秋”
評価 ・・・・C
”春秋”は、”社説”に次ぐ日経新聞の顔である。
3月29日付の”春秋”が、国民の「かゆいところ」に手が届くかな、と多少期待を持たせる出だしの記事を掲載した。
『政治家は、追い詰められればとりあえず反省を口にするのに対し、官僚はめったに詫びたり謝ったりはしない。』
国民は、心の中でかなりの程度、腹に据えかねていると思う。
しかし、国民に何ができるであろう?
日本国憲法の下において、日本の主権者であり、主役であるべき存在は、国民である。
にもかかわらず、民主主義国家においては本来、公僕として主権者たる国民に奉仕するべき官僚は、日本では未だに戦前の大日本帝国憲法時代の、国民を「臣民」と見下す時代錯誤から抜け切れていないのが、日本の現状ではあるまいか。
国民がなぜ、官僚に対して腹に据えかねているかというと、彼らが過ちを繰り返すからである。
さらに官僚は、自分らが犯した過ちに対して、国民に謝罪するどころか、責任をとろうともしないからである。
”春秋”の記者が、彼らが犯した最近の過ちの例を取り上げている。
『対ロ外交で鈴木宗男氏に振り回され、国益を損なったとみられるのに、外務官僚は誰も責任を口にせず、明白な社会的処分も受けていない。鈴木氏との関係を「あってはならないこと」と国民に詫びたのは、川口順子外相である。』
『この4月から実施される新学習指導要領は、教科の内容を減らし、授業時間を削る。児童生徒の学力低下を招くという批判が高まるや、宿題や補習を増やすという遠山敦子文科相のアピールによって、直前に軌道修正をはかった。学力低下につながる失政について、官僚に反省の弁はない。』
『BSE(狂牛病)で武部勤農相の進退問題が浮上している。この間の対応で大臣の責任は重いが、BSE問題で最大の失政は、1996年に肉骨粉を法的に禁止しなかったこととされる。その失政の当事者が、先ごろ円満退職した熊沢英昭前農水事務次官。』
![]()
日本の行政、それはまさに、
「責任は、果たさず、執(と)らず、省みず」
ではないか。
ここで我われ国民は、もう一段深く考える必要がある。
なぜ、行政は「責任を果たさない」のか、という理由である。
行政が「責任を果たさない」最大の理由は、故意の作為・不作為に対する責任か、単純な間違いによる過失責任かは別として、いずれであろうと、責任者である官僚が、たとえ責任を果たさずとも、責任をとらなくて済むという、不可思議なる現実にある。
責任をとらなくても済むから、官僚は、責任を果たす強い意思に欠けている。
官僚がなにか行政上の重大な決定を下すとき、彼のその決定により、彼に引き起こされる事態に責任を負わねばならない状況と、責任を負う必要がない状況とを対比すれば、その決定に至る官僚の集中度合いに、自ずと相違が生じることは明白である。
また責任者である官僚が責任を負う必要がなければ、結果が生じた後の行政による「なぜそのようなことになったのか」「どこに間違いがあったのか」などと反省することすら不要となる。省みなければ、同じ過ちが何度でも引き起こされ、国民に甚大な損失を何度でも与える結果となる。
ざっと記憶にあるだけでも、「水俣病」「エイズ」「ヤコブ病」「ハンセン病」そして「狂牛病」と、同じようなパターンで何度でも同じ過ちが繰り返される日本の行政の背景に、「責任者である官僚が、責任を問われなかった」という現実があることを抜きにしては理解できない。
![]()
記者は、狂牛病対策失政の熊沢前次官を例に引き、
『族議員に守られた官僚が責任を逃れ、大臣だけがトカゲのしっぽのように切られる図式は許されない』
という文章で、記事を締めくくっている。
ここに、私がこの記事の評価を”C”とした理由がある。
上述したように、記者は、外務省の対ロ外交、文科省の新学習指導要領、農水省の狂牛病対策の三例を挙げて、「反省」をしない官僚の事例を取り上げた。
それらはすべて、小泉内閣における話である。
ならば、この”春秋”の記事に、小泉首相の文字が一度たりとも現れないのはなぜであろうか?
おかしいじゃないですか。
大臣を任命したのも小泉首相であり、閣僚を集めた閣議を主宰するのも小泉首相である。
「私はいつも、一内閣一閣僚と言ってるでしょう」と、薄ら笑いを浮かべて得意げに飯島秘書官のセットしたメディアの「ぶら下がり」インタビューに答えているのも、小泉首相ではないか。
特に、狂牛病問題の武部農相の進退に関して、小泉首相は3月28日、『「BSE問題に対しての不安を除く。そういう面での責任を果たすことが大事だ」と述べ、即時辞任を否定した』という。(日経新聞2002・3・28夕刊2面)
小泉首相はかねて、与党内からも辞任やむなしの声のある武部農相の進退問題に関し、BSE調査検討委員会の最終報告書の内容をみて決定すると語ってきた。
最終報告書は4月2日に農水、厚労両大臣に提出されることになっているが、その報告書「案」はすでに3月22日に公表されている。
農水省の不適切な対応に「重大な失政」があったとするその内容を承知の上で、小泉首相は上記のとおり、武部農相の留任を主張しているわけだ。
”春秋”の記者は、『族議員に守られた官僚が責任を逃れ』と、あたかも官僚を守っているのが「族議員」であるかのような書き方をしているが、これは大きな誤りである。
「族議員」が、どのようにして官僚を守れるのか、よく考えればわかることだ。
小泉首相は、単に武部農相を庇っているだけのように、一見思える。
果たして、そうだろうか?
