the NIKKEI-watcher

Japan Problem/Basic concept


どこが一体、危機なんだ
DATE ・・・2001/03/30 (M-1)
TITLE ・・・”春秋”

評価・・・・・A



『「銀座を歩いていると、若い人たちが楽しそうに買い物をしている。日本は危機だというが、どこが一体、危機なんだ。」久しぶりに日本を訪れたドイツの外交官がこんな感想をもらしていた』というところから記事は始まる。実は私も、日本を訪れた外人から何度か同じような感想を聞いたことがあった。その時の私の返事は、日本人は”建前と本音”の国民で、言うことと考えていることは違うし、”振りをする”のが得意で、多分本音は苦しくとも表面は苦しくなさそうに見せているだけだと思う、というものであった。

春秋は語る。『たしかに街に失業者があふれているわけではない。人々は相変わらず豊かさをおう歌しているようにみえる。日本は”ぜいたくな悲観主義”に陥っているのではないかというわけだ。企業内失業など危機は潜んでおり、痛みを伴う構造改革に踏み出せば問題は表面化する。そう答えても、なかなか理解されなかった。』

春秋と私の理解の仕方は異なるが、共通なのはいずれも実態は深刻だとみており、一方、かの外交官はそれが信じられないという。実態について大した理解も持たずにたまたま日本を訪れた外人の印象より、バブル崩壊後のこの十数年を、からだで味わってきた我われ日本人の理解が優るに決まっていると、私も、誰しもそう思う。

『日本をめぐる国際論調にも、厳しさが増している。』春秋は続ける。『英エコノミスト誌は「日本は1930年代以降で真性デフレを経験した唯一の先進国だ」としデフレ悪循環に入ったとみる。「グラフを逆さにでもしないと楽観的になれない」という声もあった。ヘルムート・シュミット元西独首相は「危機の根源は日本の政治家の統治能力の欠如にあり、参院選挙後も状況が好転するとは思えない」と悲観的だ。』
『そんな論調とドイツ外交官の率直な感想とのギャップは大きい。”根拠のない楽観主義”ほど始末におえないものはないが、”行きすぎた悲観主義”もまた不毛だ』というのが、春秋の、私がたびたび指摘する日本のMassMediaの悪い癖である、”喧嘩両成敗”あるいは”中をとる””足して二で割る”式の、けっきょく読者には何も伝わらないという玉虫色の結論であった。

昨今は、自民党総裁選の真っ最中である。政府・与党は、6日に、緊急経済対策を決定し、総裁選候補者の不良債権処理、景気回復、経済構造改革の声が、日経新聞紙上でもオンパレードである。誰も反対する人間はいないし、編集委員の人たちも同じようにここぞと声を張り上げているようだ。
これらの記事を読みながら、数日前から、上述の春秋の記事が蘇って、私の頭の中を占領している。無関係な立場の人の率直な印象が、事の本質をついていることが、世の中では往々にしてある。そして、あらためて街を行きかう人々を、ショッピングをしている人々を見ていると、かの外交官と同じ感想を言いたくなってしまう。”どこが一体、危機なんだ。

ある人が、自分が稼いだ金で車を買っても、借金して車を買っても、車が一台売れた事実に変わりはない。ある人物が、自分が稼いだ金で競走馬を一頭購入しても、別の人物が、外交機密費をごまかして競走馬を一頭購入しても、国民経済上は、競走馬が一頭売却されたことには変わりはない。違う点は、外交機密費をごまかした人物は、国民の税金を無駄遣いしていることである。公共投資に莫大な額が投入され、土木・建設関連の会社に需要を創出している中に、いっさい無駄金がないとは言わさない。それらの資金は大部分、国債発行という国の借金でまかなわれている。放って置けば倒産・破産してしまう企業に対する債権を放棄した銀行は、かって国から公的資金の注入を受けた。この資金もまた、国債の発行によってまかなわれた。