記者が語っているように、この狂牛病失政で最大の責任者は、熊沢前農水事務次官である。
武部農相が現職に就任したのは、昨年4月26日の小泉内閣発足の時であった。
その後、武部農相自身にも行政上の責任を負うべき重大な失政があったことは確かだが、彼の最大の失敗は今年1月、行政に2000億円の支出を強いた熊沢事務次官(当時)を円満退職させ、退職金8千数百万円を支払ったことに尽きる。
現在野党四党は、熊沢前次官の参考人招致を与党側に要求している。
与党は、これを拒絶している。
いまからでも、もし熊沢前次官を参考人招致して、退職金を返納させることにでもなれば、武部農相の責任問題はかなり薄らぐことになる。
折しも農水省は29日、2002年度の狂牛病対策費が、今年度並の2064億円になると発表した。
従って、熊沢前次官の参考人招致を拒絶し、武部農相の辞任までをも拒絶する小泉首相は、2001年度と2002年度合わせて4000億円もの無駄な出費を国に強いた農水省による「重大なる」狂牛病失政に対し、誰一人として責任をとらせずに国民から「クサイモノニフタ」をしてしまおうということだ。
小泉という男は、外務省問題においても、鈴木宗男問題が明るみに出たいまとなっては、どこをどうとっても外務省の責任者として責任をとってしかるべき野上前外務事務次官を、未だに官房付として泳がせている。
確たる理由なき田中外相更迭には熱心だった小泉首相は、官僚の野上前外務次官の処分には、明らかに不熱心である。
官僚の責任を問わず、「クサイモノニフタ」をしてしまう小泉「改革」とは、いったい何なんだろう?
![]()
官僚は、決して間違えないのであろうか?
官僚は、過ちを犯さないのであろうか?
故意にせよ過失にせよ、もし官僚が重大な過ちを犯したとき、誰が官僚の責任を問えるのであろうか?
私は残念ながら専門家ではないので、法律的にこれを解説することはできない。
しかし、民主主義国家に生きる一人の市民として、次のように考えることに躊躇はない。
官僚(Bureaucrat)は、国民・国家のために働く公僕(Civil Servant)である。
従って一義的に、「国民の世論」は、官僚に責任をとらせることができるはずである。
とは言っても現実的には、この「国民の世論」なるものは、なかなか一致して吹く風となることは難しい。
反対者が、故意に反対意見を声高に流すこともよくあることである。
二義的に、選挙を通じて国民の信託を受けた「国会議員」もまた、官僚に責任をとらせることができよう。
疑義のある官僚を国会に招致あるいは喚問して糺すことは、国民の代表として当然の義務である。
小泉首相と与党は、なぜ熊沢前農水事務次官の参考人招致に応じないのか?
国に4000億円もの無駄な支出を強いた狂牛病対策における「重大な失政」に、最大の責任ある同氏の国会招致を拒絶する行為は、国民を愚弄するのも甚だしいと言わざるを得ない。
最後に、官僚に責任をとらせることができる者は、官僚の上司たる管轄大臣と首相である。
野上前外務事務次官のケースを思い起こしてほしい。
田中外相(当時)は、野上次官(当時)の更迭を小泉首相に迫った。首相は拒絶した。
小泉首相が了承すれば、当時でも野上次官を更迭できたのである。
状況はいまでも同じだ。
小泉首相さえ了承すれば、野上官房付を辞職させることは可能なのだ。
「鈴木宗男議員と11年来の仲良しだった」と言う野上前次官が、未だに外務省内を泳いでいるのは、偏に小泉首相が彼を庇護しているからである。
理由は、私が改めてここで言う必要もなかろう。
![]()
このように分厚い壁で庇護された官僚を、さらに一段と分厚く守ってやろうというのが、小泉首相が自民党国家戦略本部の名を借りて出してきた「政」と「官」の関係の見直しに関する「提言」の趣旨である。
自民党江藤・亀井派の亀井静香会長代行は、早速この「提言」に対して「議会制民主主義、政党政治の根幹に触れる極めて大きな提案だ」と的をぶち抜いた適切なコメントを発表している。
これに比べて、私は、この小泉「提言」に対する民主党の「鳩山的反応」には、ほとほと疑問を感じる。
「提言」は、こう主張している。
(1)政党、国会議員が官僚に接触する場合は、原則として閣僚、副大臣・政務官が対応。
当然のことながら、小泉政権が続く間は、閣僚、副大臣・政務官はすべて小泉首相あるいは自民党の息のかかった連中ばかりである。
民主党が、ある省庁の官僚あるいは職員に「あること」の状況を確認したい、あるいは説明を受けたいといった場合、この「提言」においては、必ず小泉首相あるいは自民党の息のかかった閣僚、副大臣・政務官を通さねば話ができなくなる。
ということは、民主党が何をしようとしているかが、官僚あるいは職員と話をする以前に、小泉首相・自民党側にチョンバレになってしまうということだ。
それでいいんでしょうか、鳩山的民主党さん?
小泉シンパが党内にゴロゴロしている民主党としては、実際、それでいいのかも知れないが。
![]()
![]()
![]()
この小泉「提言」の裏には、官僚大好き人間の小泉首相が、「官僚王国」をバックにつけて自民党を制覇し、その「官僚王国」の頂点に立って日本を支配しようという、「小泉独裁政権」への野望が秘められている。
”春秋”の記者は、『族議員に守られた官僚が責任を逃れ、大臣だけがトカゲのしっぽのように切られる図式は許されない』という言葉で、記事を締めくくっているが、これは誤りだ。
官僚を庇護しているのは、官僚大好き人間である「小泉純一郎首相」その人であることは、ここまで読んでいただけた読者のみなさんには、よくおわかりいただけたかと思う。
(2002/03/30)