銀座を歩いている若い人々、ショッピングをしたり、海外旅行に行っている人々、どう見ても日本が危機にあるようには見えない人々は、実際、危機とは縁のない人々かもしれない。そして、銀行の債権放棄が期待される企業も、公的資金の再注入が期待できる銀行もまた、危機とは縁のないグループに入るかもしれない。日本における唯一の危機とは、外交機密費のごまかしを、莫大な公共投資を、債権放棄した銀行への公的資金の注入等々を補填するために発行された赤字国債による、660兆円ともいわれる国の財政赤字である。この財政赤字の大部分が、各種各様の無駄遣いによって生じたといっては言いすぎだろうか?日本国中の其処彼処において長年にわたり莫大な税金の無駄遣いがおこなわれ、あたかも見かけだけは立派だが中味はシロアリに食い尽くされた家の如くボロボロとなっているのが、この”経済大国”日本の現実ではないのか?その無駄遣いが、日本の見かけを”どこが一体、危機なんだ”と言わせるほど、危機らしくなく見せている。そして、多かれ少なかれその無駄遣いのおこぼれにあずかっている連中が、既得権益にしがみついて日本の立ち直りを妨げている政治家・官僚連中の支えとなっているのだ。無駄遣いの規模がデカイだけ、おこぼれにあずかっている人々の数も多いわけだ。私は、日本人の7割が、ベネフィットの多寡は別として何らかの形でこの無駄遣いの恩恵に浴していると考えている。金融関係、不動産関係、建設・土木関係、農業関係、一次産品関係、運輸関係、通信関係、電力・ガス関係、エネルギー関係、医療・薬品関係、教育関係、素材業種関係、中小企業関係、数え上げていたら限がない。

いま、自民党総裁候補者は言うに及ばず、MassMediaもこぞって不良債権処理、景気回復、経済構造改革一色である。ある意味でこれは、統治能力は欠如しているが、別の智恵は回り過ぎるぐらい回る、しかも財政赤字の大部分に相応の責任を負う、政治家連中の思う壺にはまっているのではなかろうか?
日本の危機といわれるものは、実は、以外に簡単なことではないのだろうか?
たとえばの話、行政府を代表して首相が、国を代表して国会が、次のことを宣言してはどうだろうか?
一つ、今後、いかなる形を取ろうが、税金の無駄遣いはいっさいしない。
一つ、日本の主役は、政治家でも官僚でもなく、国民である。
この二つを宣言することによって、日本の危機は跡形もなく何処かへ消えてしまうのではなかろうか。穴の開いたバケツにいくら水を注ぎ込んでも、いつになっても満杯にならないが、バケツの穴を塞いでから水を注げば、すぐ満杯になる理屈である。
株買い上げ機構など設立する必要もなく、日本の株式市場は急上昇へ転じるであろう。そして、無駄遣いの排除により今後の財政赤字の減少にメドがつくことから、景気の回復に対する最大の懸念である金利の上昇をも免れるのではなかろうか?

私は、夢物語を語っているのであろうか?現実は、宣言ひとつですべてがうまく行くというような、そんな生易しいものではないよ、という声が聞こえてきそうである。現実は生易しくはない。生易しくはないのが現実だ。同感である。上述した二つの宣言ほど、今の日本の政治家にとって言いたくないことはなかろう。彼らにとって、緊急経済対策なんてちょろいもののはずである。何故なら、彼らの既得権益はいっさい痛まないからだ。すべては国民の税金でまかなわれる。
一方、上述の二つの宣言はどうであろうか?彼ら政治家にとってのすべてのうまみを消してしまう、これほど痛い話はなかろう。それだったら、もう政治家などやってられるかというのが、この宣言に対する彼らの本音ではなかろうか?この宣言をすること以外のことなら何でもやるよ、というのが彼らの本音かもしれない。現実は生易しくはない。従って、残念ながら、上記宣言が現実となることはないであろう。日本のMass Mediaが目覚めない限り。
そこに真の”Japan Problem”が存在する。
(2001/04/15)


BACK
NEXT
MENU